ねえなんで自分の番号教えてくれなかったの、例のぼろぼろの監視カメラなしのカラオケに向かいながら私は隣を歩くきよすみに、そっと尋ねた。だって俺の教えてなんて一言も書いてなかったよ、ときよすみという男は、朗らかに笑っている。私は返事ができないでいた。なんて奴だろうか、どうしてそこまでして、私にあの彼と接触を持たせようとするのだろう。きよすみがするべきことはと彼の間をとりもつことだ、そうしてくれたら私はどれほど、楽になるだろう。彼がひとつでも彼女を喜ばせるような所作を見せたならどれほど、私の気持ちは楽になるだろう。ああきよすみはが好きなのだと、私は自分の女友達と白い彼の関係を考えたついでに、彼の気持ちを察してしまった。
 十五分ほど前、騒がしいふたりが案外早くファミレスに飽きてしまったらしいことに気付き、私は焦った。まだここに入って一時間、あの男がもしかして近くにいるかもしれない。ここで解散してしまって、あの男にまた見つかったら。そう思うと私はこの空気をわかりつつも、じゃあ帰ろうかとは言えなかった。けれどなにも事情を知らない彼らに、もう十分なくらいドリンクバーを使いいくつかのデザートを食べ満足したらしい彼らに、もう少しここにいようと言い出すことも私には、できなかった。これからどうする?おねえさんが決めてよ会いたかったんでしょ、ふざけた調子できよすみにそう言われ、私は即座に返事ができなかった。私の正面に座る、しおらしさをすっかり消したが勢いよく手を挙げ、カラオケ行きたい!とリクエストを述べた時、心底安心し、思わずため息が出た。




    癖者




 私は宣言通り四人分のドリンクバーの料金と、いくつかのデザート分の料金をレジで払い、ごちそうさまでーすとにぎやかなふたりに拝まれながらファミレスを出た。外の風を感じた時、私は確かに怯えていたがそれを表に出さないように細心の注意を払っていた。どっち行けば近い?とがきよすみに尋ねている。こっちだよーと歩き出したきよすみに従い私は一歩を踏み出した。恐る恐る周囲を見渡すが、私の確認できる範囲にあの男はいないように思えた。けれど不安は拭いきれず、隣のの袖をまた、強く握っていた。万が一のことがあった時にこの女友達をどうにか、守ってやれるようにと。きよすみとおしゃべりを続けながら歩く彼女は私の小さな接触をまるで気に留めていないようだった。
 おばちゃん今日は一時間でいいやー、から近況を聞いているのかもしれないきよすみは、彼女の門限に間に合う使用時間を受付の小さな老婆に告げた。はいどうもねー、いつかと同じ返事を聞き私達はいつかと同じ、二階の角部屋へと入っていった。私と、きよすみと彼というペアになってテーブルを挟んで座り、デンモクを触るのは例のごとく私の女友達ときよすみだった。ここに来るまであの男の姿を見なかったことに安堵した私は煙草に火をつける。向かいの彼も、同じことをしていた。
 海に行って恋愛をして生涯添い遂げる伴侶を見つけよう、要約するとそんな歌詞の歌をきよすみとが一緒になって笑いながら歌っていた。本当にかわいらしいふたりだと私は思うがは煙草を黙って吸い続ける彼を気にしておりきよすみは、恐らくが好きなのだ。遠巻きに見てこうなればいいのに、という希望は大体の場合叶わない。そして私は渦中のの気持ちを尊重している。けれどきよすみが中学生にしてはできた男だと思うのは、決してくだらない嫉妬などを抱かないらしいことだった。ねえなんか歌わないの?と彼女が白い彼に話しかけまくろうと、飛び跳ねた拍子にバランスを崩して彼の膝の上に手を置こうと、疲れたーと言って彼の隣におもむろに座ろうと、きよすみは態度をひとつも変えない。それを見て笑ったり、コメントをしたり、私にまで話しかけてくる。なんてやつだろうと、思わず感心してしまう。
 「きよすみトイレ」
 ふたりきりにさせてやりたい。私はそんな考えからファミレスの時のようにきよすみの顔を見つめて訴えた。疲れたのか歌うのをやめて昨日の部活のせいで足が痛い、と言いながら自らのふくらはぎのマッサージにいそしんでいたきよすみは顔を上げ、首を傾げた。
 「うん?前に教えたの忘れたの?」
 そう忘れた、頷くと仕方ないなあと大げさに彼は呟き、立ち上がった。がくすくすと笑っている。それがきよすみのリアクションに対するものなのか、妙に積極的にきよすみを指名する私に対するものなのか、私はもう知る気すら失せている。ただあのふたりを放っておいてやりたい。あの夜自分で言うほど甘えたらしいと、それを冷たくあしらったらしい彼を、こういう隙に近づかせてやりたい。私の思いはそれである。きよすみの、に対する気持ちも考えてやりたかったが私は、今はとにかく自分の女友達を優先する。よくわかんない、けれどきっと強い関心を抱いているであろう彼と、仲良くなってくれればそれでいいのだ。
 「ねえなんであいつにメールしないの?」
 煙草が二本は吸えたであろう時間をかけあの薄暗いトイレから出てきた私を、廊下に座り込んできよすみは待っていた。それで、私にそんなことを言う。あいつが、きよすみの呼ぶあいつが銀色の髪の、今部屋でとふたりきりになっている彼のことであると私はわかり、心が冷えていく。だって私あんた好きだもん。私は彼にそう告げた。
 「そうなの?」
 「そうだよ」
 「じゃあ付き合う?」
 「うんお願い」
 私の言葉を聞いてきよすみは初めて、呆れた顔をして見せた。立ち上がり、私の前を塞ぐと頭に腕を回してきた。後ろ髪をやや乱暴に掴まれ私は、立ち尽くした私は、自分より少し背の高いきよすみに唇を奪われる。体が一度震えた。こんなことは初めてだった。
 「ねえこれでもそんなこと言える?」
 おねえさんめっちゃ泣きそうな顔してるよ、顔を離したきよすみは優しく頭を抱いたまま、私をまっすぐに見つめてそう言った。嬉し泣きだよ、答えると。ああもう、ときよすみはまた、初めて見せる顔をした。怒ったのだ。
 「なにそれ、腹立つなあ。嬉しいわけないじゃん。俺わかってるよ、おねえさんあいつが好きなんでしょ?俺はちゃん好きだよ、わかってるでしょ?で、ちゃんが別に俺のこと好きでもないのも知ってるよ、でも俺は好きだから、諦めつくまでまっすぐ好きでいるよ。でもおねえさんはさあ、あいつのこと好きなのにそんなの知らねえみたいな顔して全然違うことするじゃんいつも。あいつもあいつではっきりしないとこいっぱいあるからしかたないと思うけど、でもおねえさんもおねえさんだよ、人の恋愛助けてるようなふりして、自分はどうなわけ?なめてんのかっていっつも思う。はたから見ててめっちゃむかつく」
 きよすみはひと思いにそう言って、私から離れた。はあ、と大きなため息を吐いて数十秒、俯いていたが。ふいに顔を上げた時彼は、いつものような笑顔を取り戻していた。笑うのか、と私は思う。なんて、できた男なのだろう。
 「年下に説教されてびっくりした?」
 「どうだろ」
 「どうだろって。なんかおねえさんって未知っぽいよね」
 「はあんた達のこと未知っぽいって言ってたよ」
 え、マジ?こんなまともなのに?あほな山吹生のきよすみは言い、私達は笑い合って歩き出した。私はうまく笑えたと思う、いつも通りに、きよすみの軽率な言葉やその人懐っこい笑顔に反応できたはずだ。
 きよすみの言葉はあまりにもまっすぐすぎて、私の内部の深いところには届かなかった。きよすみが押し付けてきた唇も、その動作が初々しすぎてまるでなにか違うもののように感じていた。彼の言いたいことはわかる、本当によくわかる。つまりきよすみは私があの彼を好きで、も恐らくあの彼が好きで、自分はが好きであることをそれぞれが認め、素直にその気持ちに従いつつも、こうした関係を私達が続けられることを望んでいて、それが可能であると言いたいのだ。きよすみの言いたいことが私にはよくわかる。わかるけれどそんな風に、まっすぐにだけ進んでいった時、私は女友達を傷付けるだろう。銀色の髪の彼に関することだけではなく、あのテキーラの男のことであるとかを知った私の女友達は、まっすぐでいられなくなるだろう。私は、友情を失うかもしれないことを危惧しているのではない。私は、彼女を傷付けたくないのだ。その気持ちだけは私の中で唯一、まっすぐであるのだがそれをきよすみは、まだ知れるような年齢ではない。てか今日ほんとはなんで呼んでくれたの?なんかあったの?私の後ろを歩くきよすみが問いただすように尋ねてきたが、会いたかったんだよ、と私は一貫してそう答えた。
 見せちゃだめだ、私はそう思い、不自然に部屋のドアの前で立ち止まった為後ろから私に続いていたきよすみに体当たりされるはめになった。え、ごめん大丈夫?どうしたの?きよすみが驚いて私を見下ろしている、私はごめんちょっとめまい、だとか言い訳をして、小窓から室内の様子をもう一度盗み見た。さきほど、私がドアノブに手をかけた瞬間には確かにべったりとくっついていたと白い彼は、私達が戻ったことに気付いたのか私達が部屋を出た時と同じような、間隔のある座り方に戻っておりそれぞれが、携帯を触っていた。マジかか弱いんだね、と納得のいかない様子のきよすみに笑い、私はゆっくりとその扉を開けた。だから、私はまっすぐになんてなれない。まっすぐになれと説教をしたきよすみのことでさえこういう風に、傷付けまいとかばってしまうのだから。私さえいなければ。この人達はまっすぐに思いの丈をぶつけあって生きていけるのかもしれない、ふとそう思うと自分が邪魔者のような感じがし、息が詰まった。

 ああだめだやっぱり帰る気しない、自宅までを歩きながらは私の隣で呟いた。さっき、あのふたりと別れるまではあんなにも元気を取り戻したように見えたのに、こうして家路についてしまうと現実が、厳しい両親が彼女を待っていた。がんばりなよそのうち機嫌直るって、と私は久しぶりに20時を過ぎの路地を歩きながら彼女を励まし、がんばるけど、とはうなだれた。
 「テスト終わってやったーって思ってたけど、あれ、返ってくるんだったってさっき気付いた」
 「採点のこと言ってるの?」
 「そうだよ全部受けたら終わりじゃなくて成績とか、順位とかあるんだったって思って」
 「だってその為にずっと勉強してたんじゃん」
 そうだけど。珍しくは歯切れの悪い返事をした。なんかあったの?私は彼女の勢いの失い方が、どうも帰宅だけが原因ではないように感じその背中をさすってやった。具合悪い?ううん。首を横に振ってから、はひとつ呼吸をし、口を開いた。
 「あたし。テストの前の日に白い子に送ってもらったじゃん」
 「うん?」
 「あんまり覚えてなかったんだけどこの間ちょっと思い出して。あたしあの時、多分あの子にこくってたんだよね」
 「は?好きとか付き合ってとか言ったの?」
 「言ったんだと思う、酔った勢いだけど。でもほんとによく覚えてないからさっきカラオケで、達がいない時、訊いたの」
 「本人に?」
 「そう、あたし好きとか言ってたよね?って。そしたら言ってた、って言われて」
 「それで?」
 「酔ってたから本気じゃないと思ってたって言われて。あたし、本気だったと思う、って言って」
 「うん」
 「あの時悔しかったからさ、全然相手にされなくて。だから、付き合おうとかむこうに言わせたくて、あたしまた甘えたんすよ」
 「うん」
 「でも、全然だめだった、抱きついたりしたんだけど、迷惑なんだけど、とか普通に言われた」
 「うそでしょ?」
 「うそじゃないから落ち込んでるんだよ、ねえあたしどうしよう?なんか、ガキじゃん相手。なに本気になってんのとか思うじゃん。でもああいう風にあしらわれると余計構われたいとか思うんだよあたしやっぱばかだよね?」
 「そんなことないでしょ」
 「もうひさしぶりにしんどいよ、きよすみにしとけばよかった」
 「ああ、うん」
 「どっちがいいと思う?」
 「あのふたりのこと?」
 「そう」
 「わかんないけど。きよすみはのこと好きだよ」
 「うん。ずっと好きとか言われてて最近」
 「やっぱりそうなんだ」
 「そうなんか、恥ずかしくて言えなかった。ごめん」
 「謝ることじゃないでしょ」
 「あたし、きよすみ選べばさ、すごい楽しいし楽だよなって思う」
 「楽とかより好きで選びなよ」
 「あ、それ名言っぽい」
 はそこでやっと、弱々しくも笑った。私もふっと気が抜けて、似たような笑みを返したことだろう。じゃあもさあ、はそう続けた。私達はいつの間にか彼女の家の前に到着している。
 「言っていいよ、色々。最近すっごい暗いよって、てか変。あたしばかだから言われてもわかんないこと結構あるけど、でも話は聞けるし」
 なんのこと?私は思わずとぼけたが。ほらそういうとこ変だって、とは今度は不敵に笑った。私は、彼女の指す色々がどれであるのか見当がつかなかった。それがあのテキーラの男のことであるのか、きよすみと今日カラオケのトイレでしたことであるのか、彼がこれまで私に促してきた様々のことであるのか、白い彼との間に起きたことであるのか、私の彼に対する気持ちのことであるのかそれとも、あの夜から起きたすべてのことであるのか、わからなかったしそれすべてを、話すべきであるのか彼女が本当にそれを望んでいるのかも、わからなかった。まあ気が向いたらでいいよおやすみー、私の明るい女友達はそう言って軽やかに私に手を振り、険悪なムードであろう自宅の中へと消えていった。きよすみが私にまっすぐになれと説教をし、が私に言ってもいいよと催促をした。今日はなんて誘導されまくる一日なのだろう。ねえ私どうしよう?を真似て心の中で呟いてみたが、そこにあのような可憐さやかわいらしさはない。恐らく数分はその場に佇んだ後、私はやっと顔を上げて歩き出した。一人の夜道であることを途端に思い出し、襲ってきたのは恐怖だった。

 あの、テキーラの男が私の家を知っている。そう思うと自然と足早になっていた。私の家を知る男は少なくはないが、それを今までこういう風に恐れたことは一度もなかった。それなのに今、私はあの男が怖い。これまで私の家を訪れた男は、彼氏か酔った勢いでやって来た者達でしかなく、あの男もそのくくりに入れてしまえるのだが。学校帰りに出くわし、私達をじろじろと見て、少しの間ついてきたりしていたあの男の執着に私は怯えている。すっきり別れて二度と私に連絡を寄こさない元恋人達や、一夜限りの関係であると完全に割り切って二度と私の家のチャイムを鳴らさない遊んだ男達と、あの男は違う。だからもしかして、今私の後ろからふいに現れるのはあの男かもしれないし私の家の階段下に、立っているのはあの男かもしれない。そして私にまた、あの痛みを与えてくるのかもしれない。そう思うと私は、泣き叫んでの家に戻りたい。お願い泊めてだとか懇願したい。けれど彼女の家は最悪の雰囲気で、私みたいな悪友を泊めてはくれないだろうし私が取り乱したのを見て、が情報の開示を求めるのは目に見えている。それはできない。
 いつかのあの公園を通り過ぎ、時々携帯を触りながら私は歩いた。今日はごちそうさまー、カラオケでの説教などまるでなかったかのようにいつも通りに、きよすみからの日報みたいなメールが届いていて、こわいたすけてとか私は思わず送りそうになったが、とどまった。それをしたらきよすみはまた、私と白い彼の接触を図るに決まっていた。人の恋愛を助けるようなふりをして、と彼は私を叱ったが当のきよすみだって、似たようなことをしているのだ。私はの言葉を忘れない。言っていいよという言葉ではなく、確かにあの彼が好きであると告げた、あの長い告白の言葉を。
 公園を通り過ぎ、また暗い路地へと踏み込んだ時。私の目に入ったのはすっかり灯りの消えた大手不動産チェーンの店先に、座り込んで煙草を吸っている男だった。それは銀色の髪を持ち、えらく整った顔をした、山吹の、を冷たくあしらって私の唇を二度奪った、あの男だった。
 「送る」
 男の声は尋ねるでも申し出るでもなく、私を家まで送るという、ただそれだけの強い意志を帯びていた。なんで。私はそう尋ねてしまった。なんでここにいるの。なんで送るとか言うの。なんで話しかけてくるの。なんで。
 「一人で歩かせたら危ねえとか思って送るんだよわかったら来いよ」
 男が立ち上がると煙が揺れた。そっかと私は返事をし、泣き出しそうになっている。助かった、そう思ったのだ。
 雨ざらしで錆びまくりの階段を中ほどまで上がった時、それまでついてきていた足音が今日は、続いていることに気がついた。振り返ってみると彼はそこにいて、私を見上げている。
 「玄関まで?」
 「お前が家入るまで」
 「上がってく?」
 「うん」
 「どうするの親とかいて、ヤクザだったら」
 「親いないだろ」
 「なんでそう思うの」
 「俺もいないから。わかる」
 そう、と私は呟いた。

 「嫌いになる?」
 鍵を開け玄関に入った途端。肩を抱いて私を振り返らせた彼はためらいなく私に三度目のキスをし、静かに訊いた。ならないよ、私は暗い玄関の中彼の唇見つめながら答えた。私達は、学生向けのアパートの狭く暗い玄関で、向き合ってぴったりとくっついている。私は、きよすみにそれをされた時確かに震えた。それなのに今、高揚しながらもまるで、安心している。
 「よかった」
 「ねえこれだけ?」
 「なにが」
 「もっとして」
 男は黙って私の肩のあたりに鼻をうずめた。
 「なんなの?不能なの?」
 「我慢してる」
 「我慢しないでいいよ」
 自分でも驚くほどの色を持つ囁きが私から出た。それを聞いた瞬間に、彼は私を強く抱きしめている。あたたかく、煙草の匂いがした。こうして触れ合ってしまえば私は、自分が完璧に募っているのを痛感するしかない。彼の体に腕を回すのに時間はかからなかった、彼の胸に頬を押し付けるのにためらいはなかった。四回目以降のキスはもう、数えている暇がない。名前呼びたい、そう呟いて私の制服の下に手を入れた彼に、私はと名乗り、彼は自らを仁と名乗った。





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2014.7.5


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