その夏私は十七歳で、初めて女友達と夏フェスに行った。私は友人をほったらかしにして騒ぎまくり、ステージというステージを回り、オープニングアクトから夕方六時のメインステージのバンドが終わるまで声を張り上げ続けた。





爪痕





 中三の春の夜私に別れを告げた後の仁は、千石くんに頼まれテニス部に入り、あっという間に彼女を作り、そして全く私をなかったことにして過ごすようになった。私達はクラスが一緒であったけれど、授業中仁がこちらを振り返ることはなかったし、廊下ですれ違っても目線一つ寄越さなかったし、たまたま帰るタイミングが一緒になってもさっさと私を追い抜いて歩いていった。私は別れを覚悟していたつもりだったし認めていたつもりだったけれど、現実問題仁にそういう態度をされるとたまらなくなって、二週間家に帰っては泣き続けた。泣き続けたところでその時の私には仁に電話をかけることもできず、仁が今部活に励んでいることや彼女と仲良くしていることを想像しては部屋中のものに八つ当たりして過ごした。あんなに仲良かったのにねきみ達、とある日目を真っ赤にして登校した私に千石くんが唐突に言った時、私はふっ切れ、心臓が固く冷たくなるのを感じた。仁はもういない、もういないし、私なんかなかったようにもう他の女を抱いている。じゃあ私も仁以外の男を探せばいいのだろう、母親はあの時仁と付き合うことを却下したのだから、違う男と付き合っても文句はあるまい。私は片っ端から異性の告白に応え、体を委ねた。
 黒髪であること。いつの間にかそれが私が彼氏を選ぶ絶対条件になっており、両親への小さな皮肉となっていた。彼らは仁の素行と、見た目に苦言を呈しまくっていたのだからいかにも品行方正っぽい黒髪男であればいいんだろという気持ちでいた。いざ付き合ってしまえば黒髪であろうがクズはクズで、金属みたいな髪色であろうがいい奴はいい奴なのだと、私は身をもって知ることになる。私の作った彼氏というのは性欲だけが先行している場合が多く、私自身が体を許すことで彼らを彼氏としつなぎ止める手法をとっていたのだから仕方がないのだけれどとにかく、誰かと付き合う度に私は気が狂った。十代にありがちな全開の性欲を持つ男達に私はうんざりし、しかし私の周りにはそんな男しか集まらなかった。いつだってセックス、なにかにつけてセックス。どんな些細なことも彼らはそれに結び付けた。愛してるから、泣いているから、喧嘩したから、良い雰囲気だったから。眠っている間にさえ体を触られるものだから私はいつもそれにぶち切れ、しかし更に気が変わると獣になりきって応えたりし、私はそんな自分自身にいつも振り回され、疲れては、また気が変わって彼らを大好きであるかのように錯覚した。仁のような冷静さを与えてくれる男は誰一人いなかった、全員が私を苛々させ、泣かせ、最終的に暴言を吐かせた。大体の場合暴言を聞いた時点で彼らは別れを告げてきたが、それでも一緒にいたいという気違いも何人かいて、世も末だなと思って私は笑ってしまった。笑った顔が好きだとか。泣いていたら守ってやりたいとか。絶対に幸せにするとか俺しかいないとかお前しかいないとか愛してるとか。散々言われたけれど、言われる度にそうなのかな、と思ったりもしたけれど結局ふとした瞬間に私は様々なことに陥って叫びだした。一緒に帰ろう、休みの日は必ず会おう、毎日電話しよう、手を繋ごう、遊びにいこう。私はそういう束縛や約束やありきたりな愛の表現にたまらなく腹を立て、ぎゃあぎゃあ叫んだ。もしかしてこの男となら仲良くなれるかもしれない、そう思った男は私にライブに行くなと簡単に言い、私に殴られ私を殴り返した挙げ句別れを告げてきた。それでも、落ち着いている時の私はそれなりに彼氏に尽くしたり、愛想よくしたり、仲良くしたりできていたと思う。CMがガンガン流れるアメリカ映画を一緒に観に行くだとか、安いペアリングを買うだとか、誕生日を祝うだとか、クリスマスを過ごすだとか、初詣に行くだとか、ごく幸せそうなセックスをするだとかも、私はした。バレンタインにお菓子を渡すということすら私はした。それまで料理なんか大嫌いで調理実習は死んだような気持ちで過ごし、絶対にキッチンに立たなかった私がずっとむかつきながらお菓子作りをしたのだった。休日に一人暮らしをしている年上の彼氏の家に行き、晩ご飯も作った。それは、私のプライドをめった刺しにしたけれど私は、普通の女になろうと死に物狂いで努力したのだった。だって私の全てを許容してくれる男なんてものはいない、いないから私は体を許すことでしか男の関心を呼び起こせないし、その先は限りなく努力しないと関係を維持できなかった。
 中三、高一とクラスの違った私と仁が、高校二年でまた同じクラスになった時、私も仁も他校に恋人がいた。私と仁は同じ高校に入ってしまった、入ってしまったというより私は仁がこの高校に入ることを知っていたしそれは仁も同じだった。付き合っていた頃に何度か確認したのは私達が高校に行く意思があること、私達の学力はほぼ同じようなものでその上を目指す気はさらさらないこと、つまり行く先は家から近くてレベルも普通な、地元の普通科しかないということだった。仁も私もお互いにこれまで、散々異性で遊んできていて、それは周知の事実であった。私が男にふられる度に新しい男を見つけ、はたまた夜遊びをして行きずりの関係を築きあげるように仁も、次から次へ彼女を作っては別れ、中三のテニス部貢献なんかなかったように不純極まりなく過ごしていた。私は新学期初日から遅刻して教室に入ってきた仁に顔を上げなかったし、仁も教室の中に目を向けなかった。私には当時一人の彼氏と、不特定多数のセフレがいて、相変わらず努力をし、たまに堪えられなくなって発狂した。笑ったと思えば泣いて、次第にカンカンに怒りだし、最終的に死んだように黙りこむ私に彼氏はいい加減うんざりしていたようで関係は最悪の末期状態で、そろそろふられるのだろうなと思っている時期だった。そうしたらセフレの誰かを彼氏に繰り上げるか、また新しい誰かを探せばいいだろう、その時、私は常にそういう考えでありそういう方法でしか生きていけなかった。一瞬でも、愛されているような錯覚を私は求めていた。あれから二年経っても私と両親は和解できず、家族愛なんてものは見出だせず、とにかく誰かに優しくされたかった。服を脱がせる許可をとる為に言う愛してるが、好きだ、がそれでも嬉しい時が私にはあった。仁の恋人に関しての話は同じ学校にいれば、自然と耳に入ってくる。この間まで社会人と、今は同い年の他校生と付き合って、ほぼ毎日夜遊びをしている。仁の家庭が今どうなったかは知らない。会ったこともない仁の母親が、家に帰るようになったか私は知らない。知らないけれど去年、仁が同じクラスの女子と付き合って四六時中ベタベタしているのを見てからなんとなく、まだ家庭は狂ったままなのだろうと感じていた。
 フェスに一緒に行く。付き合っていた同い年の彼氏のその台詞は私の逆鱗に触れ、私に別れの言葉を吐かせた。むかつく男だった、普段カラオケ御用達のJポップしか聴かないのだから、そういうもののコンサートに一人で行っていればよかったのだ。彼女が行くから、彼女が好きだから、ただそれだけの理由で音楽の趣味を変える人間を私は軽蔑する。ライブのこと、古いパンクやロックのこと。それらに干渉してこられる度に私は男と別れてきた。好きで一緒に行くならいい。私が行くからでついてくる奴は許せない。ライブに行かないで記念日を一緒に過ごそうと言われる度に私は激怒し、すっぱり男と別れてライブに行った。ぼろぼろの男女関係の失恋に対する少しの痛みや、ぐずぐずな自分がもたらした現実に対する悔やみを、爆音は、光は、人波は、完璧に忘れさせてくれた。仁と別れてから私は物凄い数の男と付き合い、物凄い数の失恋をし、物凄い数のライブに行って自宅の玄関前で夜を明かした。その夏、解散したはずの私の最愛のバンドは名前とドラムを変えて再結成していた。


 女友達は私の周りにいる数少ないライブ好きだったけれど、私ががちがちのロックバンド目当てであるのに対し彼女の目当てはジャンルばらばらのバンド達であり、結果的に私達は一緒に会場に行き、会場内で別行動をとることになった。私達はライブには何度か一緒に行ったことがあった、だけど私は最前列に、彼女は中間で躍りまくることしか興味がなかったのでいつも、会場内では別行動だった。日帰りの予定できていた私達は帰りの電車の時間をチェックし、最終的な待ち合わせ場所を決め、それぞれ気楽に会場内をうろついた。二日間の夜通しフェスだったから本当は通し券を買いたかったけれど、高校入学と共にアルバイトを始めていた当時の私にとっても二万円近い通し券は高く、宿代もキャンプ道具も捻出できなかったし、泊まり込みのライブだなんて言ったら親に監禁されてしまうのでできなかった。私は明るい内、数個あるステージを行き来して少々興味のあるバンドをチェックし、本命のバンドが始まる三時間前にポカリスエットを買い、メインステージ前に入り込んだ。まだ知らない若いバンドがのんびり唄っているだけで退屈したけれど、こうして早く入らないと巨大な会場内で、最前列にはたどり着けない。一つ、二つとアーティストがステージから消える度に猛烈な客移動があり、一つ、二つアーティストが演奏する度に人波に圧されて、本命バンドの一つ前のアーティストがステージに上がった時、私は最前列の柵に掴まっていた。フェスは演奏時間が短く演奏と演奏の間のセッティングが長い。きっと邪魔になると思ってイヤホンは持ってこなかった。人波に圧される度にそれが正解であったと確認し、周りのざわつきが聞こえる度にそれを後悔した。名前を変えた私の最愛のバンドが遂にステージに現れる。こんばんは、というボーカルの挨拶の瞬間に私は叫び、ぶっ飛んだ。
 楽しかったね。私がライブ後にその言葉を共有できるのはその女友達だけだ。最前列目指して人に揉まれまくった私はびしょ濡れで、柵にがんがん打ち付けられた為骨盤が痛かった。友達は踊るだけ踊って夕方以降好きなバンドの出演がなかったらしく、着替えも済みからりと乾いていた。私の最愛のバンドがステージを降りたらすぐに帰らないと日帰りが不可能だった私は、着替える暇もなかった。電車の中で互いの見たバンドの話をぽつぽつとし、おもしろかったMCを真似て笑い、あのバンド見た?ちょっと見たよ、と共感を得て、私達は終電に揺られていた。明日学校だね、と友達がふと言って、二人してだるいと言い合った。友達は私より二つ前の駅で降り、電車が走り出すまでホームで手を振っていた。ドアが閉まり電車がまた暗闇に動きだし、友達の姿が完全に見えなくなると、私は不幸な気持ちに陥った。これから帰るのはやはりなにもない地元だし、眠るのは玄関先だし、そこで待つのは両親で、明日から学校だ。フェスはよかった、特に日が暮れてから、スポットが活躍し直射日光が消え最愛のバンドが姿を現した時、私は本当に幸せだった。再結成したバンドはかなり音楽性が変わってしまったけれど、以前と同じか、それ以上の幸せを私に与えてくれた。私は中二の初夏以来久々に完璧にぶっ飛ぶことができた。幸せで、これからを思うとまた気が重い。ツアーでこっちに来るのはいつだろうと、携帯の電源を入れてチェックしたけれどまだ未定のようで、この先のライブだけを楽しみに生きている私にとってそれは悲しい知らせだった。いつもチケットを買っては、次のライブまで生き延びられるような気になって、ライブが終わってはもう楽しみがないから死んでもいいような気になる。次から次へ違うバンドのライブチケットを取ればいいのだけど不幸にも、このフェスを最後に私のチケットのストックはなくなっていた。はあ、と溜め息を吐いた時電車は私の地元に到着する。日曜日だからか、終電なのにいつもより人は多かった。しかし誰もがこの街の住人だ。一人、フェスのTシャツを着た若い男を見付けて嬉しくなった。黒髪だった。声をかけてきたら私はすぐについて行ったかもしれない。だけど私はバンドファンに好かれない。これまで一度もロックやパンクやエモを聴く男と付き合ったことはなかった。フェスTの男も私に見向きもせず改札を越えて行ってしまった。私は暗い気持ちで改札をくぐり、煙草に火を点け夜中の地元を歩き出した。足が痛い。足が痛いし骨盤が痛い。さっき見たら赤く痣になっていた。耳の聞えがいいのは野外だったからだろうか、いつもの詰まった感じがなく私は自分が歩道橋を上る音を、真下を車が走り抜ける音を聞いていた。短くなった煙草を道路に投げ捨てた。足が見える。顔を上げた時、いつかと同じように歩道橋の隅で、煙草を吸っていたのは仁だった。
 「猫灰だらけ」
 雨でも降ったのかよ、まるで初めて抱き合った日と同じように、随分似つかわしくない言葉を吐いた後仁は、私に向かってうっすらと笑った。私は無視をするべきだったのかもしれない、中三の別れの春から今日に至るまで、ずっと仁が私にそうしてきたように私も、仁を無視するべきだったのかもしれない。だけど沈黙を破ったのが仁であり、そもそも無視以前に互いをいないように過ごしてきた私達が言葉を発したのが二年ぶりで、私はどうしたらいいかわからず、しかし相手が仁だから、足を止めてしまった。ああまた白い蛇に捕まってしまったのかもしれないと、くらくらしながら。
 「ライブ。楽しくて」
 「めっちゃ濡れてる」
 「これ全部人の汗だよ」
 仁が煙を吐いて冷たい目で、私を見下ろしている。下から吹く風は完全に夏のもので、暑く蒸して仁の髪を揺らしている。私の濡れた髪は重たく、同じように揺れることはなかった。私は沈黙を受け流し、歩き出すこともできずにまた煙草を取り出し火を点けた。猫灰だらけかあと思うと愉快になって、私は手すりにもたれかかった。仁は隣にいて、私を見ている。
 「帰りたくなかったの?」
 「まあそんな感じ」
 「私は帰るよ」
 来いよどうせ家に入れないんだろ。仁は言い手首を掴んできた。私は叫べなかったし激昂できなかったし抵抗できなかった。まるであの頃と同じように大人しくなり、仁に従うしかなかった。帰りたくなかったのに私を家に連れて帰る仁は矛盾している。矛盾しているけれどこうして仁と、今更になって何事もなかったかのように口を利き、触られ、それに従う私だって矛盾だらけだっただろう。どうして今だったのか。どうしてこのタイミングだったのか。例えば私がフェス帰りでなかったら、彼氏と別れていなかったら、明日が月曜日でなかったら、煙草を吸っていなかったら、夜中でなかったら、ここが歩道橋でなかったら、私は仁を無視しただろうし仁も私に声をかけなかっただろう。私はまた燃え上がる気がしてならない、確かに火種が私の奥底にある。


 「彼女いるでしょ」
 仁の家には誰もいなかった。誰もいなくて、かつてより家庭の雰囲気がなくなっていた。つまりリビングに仁の煙草の吸殻ばかり入った灰皿があったり、様々なものを片付けた様子がなかったり、脱衣室に干される服が全て仁のものであったりした。悪化している仁の家に私は泣きそうになりながら、寝室ではなくリビングに入ってすぐ、振り返って私にぎゅっと口付けた仁にそう言った。火種は確かにあった。あったけれどそれは違うところに移ってしまい、私はめらめらと怒りを帯びている。別れた。あっさり言った仁にまた、私は腹を立てている。
 「なにそれ」
 「お前もそうじゃん」
 「知らないよ私は関係ないじゃん」
 「関係あるだろ俺お前好きだもん」
 「好きなのに二年間なにやってたの」
 「心配してた」
 「心配してた?」
 「お前かわいそうだなと思ってた」
 「かわいそうだなと思ってた?」
 「そう、ずっと気にしてた」
 「今更なに?なんで今日なの?」
 「さっき見たらもう限界だった」
 「うるせえな黙ってろよ散々他の女と遊んだんだろやったんだろ愛してるとか言ったんだろ」
 「いいから。俺がよかったんだろ」
 仁のその言葉で私は完全に削がれてしまった。私の激情はあっさりなくなり、立ち尽くし、その内崩れ落ち、私は仁の前でしくしくと泣いた。仁が私を抱き締めて黙って背中を撫でていた。そこに初めての時の初々しさはまるでなく、見事なまでに私を捉えきっていた。一緒にいたい?仁はわかりきった確認をとり、一緒にいたい、と私は素直に頷いた。私が泣き止み鼻をぐずぐずいわせた時、仁はゆっくり私の髪を撫で、シャワー浴びるか?と微笑んだ。私の髪はぎしぎしと汗で固まったままだった。また頷く私の服を仁は脱がせ、そして自分も服を脱ぎ、私達は初めて明るいところで互いの裸を見た。女と一緒に風呂に入れるようになってしまった仁に私は悲しくなったけれど、ばかだなお前が最初だってと仁がくすくす笑うので私も笑った。私達はシャワーを浴び、抱き締め合い、痩せたとか痣があるとか体を眺め合って、きちんと体の乾かない内にベッドに移動しセックスした。私達は違う異性を知ってしまった互いに嫉妬したり、変わらない部分を懐かしんだり、またこういう風になれたことを喜んだりし、愛してると言った。愛してると言ったのは初めてだった、仁にそう言われるのも初めてだった。そうか、愛してるのか、と私は妙に納得し、幸せに包まれ、決意する。もうこの男から離れない。
 「うそだろ帰るなよ」
 明け方隣の仁を起こさないようにゆっくりベッドを抜け出したつもりだったけれど、起きていたのか目が覚めたのかとにかく仁は私の腕を掴み怖い顔をした。こんな強い力で掴まれるのもそんな怖い顔をされるのも初めてで、冷たいはずの仁が必死になっているのが愛しくて、私はその頬を丁寧に撫でた。
 「帰るよ」
 「無理俺もう絶対離さねえってさっき決めた」
 わかってるよ。起き上がって私を縛り上げるように抱き締めた仁の背中に腕を回し、その背骨を撫でていた。ここにいろよもう誰も帰ってこないから、と言った仁はかわいそうだった。本当に仁の家庭が悪い方悪い方にいってしまって、その時一緒にいなかった自分を悔いていた。
 「帰って話してくる」
 「親と?」
 「そう、もう別れなくていいように」
 腕の中に収まる私を見下ろした仁は初めて、心配そうな顔をしていた。大丈夫だよ、と私は言い、仁は黙ってしばらく私の頭を撫でていたけれどふっと体の力を抜き、私を解放した。大丈夫私はしっかり話ができるだろうし、その後ちゃんと仁の元に帰ってくる。今日学校くる?と私は訊き、仁はやんわり頷いた。じゃあ学校で会おうねと私は言って、初めて仁に自分からキスをした。仁は力なく笑い、服を着る私を横になって眺めていた。臨むぞ。ライブ前のような気合いをまるで楽しくもないのに私は今、持ち合わせている。


 「このまま一人娘が、夜遊び繰り返して不特定多数の男とやりまくっていつか孕んで高校を中退して近所中から白い目で見られるのいいか、一人の男と静かに付き合い続けて高校卒業後一秒でこの家を出ていくのがいいか選びやがれ」
 私は人生で初めて両親がそれまで私にしてきたのと同じように彼等に選択を迫った。長い家族会議と圧迫と説教の末、私は仁と付き合うことを可決された。ただし結婚も、妊娠も認めないし在学中は仁の家に泊まることも、この家に仁を連れてくることも許さないという条件付きだった。私は満足し、自室に戻って鍵をかけると完全にイカれた風を装い、イヤホンでパンクを聴きながら踊った。踊り疲れるとぐっと息が詰まって、泣きながらベッドに入って眠った。私は反抗期なのだろうか、人間の全てが経験する、生き物のシステムからくる苛立ちでいつもこんな風に取り乱すだけなのだろうか。いつかこの渦巻く苛立ちは、私の成長と共にあっさりと消えてなくなり、両親と全てを分かち合える日がくるのだろうか。けれど私は、両親に対して物心ついた時から反抗心を抱かなかったことはない。いつもいつも選択を迫られ、押さえ付けられ、喚いてきた。両親はただ私に、多少の欠陥があっても近所から変な目で見られないような、普通の娘に育ってほしかっただけだろうしそれが案外うまくいかないから、極端な手段をとって私を押さえ付けようとした。私はただ好きになった音楽を聴き、好きになった人を愛し、周囲と同じように過ごせればそれでよかったのに、私の好くものをことごとく否定されるから喚き暴れて家を嫌っただけだった。この家族に生じた誤解やすれ違いやわがままから渦巻く不穏と異常を私はわかっていた。わかっていたけれど音楽と仁だけは譲れない。二度も仁から離れるわけにはいかなかった。
 目が覚めるとぎりぎり午前、という時間で私は仁に明日学校でと言ったのを思いだしわなわなと震えた、あの時帰るなと言った仁の悲痛な声や、表情を思うと登校してこない私をどれだけ憂いているのか想像を絶する。それなのに携帯には一つも連絡はなく、やはり仁は仁のままで、私を電子のしがらみから解き放つのだと再確認し、幸せだった。制服を着て家を出た私に母親はなにも言わなかった。私はイヤホンを耳につっこみ、筋肉痛の体に無理をさせずゆっくり歩いて登校した。今日からまた自然に、気が向いたら仁に構われ、愛護されるのだと、思うと私は音楽を聴きながら、へらへらと笑うのだった。



毒牙 / 毛皮 / 爪痕 / 蛇足


6years after
白蛇 / 赤狐 / 黒猫