きよすみがさあ、とが言いだした時私はそれがなにのことなのかわからず、一瞬困惑した。それから数秒後に、それがあのゲーセン前でおふざけのナンパをしてきた山吹生であったことを思い出す。あの日から二週間が経った、学校での休み時間のことだった。
 「え、なに付き合ったの?」
 「ちがうよばかー付き合うわけないじゃん」
 はげらげらと笑い、私の肩を叩いた後私の隣の机に腰かけた。足をぶらぶらさせながら私の美しい女友達は、実はずっとメールしてたんだよねとめずらしく恥ずかしそうに私に打ち明けた。は、普段であれば私に、自分の釣った男の状況のほとんどを話すあっけらかんとした、それとも話さなければ気がすまないおしゃべりな女だった。あの日以来が、ゲーセン前で声をかけてきたきよすみという男のことを口にすることは一度もなかった。だから私は、彼はアドレスを交換したもののすぐにに飽きられてしまったかわいそうな男のひとりに成り下がったのだと思っていた。は気に入った相手にはがんがんメールを送り、返事がないとか好きだと言われたとか変化がある度に私に報告をしてくるが、ひとたび興味を失うとぱったりと連絡を絶ち、私への報告もやめてしまう。だから私はもうすっかり、あの中学生に関心を持たないのだと思っていた。それが、ずっと連絡を取っていただなんて。




    城楼




 「なんか、普段年下はやだとか言ってるのにメールしてるとか言ったら、笑われるかなと思って」
 ごめん、とが黙秘していたことを謝るので、いやなんで謝るの、と私は彼女を励ましてやり、どうかしたの?と尋ねた。はあのさあ、と恐らくきよすみからのメールが表示されてると思われる携帯を片手に俯き、空いた手でかりかりと自分の頭を掻いた。
 「会おうって言われてて」
 「今日?」
 「そう」
 「会えばいいじゃん、全然」
 「ええ、やだよ」
 「いやなの?」
 「ひとりはいや」
 「なんで?大丈夫だよめっちゃピュアっぽかったじゃん乱暴されないって」
 「でも。恥ずかしいじゃん中学生と歩くの」
 「もしかして一緒に行ってほしいの?」
 うん、おねがい。が私を真っ直ぐに見つめ、眉を下げるので私は断れない。の自粛期間はまだ続いている、私もいつも通りそれに付き合っている。がきよすみと遊びに行くのなら、私はひとりだ。それはそれでいいのだが、ついて来いと言われるのならついて行っても構わない。放課後に待ち合わせをし、どこかに行って、門限を守ってお互い帰宅する計画をふたりは打ち立てていたようで、でもその間私はなにしてたらいいの?ふたりの後ろついて歩いてればいい?とふざけた私を彼女は笑い、なんとかするからついて来て、と繰り返した。でもむこう金ないじゃん、いやあたしらもないじゃん?どうするんだろうね、マジマックでだべるのがいいとこだよ、私達はそんなことを言い合い笑っていた。いつもいつも彼女と連れだって遊びに出かける時、私達は金か力のありそうな男を選んできた、このがんじがらめのしがらみの中で、なんとか自由に暮らすために。それが今日、久しぶりに、本当に久しぶりに私達は、ただの興味でもって金も力もなさそうな男と遊ぶために出かける。つまらなく、利便性もなく、若い、普段であったなら絶対に乗らなかったはずの中学生からの誘いに、私達は応じる。が自粛に努めている今、私達の遊ぶ範囲は制限され、小さく動き回るしかなく、便利な男も釣れない。そんな時はただの、自分達よりも若い中学生男子にとても、関心を抱いたりするのだった。もしかしてあの子と付き合うとかあるの?私は尋ね、いやあそれはないっしょ、とは強気に笑った。

 それで、結局訪れたのはカラオケだった。この間のアーケード街の店ではなく、駅前通りを外れた小路にある個人経営のようなカラオケ店だった。ビルの一階と二階がカラオケ、それより上はパブとかスナックとかの古臭い建物。私と、そしてきよすみは私達唯一の共通の場所であるあのゲーセン前で待ち合わせをした。彼は制服を着ておらず、Tシャツにスウェットという川にでも遊びに行けそうな格好でそこに立っていた。着替えたんだ?、山吹の制服を快く思わないの彼に対する第一声はそれで、彼は不思議そうに自分の格好を見下ろした後 制服について言及されていると気付いたのだろう。今日体育あるから制服着ていかなかったんだよね、と笑った。ジャージとかないの?あるけど制服よりだっさいんだもん。じゃあスウェットで体育出てんの?そうだよすっげー楽だよ。服装の話題がとっかかりとなり元来おしゃべりが好きであろうときよすみは、なんの居心地の悪さも抱かず会話しはじめた。私は彼とこんにちは、とかの挨拶をひとつかふたつ交わしただけで、歩き始めたふたりから一歩離れてそれに続いた。前を歩くふたりの会話をなんとなく聞きながら。制服の話、山吹の自由な具合について、私達の学校の体育教師の話。時々それに紛れて私の知らない、ときよすみだけの謎めいた話題が上ったりするのも私は聞いていた。人懐っこいふたりが会話をしている、盛り上がるに決まっていた。その中に、ここ二週間ずっとメールを交換しあっていたふたりの共通の話題が時々上り、ふたりがくすくすと笑う。お似合いなのかもしれない、と私は一歩引いてそう思っているがしかし、というのは、そして男というのも。こうやって散々楽しそうにしておいて後になって、つまらなかったとかうるさかったとか呟いたりするのだからわからない。きよすみはすいすい歩いて私達を誘導しアーケード街のカラオケ店をまるっきり無視してこの、駅前の陰気臭いビルまで連れてきた。
 「なんで?」
 私は思わず尋ね、
 「あそこ、部屋にカメラ付いてるんだもんたまに煙草吸ってると店員が来て、帰ってくださいねーとか言われるから。こっちぼろいけど、なにしてもなにも言われないよ」
 おばちゃんこんにちはーとりあえず二時間ね。慣れた様子で先を行くきよすみに続いて入ってみると一応カウンターがあり、そこに受付として座っていたのは小さな老婆だった。不思議なくらい小さい、恐らく立ち上がっても小学校低学年くらいの子どもと同じくらいの身長だろう。ぼさぼさのグレーの髪で、きよすみが我が物顔で二階に上がって行っても、私達がそれに続いても顔を全くこちらを見ず入口を向いたまま、「はいどうもねー」と優しい声で呟くだけだった。うけるねここなに、穴場?がかつては赤かったであろうカーペットの敷かれた階段を上りながらくすくす笑い、でも絶対防犯カメラとかはついてないよね、と私は答えた。ほかに客がいるらしく、どこからか歌声が聞こえてくるがきよすみについて歩きながら通り過ぎた部屋は全て空室だった。
 私は最初だけ、と一緒に底抜けに明るいポップソングを歌ってやり、その後は彼女ときよすみが交互に歌ってはげらげら笑うのを眺めていた。出だしさえ整えてやれば私の女友達は、初対面の相手が横にいようがいくらでも堂々と歌う。それでなかなかうまいので聴いていても暇はしない。きよすみは恥ずかしがる様子もなくひとりで歌っていた、同じような底抜けに明るい曲ばかりを。彼が歌っている最中にが茶々を入れ、が歌っている最中に彼が野次を飛ばす。ふたりはじゃれ合うようにそんなやりとりの最中体を叩き合ったり、乱暴な言葉を投げ合ったりし、笑っていた。が何曲目かのラブソングを歌いはじめた時、私はなにかここを抜け出す言い訳を考えた方がいいのだろうかと思いはじめていた。つまり急用ができたとか、両親が急にこっちに様子を見に来たらしいとか、そういうことを言ってときよすみを、カラオケにふたりきりにさせてやった方がいいのだろうかとか。が彼を気に入ったのなら、彼女はそれを望むだろう、彼女が意中の男とふたりきりになった時、彼女がどんな豹変をしどんな甘え方をしどんな口の利き方をし、男を捕まえようとするのか私は知らない。知らないが、それをするなら女友達の同席は邪魔であるはずだ。しかしが、きよすみに本気を出したいのか今の私にはまだ判断がつかない。難しい見極めが私に迫っている、私は。いつもいつも何故だか乱暴な、それかだらしない男と付き合ってしまう彼女を心配し、今の状況に微かな期待を抱いている。例えばこのきよすみという若く明るい男なら、女を暴力で黙らせるまねはしないだろう。彼女を都合よく利用する気配もない。浮気くらいはするかもしれないがそれ以外の、彼女を悲しませるようなことをしない男に、私には思える。私はにさえその気があれば、このふたりがくっつくことを望んでいた。だからの気を、読み取ろうとしている。
 「おいでー二階の角部屋」
 が無理してサビの高音を、それでも綺麗に出している時向かいに座ったきよすみが、携帯を耳に当てそう短く答えているのがやんわりと聞こえた。すぐに携帯をポケットにしまい、ちゃんすげーと声をかけた。こういう、真摯な対応をきよすみはする。には、こういう優しさのかたまりみたいな男と一度付き合わせたい。これは私含めた、彼女の友人一同の望みだった。幸せになれよお前いいやつだしかわいいのにさあ、全員がそう思っている。

 「わあびっくりしたー」
 きよすみと肩を並べてデンモクをいじっていたが突然大声をだし、部屋の入り口を見て目をまん丸にしている。私は持参した紙パックの豆乳が、もう中身なんて入っていないのに入っているように思い込み、ストローをくわえ続け手持ち無沙汰をごまかしていたところだった。はじめは私とが横に並んで座り、きよすみはひとりテーブルを挟んだ向かいに座っている形だったのにふたりが歌う度に飛んだり跳ねたりするものだからまるで動かない私を置いて、彼らはいつの間にか隣同士に座っていた。ドアに顔を向けるとそこの小さなガラス窓からあの、銀色の髪の男が無表情にこちらを眺めていた。私は、すぐに顔を逸らし正面のきよすみを見た。
 「呼んでたんだ、奇数じゃあれかなと思って」
 きよすみは爽やかに笑い、ドアの向こうの彼においでよーと手招きをした。選曲中の、無害な歌詞なしのBGMが流れていた。彼は私達の部屋に入ってくる、そして挨拶もなく、私の隣に距離を置き腰を下ろした、さすがに、三対一の奇妙な席作りをする気はないらしい。彼もきよすみ同様、制服を着ていない。川原でキャンプでもできそうな格好だ。体育あったの?私の明るい女友達はさっそくそう声をかけ、彼は私の隣で、首を傾げた。

 彼もまた、歌わない。黙々と煙草を吸っていた、赤のマルボロを。曲の合間できよすみが声をかけるとなんらかの返事をし、また煙草を吸った。トイレ行きたい、どこにあるの?ある時私はきよすみに尋ね、この古臭く怪しげなビルに自分がいることを思い出しやや不安になった。あー、階段の横のねーときよすみは説明をはじめたが、途中で面倒になったのか一緒に行こっかと立ち上がった。私は、私の女友達があたしも行くーと立ち上がるのを数秒待った。しかし彼女は立ち上がらず、マイクのキー調整に夢中だ。あまりきよすみに興味がないのか、それともまだ小さな独占欲がわかないのか、とにかく私が彼と連れ立つことを気にしない様子なので私は、素直にきよすみと共に部屋を出た。
 「ねえちゃんってなに飲むの?」
 薄暗い、誰もいない個室が二つしかないトイレから出て来た私をきよすみは待っていて、廊下に設置された古い自販機の前で尋ねてきた。私は並んだ缶のドリンクを検分し、コーラ、と彼に教えてやる。彼は自販機に千円札をつっこみ、素直にコーラのボタンを押した。おねえさんは?また訊かれ、いいよ、と私は断ったが。もう豆乳ないっしょ?ときよすみには空の紙パックをいじっていたことがばれており、じゃあココア、と呟く。きよすみはココアを押し、取り出し口からコーラとココアを取り出すと私に差し出した。それからコーラをもうひとつと、ネクターのピーチを一つずつ購入した。
 「いい子だね」
 私はそんな感想を漏らし、缶ジュースくらい買えるよーときよすみはネクターを取り出しながら笑っている。オレンジジュース、緑茶が数種類、ミルクティー、初めて見る炭酸飲料。ダミーが並んだガラスケースの一番下、右端に。「驚きの薄さ」と銘打たれた避妊具がぽつりと売られていた。思わず、まじまじと眺めてしまう。日焼けしたパッケージ、手書きの値札。ね、なにしてもなにも言われないんだよ。きよすみが隣で言うのを聞き、部屋へ向かって歩き出す。
 「ラブホ代わりに使うんだ?」
 「まさか。俺はしないけどでもたまに隣の部屋からそういう声聞こえるよ」
 「へえ」
 「うけるーつってこっそり覗きに行ったことあるんだよ、ばかじゃないのって。そしたら普通に友達だった」
 「山吹の?」
 「そう。今でもネタにされてるよ」
 山吹ってあほっぽいね?ぽいってかあほだよー。私達はそんなことを喋り、廊下を歩いた。相変わらずどの部屋も空室だ、けれど歌声はどこからか聞こえ続けている。の声ではない、だからどこかに、客はいるのだろう。
 きよすみがドアを開ける時、例の小窓からちらりと中が見えた。が笑い、向かい側に座った彼が、何度か頷いていた。配給だよー!きよすみがそう言って部屋に入って行き、私も続いた。ふたりはぱっと顔を上げは私を、彼はきよすみを見た。きよすみが自分の男友達にコーラを手渡し、そのままその横に座ってしまうので。私はの横に座り、同じくコーラを手渡した。え、ありがとー、と礼を言われ私じゃないよときよすみを目で示す。ありがとうおごれんじゃん。缶ジュースだもんなめんなよー。またにぎやかなふたりの会話を聞きながらココアのプルタブを上げた。斜め向かいに座る彼はもうコーラを口に付けている。俺らが歌わなきゃねーきよすみがに言い、またふたりのデンモク操作が始まった。ふと彼がこちらに顔を向け、目が合う。彼はふわりと笑った。私は、締め付けられている。まるで自分があのガラスケースの中の、避妊具かなにかのように思えた。





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2014.6.15


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