うっすらとした記憶によると私は前回のテストの総合点が学年100位をきるかきらないかで、はというと下から数えた方が早かったらしい。彼女はあの日しっかりと帰宅し、両親に頭を下げたりぎゃあぎゃあ騒いだりなんでわかってくれないのと泣いたりして、50位以内に入ったら門限をゆるめる、という約束を取り付けたらしい。翌日から、私とはテスト勉強を始めた。私の両親は元々成績がどうこうに口うるさいタイプでもなく、一緒に住んでおらず通知表を同じ部屋で見る機会もほぼ皆無であったから、誰かに勉強を強要される理由はなにもなかったのだが女友達が、一緒にやらない?と泣いたせいで腫れた目で私を見て懇願するものだから、いいよやろうやろうと言うしかなかった。私以上に学問に興味のない彼女は、100位をきるかきらないか程度の私の成績をそれでもあてにしており、本当に毎日、私の家に来ては教科書と問題集を広げ、煙草を吸いながら勉強をしていた。これわかる?わかんない。こっちは?これは今日習った気がする。そんな頼りない会話をふたりで繰り返し、私達はテストに備えた。は。かわいくて甘ったれなはその広い交友関係を駆使し、時々私の家に賢い友人を連れてきたりした。同じ学年の、美人なのに秀才の女子ソフトボール部のエースであるとか、私達では一生かけても入学できなかったであろう私立高校に通う幼馴染の男子であるとかそういう人種で、私は彼らが我が家に上がるのを許し、と一緒になって方程式のシステムや古文の記号によるワープに関する指導を受けていた。
 あーもうマジ無理だストレスで死ぬ、叫びにも近い声でがそう言ったのはテストの前日。私の予想は見事に当たったと言えよう。私はその時きよすみとメールを続けていたが、あの日送られてきた「カラオケの時いたやつ」のアドレスには、なにひとつ連絡を入れていなかった。




    閣筆




 私達は制服を脱ぎ、私の部屋のクローゼットをあさってそれらしい服を選出すると、それに着替えて日が暮れた頃に部屋を出た。私の服を着たはそれでも美しく、時々ショーウィンドウに映る自分を見ては、なんかキャラ違うなあとか呟いてはくすくすと笑った。彼女はとても幸せそうだった、大げさにいうと解き放たれたような感じだった。私は一応は、彼女の両親とも若干の面識がある友人として彼女に、あと一日我慢すれば?とテスト勉強を中止することに警告を発してはみた。けれど結局はこうしてふたりで、夜の街へと歩き出している。恐らく私の方も限界だったのだろう、彼女が両親との約束を守り、テスト勉強をし、まともな成績を収め、門限の延長を許可されて過度な夜遊びをしない生活を送ることを願ってはいたし、放課後の少ない時間だけをだらだら健全に遊んでいるのも楽しかったが私と彼女が、こうして長い年月、共にいられたのは単純に気が合い、私達の悪い部分である堕落具合が似通っているからなのだ。だから彼女が叫びに近い声を上げた時、私も正直なところあーもうマジ無理だストレスで死ぬ、といったところだったのだろう。勉強は疲れる。頭が痛い。どれほど丁寧な説明を受けたところでわからないことはわからない。成績がなんになる。両親との約束を守ることが一体なんになる、私達はこうして勝手に外に出歩けるというのに。解き放たれた私と私の美しい女友達は、自粛期間とテスト勉強期間を合わせると約一か月ぶりともなる夜遊びに、その日出かけた。
 が評するところのきれい系な服を着た私達ふたりは、いつもより警戒されることが少ないことに気が付き、気を良くした。あたしこういう格好してたらガキっぽく見られないのかなーとクラブの入り口で身分証明証の提示を求められなかったことに、彼女はそう言及しにこにことした。二週間近く勉強漬けの放課後を過ごしてきた私達にはとんでもない我慢が強いられていてそれが今、年齢確認をされない入場という形で昇華されていく。きれい系に身を包んだはすぐに若い男に声をかけられ、私とは一杯目のアルコールをおごられることで簡単に得た。うわあ酒とか、超ひさしぶり。濃い色のカクテルが入ったカップを持ち、はフロアの中央へ進んで行き、私は見守るようにそれに続いた。ポケットの中で携帯が震えるのを感じている、きっときよすみだ。今どんな話をしていただろう、ここ最近は、遊ばない?カラオケ行かない?ラウワンでもいいし、という誘いをテストがあるから、と断り続ける毎日だった。それでもきよすみは私達を外へ引っ張り出そうと毎日毎日メールをしてきた。勉強の途中、小休止で提出し合った彼とのメールの内容は私ももほぼ同じようなもので、どんだけ遊びたいんだよ、と私達は彼を卑下しつつ、それに応えないよう死にもの狂いで禁欲していた。今クラブなんだよ、と送ったらきよすみはなんて返事をするだろう。きっと彼はここには入れない、あまりにも若すぎるし、爽やかすぎるし、入り口のスタッフを騙せるようなずるさを持っていないように思う。いいなーだとかは言うだろうが、会いに来たよと言って後ろから突然声をかけてきたりはできないだろう。彼は。銀色の髪を持つ彼はどうだろう、私がきよすみの誘い以上に禁欲的になって連絡を入れなかった彼は、ここに入って来られるだろうか。もしかして彼ならできるのかもしれない、彼にはあの夜に一緒にいたような、バカで若くて力を持つ友人がいる。きよすみのような健全たる友人とは違う生き物との接触を彼は持ち、そして利用している。きっと、彼はここに入れるだろうがきよすみは連れて来ないだろう、きっと、彼はきよすみみたいな友人とあの男達みたいな友人を完全に分けて日々を過ごしているはずだ。きっと、彼はここに来られるだろうがしかし、私は彼のアドレスが載せられたあのメールを削除してしまったのだから彼に連絡は取れない。だから、彼は来ない。
 若いねー学生でしょ?酒をおごってくれたのではない男に後ろから知ったような言葉を低い声で言われ、駆け引きの為に私は神妙な笑みを作って頷いて見せた。は誰にもらったのかもう新しい酒を持って少し離れたところで踊っている。来るとか来ないとか彼とかきよすみとかメールとか連絡とか。一体なにを考えているのだろう私は。遊びに来たのに。はめを外しに来たのに。せっかく解き放たれたのに。ばらさないであげるからこれ飲まない?男は自分の持つグラスを私に差し出してきて、私はためらいなくそれを飲んだ。テキーラだった。

 先に酔っ払ったのはで、私はそれに気付いてから頭の中が冷静になっていくのを感じていた。連れ立って歩く相棒が酔っ払うと、私がしっかりしないとという気持ちが最近は強く芽生える。最初の頃、彼女と知り合って間もない頃はふたりで完全に酔っ払い気付いたら知らない男の部屋、気付いたらホテル、気付いたら明け方の商店街、ということがよくあったがその度に、ひどい目に遭うのが必ずの方で、その後もその時に知り合った男達に翻弄されまくるのもだという流れに気付いてからの私は、彼女が酔っ払ってからは自分をセーブするくせがついた。彼女とばかをやって騒ぐのは楽しい、こんな男に声をかけられたとか言って笑い合うのも好きだ。けれど彼女がもう散々だった、とか最低、とか呟いてその後しばらく、それをずるずる引きずっているのを私は見たくない。だから私は深夜になる少し前、がへらへら笑って相変わらず踊り狂っているのを、ごく薄いウーロンハイを飲みながらバーカウンターの近くでじっと眺めていた。隣にはあの、テキーラを飲ませてきた男がいてなんだかんだと話しかけてきていたが音楽のうるささであまり聞こえていないふりをし、彼女の動向にだけ注意を向け続けた。私の女友達が例えばひとりだと思われて、手荒な男に連れていかれないように。例えば酔っ払っているのにつけこまれて、さらに強引に酒を飲まされたりしないように。
 「友達かわいいね」
 低いベース音の中男がそう言うのが耳元で聞こえ、私はさすがに返事をしなくてはいけなくなり、かわいいでしょ、と笑って返した。
 「同い年?」
 「どうだろう」
 「学校どこ?」
 「脅してるの?」
 「ああ、違うよ。気になっただけ」
 「手、出さないでね」
 「あの子に?」
 「そう」
 「大丈夫だよ俺、きみの方が好みだから」
 きみ。男がひとり笑っているのが途切れ途切れに聞こえ、気持ちが悪かった。きみ、という言い方も感じが悪く、私はこの男の元を離れたい。けれどこの男はテキーラを寄こしてきた時から私が、フロアに行こうとカウンターに行こうと喫煙スペースに行こうとずっとついてきては、酒をおごってくる。を絶対に連れて帰らなければならない私はここを出るわけにもいかず、やや不安だった。彼女はもうへべれけだ、まともな思考回路はないだろう。私が助ける側だが、しかし私はこの男の追跡から助かりたい。がふらふらとひとり、トイレに入って行くのが見え、ついて行ってやろうと顔を上げた。DJブースの上に掲げられた電子時計が零時を差していた、出入り口からわらわらと集団の男達が入ってきたのを私は見た。その何人かに見覚えがあり、暗く、時々強い光が差す中で目を凝らす。あの、銀色の髪の男と初めて会った時の公園で私達に声をかけてきた若い男達だった。嫌な予感がし、私は身を屈めて女子トイレへと向かった。

 あ、待って吐きそう。何度目かのその台詞を私は聞き、と一緒に立ち止った。ほんとごめん、としゃがみ込む彼女の背中をさすってやる。私達の背後にはあの男がいた、テキーラを飲ませた若い男が。ついて来ないでよ、私はクラブを出た時に遂にその男にそう言ったのだが、心配だから送るよと言われ、不気味に笑われてしまってからどうにも、それ以上の言葉が出て来なかった。どうしてテキーラなんて飲んでしまったのだろう、いやまずどうして、学生でしょ?という問いに答えてしまったのか。あの時は、この男が私達をもっと楽な方へ進ませてくれるただの駒のように思えていたが、判断を間違ったらしい。遊びを割り切れない、下衆みたいな男だった。
 を家まで送ってやりたいが、彼女の家があの男に知れてしまうのはまずいかもしれない。私はそう思っている。私の家までを引っ張っていくべきだろうか、けれど両親のいない私の家にあの男が強引に入って来てしまったら、私と酔っ払っているはどうしたらいいのだろう。彼女は確実に大人のいる、自分の家に帰してやるべきだが、ひとりでは家までたどり着けないだろう。ねえ家の鍵持ってる?地面に向かってきもちわるい、と呟いている女友達に私は尋ね、あるーと彼女は弱々しくも、自分のポケットを指差して見せた。
 「大丈夫?運んであげようか」
 そう男が言った時、私はやはりこの男にの自宅を知らせたくない、と強く思った。この男は恐らくに肉体関係を迫るだろう、その他大勢の男と同じように。それを彼女が許可すればそこに漬け込み彼女をひどい目に遭わせるだろう、その他大勢の男と同じように。では例えばがそれを断ったら。この男はきっと彼女の自宅に、両親に、なんらかの手出しをするように私は思う。彼女の素行がどうだとか、未成年なのにああだとか言って、脅迫まがいのことをするように感じた。私は。堕落して彼女と一緒に今日こうして出歩いたくせに、今は彼女がここ二週間、だるいだるい言いながらテスト勉強をしていた姿で頭がいっぱいになり彼女と、その両親の不幸を一切望まない。
 ねえ誰か迎えに来させよう、この時間起きてるような男知ってるでしょ。背中をさすりながら私はにそう提案した。彼女はしばらくの間反応を見せなかったが、携帯あるでしょ?と私が穏やかに促すとえらくゆっくりとした動作で自分の携帯をポケットから取り出した。それ白い指で操作し、番号を呼び出しているのが見える。誰か呼ぶのかよ、後ろから聞こえた男の声に怒りが含まれているのを瞬時に察し、私のこと家まで送ってよ、と私はとっさにそう答えた。はい、が目のふちを赤くして私に携帯を差し出してくる。思わず耳にそれを当てながら誰?きよすみ?と後ろの男を警戒しとにかく男の名前を挙げた私に、ううんもうひとりの方、とが小さな声で説明した時、携帯の向こうからなに?というひどく不愛想な声が聞こえた。あの、銀色の髪の男の声だった。
 「私。の友達だけど」
 私の声を聞き、意表を突かれたように男は黙り込んでしまった。ねえ聞こえる?男の背後が妙に騒がしいのを感じ取り私はさらにそう尋ねた。
 「聞こえる」
 「今平気?」
 「なに?」
 「が酔ってて。迎えに来てほしいんだけど」
 どこ?男は簡単に訊き、私は周囲を見渡して現在地を告げた。五分で行けそう、と男は答え、通話は切れた。私はさっきまでいたクラブに入ってきた、あの公園の男達のことを思い出している。五分で行けるとなるとあの中に、彼もいたのだろうか。それともこの辺りに住んでいるのか、近くで違う友人と遊んでいたのか。とにかく私は、早く彼がここに来ることを願い、後ろの男と隣のの身を案じている。どうして彼女が彼を呼び出すことにしたのかは考えないようにした、いつの間に彼の電話番号を知っていたのかも。

 「まっすぐ行って。右の小道に入ったらアジアンレストランがあるからそこも右。歩いてすぐある一番でかくて白い家だから」
 確かに五分でやって来た彼の顔を見上げないようにし、やっと立ち上がらせたを押し付けるようにして差し出しながら私は小声でそう説明した。ふらふらするのつむじばかり見つめている私にあれ誰、と彼は後ろの男に関して低く囁いた。そこに確かに嫌悪の色があったのを、私は聞き逃さなかった。
 「私のこと送ってくれる。いいから。行って」
 「ばか言うなよ」
 「いいから。早く」
 持ってあげて。私はの体に彼が腕を回すよう言いつけ、彼はそれに従ったが、睨むように後ろを振り返った。お願いだから早く行ってよ、泣き出しそうになりながら私は彼の背を押している。恐ろしくて後ろを振り返ることができなかった。だからガキはだめなんだ、どうしてああいう男の気を逆立てるようなまねをするのか。力では勝ててももし通報でもされたら、負けるのは私達で、泣くのは私の女友達とその両親だ。早く行け、早く行け、私はそう思い彼の背中をぎゅうぎゅう押している。
 「お前ここにいろよ、迎えに来るから」
 彼がそう言ったのを私は聞いていたが、答えなかった。行って、ともう一度言ったのをきっかけにを連れた彼は歩き出した。暗い夜道を、彼が街灯の光で確認できなくなるまでそれを見つめていた。振り返った時、あの男はやはり、そこにいる。
 「家どこだよ」
 男の豹変した物言いに、声に、私は震えないようにして、歩き出した。





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2014.6.27


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