付き合って六年。同棲して二年が経った時私達は二十三歳になっていて、次の住居を探していた。犬か猫を飼いたいからペット可の物件を、という私の希望に仁は、犬がいいという答えで承諾した。キツネくんは犬アレルギーだったなと、私は考えている。




    白蛇




 付き合いはじめた時私と仁は十七歳で、高校生だった。同じ高校の、同じ中学出身の人と今更付き合うなんてと周囲によくからかわれたものだったけれど私も仁も、色々な人と、十七歳ながらに付き合ってみての最終的な結論が互いだっただけでとても、それは自然なことだった。私達は所謂モトサヤだった、中学生の時に付き合っていた期間を含めたら一緒にいた時間は、七年を優に越える。私達は、お互い初めての相手だった。それで散々巡りめぐって、やっぱりこいつかなとか思ってしまったタチなのだ。
 私達は言い合いをすることも食い違うこともなく、穏やかに日々を過ごしている。仁と付き合っている、というと昔はよく、すぐ喧嘩になるんでしょと言われたものだけど中学生の時から、私達がいがみ合ったことはない。仁は確かに短気で乱暴だった、今でもその片鱗は残っている。ただ私に対してそれが披露されることはまずないまま、ここまできた。仁は、私といると腑抜けになると昔から言っていた。自分の中の刺々とした、熱気みたいなものが私によって削がれるのだ。仁の方も、私と付き合っていることをあんなに面倒臭そうな女と、とよく言われていたらしい。私は自他共に認める情緒不安定で、よく泣くしよく笑うしよく怒った。だけど仁の熱気が私によって削がれるように私のふらふらした精神も、仁によって安定し、仁と一緒にいる時だけは常に冷静でいられた。私達が、共になることは摂理であり決まりごとであり運命であり幸運であったといえよう。結婚できるよね、高校生の時から私達は言い合って確認し合った。
 「気をつけてね」
 「部屋探しといてな」
 うん、と答える私に押し付けられた仁の唇は生暖かく、仕草は淡白なものだった。私は仁が好きだと思う、毎朝毎晩そう実感する。仕事に行く為に眠そうな顔で、私より先にあっさりと部屋を出ていってしまうところも、夜になるとたまに、まるで中学生の時の、獣であった時代と同じように体を求めてくる瞬間も。なにより私に合っていて、誰より私の好きな男だと思う。
 仁が出ていった後自分も仕事に行く準備をしながら、ソファに投げてあった携帯をちらりと見る。ランプの点滅はなく、まあ朝からメールなんかないだろうと思いつつ、彼からのメールが、まるで不定期であることに油断もできない。


 キツネくんが結婚をしたのは私達が二十歳の時で、それはとても突然だった。ある日仁が携帯を見つめながら帰ってきて、晩ご飯を作っていた私に「キツネ結婚したわ」と言った。「誰と?」私の返事はそれだけだった。大学一緒だった奴だって、と言って仁が珍しく私を、包丁を握る私を後ろから抱き締めてただいまなんて囁くので、きっと他の男にされていたならぶちギレていただろう私もあっさりとその行為を許し、狭いキッチンの灯りを落とし、固い床の上で抱き合った。仁が興奮していたのが痛いほど分かった、私も仁も彼が羨ましかったのだ。結婚したい、そう思った。
 清純くんにキツネ、というあだ名がついたのは高校に入ってすぐの頃、一年生全員必須の現代社会の授業で、学年中が環境破壊と自然保護に関するビデオを見せられてからだった。ビデオの後半に登場した棲みかを失いながらも強く生き抜くキタキツネ、はオレンジ色でふわふわで、何匹かのコギツネと一匹の親ギツネという家族構成の元一面の銀世界で戯れていた。その見た目の可愛らしさと、少し間抜けで元気爆発の挙動と、何よりふわふわの毛皮を見て誰もが、清純くんをイメージした。最初にそのビデオを見た隣のクラスの男子が、現社のビデオに千石がいた、と休み時間に私の教室に笑いを取りにきた。次にビデオを見たクラスの女の子達が、キタキツネ、と清純くんを呼んだ。私達のクラスがビデオを見る時には、いつそれが出てくるのだろうとクラス中がそわそわしていたと思う。真っ白な雪の上に巣穴から這い出てきたキツネが登場した途端、ほぼ全員が笑い、彼の名前を呼んだだろう。清純くん本人が確かに似てるかも、とそれを認めた為その日から、清純くんはキタキツネと呼ばれだした。
 高校卒業後キツネくんは進学をしたけれど、私と仁は就職をした。給料がいい、ただそれだけの理由でなにかつまらない工場に就職した仁は、一ヶ月でその仕事を辞めた。接客はできないと決めつけていた仁はその後いくつかの技術職に就いては辞めを繰り返し、今の仕事を見つけてからここ二年、なんとかそれを続けている。私は勤務時間がそれほど長くなかったホテル業に就いたけれど求人情報に書かれていた詳細がまるで嘘っぱちだと気付きしばらくは頑張ったものの三ヶ月で離職、それからはフリーターとなり女だらけの職場で働いている。勉強をたくさんして面接練習も毎日のようにして大学に入ったキツネくんは十九歳の夏、体調と精神を崩し学校を辞めた。
 私達はその頃まだ一緒に暮らしておらず、でも仁が高校を卒業してからずっと一人暮らしをしていたので半ば同棲という形で日々を生きていた。その日とてつもなくラーメンが食べたくなった私達は、仕事終わりに仁の家の近所にあるラーメン屋で待ち合わせをし、二人して一番安い醤油ラーメンを食らっていた。なんとなく毎日のくだらないことを喋っているとふと流れは学生時代の話になり、誰と誰が別れたらしいとか、優等生だった南がどうしてるとか、仁の悪友が遂に逮捕されたとか、そういうことを開示し合った。「キツネ死んでるっぽい」という仁の言葉に、私は笑って「どういうこと?」と返事をした。仁は少しだけ口角を上げたけれど神妙だったので、大丈夫なの?と私は真面目に話を聞き入れることにした。仁とキツネくんは中学時代から仲がよかった、キツネくんは仁のような笑えない悪事は働かなかったし仁はキツネくんのように部活に打ち込んだりしなかったけれどどこかで、二人は気が合ったのだろう。休み時間に喋ったりたまにどこかに出かけたり、私が仁の家でセックスをしていたらなにも知らないキツネくんが呑気に部屋に入ってきたりしたこともあった。二人の交遊は中学、高校、そして今に至るまで途切れたことがない。私が仁と別れていた中学の途中から高校の途中までの間ももちろん、二人は友人のままだった。だから仁と付き合っている私は、自然とキツネくんとも親しくなった。仁の彼女、と彼は最初私をそう呼んでいて、仁と別れると私を名字で呼び、また付き合った頃には下の名前で呼んでいた。仁はそれなりの嫉妬心を持ち合わせた男だったけれど、例えば私がキツネくんと廊下で喋っている分にはなにも言わなかったし、高校時代もテニスをやっていたキツネくんが肩が凝るとうるさいのでマッサージをしてあげてもキツネくんの頭を軽く叩くくらいで許したし、まるで興味のないフランス映画を見に行こうと私に誘われた時なんかキツネと行けと映画の相手を押し付けたくらいだった。つまり仁にとってキツネくんはかなり許容された友人でありキツネくんに対する信頼は絶大なものだったのだろう。私は高校三年の夏キツネくんと本当に一緒に映画を見に行き、その後コーヒーを飲んでなにもなく帰ってきた。仁は翌日映画行ってきたよと言う私に、俺絶対寝るから、と一緒に行けなかったことを遠回しに謝った。
 「なんかあいつ元々体強くはなくて」
 「そうなの?」
 ラーメンを口に運ぶのをやめて私達は視線を合わせた。カウンターの上に設置された小さなテレビから、海水浴にきていた小学生が波にさらわれたというニュースが流れていた。そんな季節だった。
 「生まれつきらしいけど」
 「テニスやってたのにね」
 「ああ、なんかそれくらいは大丈夫とか言ってた」
 「へえ、でも大変だね」
 「で、あいつ本当はめっちゃメンタル弱いから」
 「ええ?嘘でしょ?」
 「嘘じゃねえよ部活やってた時めっちゃ大変だったんだからな」
 「慰めたりとか?」
 「てかあいつ考え過ぎなんだよ色々」
 そう言って仁は伸びた髪がくしゃくしゃになった頭を、更にくしゃくしゃにして掻いた。面倒臭そうな顔をして。私のキツネくんに対するイメージというのはお気楽で、能天気で、常に全開で明るいやつというものだったから仁が、真面目くさってこうして彼について喋っているのが信じられなかった。
 「で、体調崩しちゃったの?」
 「そう多分大学合わなかったんじゃね?」
 「めっちゃエンジョイしてると思ってたのに」
 「辞めたって聞いた。いま屍、ってこの間メールきてた」
 いましかばね。そんな連絡を仁に入れられるのだからまだまともなように私には思えて、身の内にわいていた重たい不安みたいなものはゆっくりと消えていった。大体友人の彼女、という立場である私には、キツネくんをどうすることもできなかった。心配はできる。だけど仁から話聞いたよ、なんてメールや電話を入れられるような仲では決してない。高校を卒業してからキツネくんに個人的に連絡をしたことは一度もなかった、私はキツネくんのことを、たまに仁の口から名前を聞くことで思い出すような、その程度の存在としか認識していなかった。ニートだから遊んでやろうと思ったけど次いつ休みか分かんねえ、とその時これまでで一番過酷な労働をしていた仁が欠伸をしたので、キツネくんにまつわる暗い話はそこで終わった。私達は幾分伸びてしまったラーメンにまた箸を伸ばし、水を何杯かおかわりした後店を出た。仁の家に帰るまでの間、手を繋いでは歩くのに不都合が出て離す、を繰り返し部屋に着くと、競り合うようにして一緒にシャワーを浴びて同じベッドで眠った。私達はその頃、毎日の仕事に疲れて全くというほど、セックスをしなかった。それでも互いに文句はなかったし、それでも一緒に眠りたかった。


 近からず遠からず、ただ仁がいる為に繋がっていただけのキツネくんと私の交遊が復活したのはここ一年くらいのことで、それは一通のメールから始まった。ある日、仕事で大きなミスがあり連帯責任として様々な後始末を連日やらされくたくただった私の元に、キツネくんからのメールはぽんときた。キツネくん、という表示を見たのは随分と久し振りだった、恐らく学生の時以来だったのではないだろうか。私は一瞬驚き、仁づてに聞いた彼が体調と精神を病んでいたことや、結婚したことがまるでさっき起きたことのように思えて不思議な感覚に陥った。結局私はキツネくんが大学を辞めた時なにもしなかった、ちょっとキツネと飲んでくる、という仁を何度か送りだしただけで私は同伴しなかったし、結婚式の招待状も私宛には来なかった。キツネくんが高校卒業後に仁の家に来たことは私の知る限り、なかったように思う。半同棲していた時も、しっかり契約書の同居人欄に私の名前が記された今の家に越してきてからも。それで私の学生時代の友人と仁の学生時代の友人というのが微妙に違うものだから、友達と飲み会だとかがあっても私達は同じ会に行くこともなかった。つまり私は高校卒業後、一度もキツネくんに会っていないのだ。会っていないし、連絡もしていない。そんなキツネくんが私になんの用だろう、私は憎き職場の休憩室で真剣に、いやに急いで、そのメールに目を通した。
 それはへんに長いメールだった。学生時代の知り合いが久し振りにかわすには、長過ぎるし重たいメールだった。びっしりと携帯の画面一面を埋め尽くすひらがな、カタカナ、漢字に私はくらりとし、それでも食い入るようにそれを読み始めた。「もしかして俺からメールがきたりすると仁が怒るのかもしれないから、もしそうだったら即刻このメールは削除してね。」という言葉で始まったメールはただものではない感じを充分に持ち合わせていた、そしてその文体が、言葉選びが、絵や記号のなさが、とてもキツネくんから送られてきたとは思えなかった。学生時代に私達がかわしていたメールなんてものはたかが知れていて、明日よろしく、おっけー、とかそんなものばかりだったけれどそれを判断基準にしたって、いくら時間が流れたからといって、お互い学生じゃないからといってこのメールは、キツネくんらしくない。ところどころ変な改行は機種の違いによるものだとしても、「それなりに暮らしているの?。」という疑問符と句読点が並んだ文末には違和感しか抱けない。「心境・心情」という妙な区切り方も気になったし、時々敬語になったり、はたまたへんてこな方言を用いたりするのも不可思議だった。一通り読み終わると結局は、キツネくんの近況と突然メールしたのはなんとなく私を思い出したから、という内容に要約できたのだけれど全体を通して、尋常じゃないな、と私は思い、返事に悩んだ。悩んだ末に私の休憩時間が終わってしまい、私は仕事に戻るほかなくなった。その日は終業時間までずっと、キツネくんのメールと彼との少ない思い出と仁から聞いた彼の歴史が頭の中に渦巻いていた。
 キツネくんからメールがきたよ。晩ご飯を作り終えお風呂掃除に励んでいた時に帰って来て、浴室のドアを開けてただいまと言った仁に私は素直にそう言った。付き合って六年、周囲の同世代と比べると異常なくらい仕事に励む私達二人が家で過ごす時間はあまり長くなく、休みも月に三日あればいい方で、仕事終わりにどこかへ出かける元気も残っていない私達は、なにか新しい話題が見つかる度にそれを互いに提供することが習慣となっていた。捨て猫がいた、職場の誰それが辞めた、南が地元に帰ってきてる、昨日高校時代の担任に会った、捨て猫が増えた、玄関のチャイムが壊れてる、キツネくんからメールがきた。それは「うちら仕事しかしてないね」と自嘲し合い、それでも働くしか能がない私達が二人きりで過ごす少ない時間を、少しでも盛り上げる為の手段として利用された。めずらしいじゃん、すぐにドアを閉めて立ち去ろうとしていた仁は興味を持ったような顔をして、そこにとどまり煙草に火を点けた。仁はひっきりなしに煙草を吸っている、中学生の時からそうだった。仁に影響されて喫煙を始めた私も、恐ろしいくらいの量の煙草を吸う。その頃職場でのストレスがピークに達していた私の喫煙量はタール12ミリのものを一日に二箱以上となっていた、仁はストレスなんかまるで知らないという顔をしているけれど常に、「接客以外、自由に煙草が吸える」、を絶対条件に仕事を探していた為これまでずっと、私以上の量の煙草を一日に吸っている。
 「なんて?」
 「なんか普通に。最近どうだとか、元気してた?とか」
 「それだけ?」
 「そう。でもすっごいメール長くて。ラリってんのかと思った」
 私は、キツネくんのメールを読んで尋常じゃないのは感じとったけれども決して、ラリってるとは思わなかった。酔ってるのだろうかという疑問も抱かなかったし、からかっているのだろうかとかふざけているのだろうかとも思わなかった。キツネくんのメールは確かに変だった、長いし、普通っぽくない言葉の区切りをするし、難しい言葉も多いし、おおよそ久し振りの知り合いに宛てたメールにはふさわしくなかった。だけど話の筋道は通っていたし、へんてこな誤字脱字もなかったし、なにより酔っ払いやラリった人間が醸し出す「あ、相手にしない方がいいな」という雰囲気があのメールにはなかった、私はむしろ、丁寧に、そして惹かれるように彼からのメールを読んでいた。だけど仁にラリってるみたいだった、と言ったのはその語感が愉快で、大げさっぽく聞こえた方が話もおもしろいだろうと思ったからだ。もし私が長いメールだったけれど、真面目で、詩的だった、なんてまともにキツネくんのメールを解説したら、仁は即座に興味を失っただろうし私の言葉に笑わなかっただろう。仁はメールを嫌う。もっと言うと仁という男は文字というものを嫌っているのだと私は思う。小説なんか絶対に読まないし、文通なんてクソ食らえと思っているだろう、言葉を文字にしてなにかしらを相手に伝える、という文明を仁は忌み嫌っているのだ、自分というものを思い起こしてそれを文字にする、という作業をヘドが出ると言い切るだろう。仁は寂しければ寂しいと言う。むかつけばむかつく言うし、好きだったら好きだと言う。それらはいつも全て私に、直接言葉にして伝えられてきた。仁からくるメールは昔から、今からいく、とかその程度の連絡でしかなかった。夜な夜な起きて長ったらしいメールをしたりだとか、私達はしていない。仁は毎晩話したければ電話をくれた、会いたければ会いたいと、電話で言った。完全な同棲をして労働に励む今私達の間に、メールのやりとりはない。だからキツネくんが私に長いメールを送ってきてその内容が情緒あふれるものであったと私が言えば、仁は自分に理解できないものとしその話から耳を逸らす。怒ったり嫉妬したりはしない、ただ単純に、高校三年生の時に私とキツネくんが暗いフランス映画を見に行った時のように、自分の女が自分の管轄外のことをしているな、と達観した風になるだけだ。私はそれを今、望んでいない。キツネくんがメールをくれた、ただそれだけを仁と、共有したいのだ。
 掃除を終えたお風呂にお湯を溜めながら、私達は晩ご飯を食べた。仁の私がどんな手抜き料理を作っても一切文句を言わないところを見て、私はこの男と同棲しても苦にならないだろうと確信を持った。おいしい時だけおいしいと言い、手の込んだ時だけ今日すげえと言う、そういう仁はつまり都合がいいだけなのだけど、それを自然体でやってのける仁は自然体で、料理が苦でしかない私を受け入れることになる。幼い頃から母親と不仲である私は料理を誰かに教わったことがない、そして料理というものに楽しみを見出せず、そうしている内にどんどん食べ物を作るということが、コンプレックスと憎悪に変わっていった。仁と別れてまた付き合うまでの間に一緒にいた何人かの男達に、私はそれでも無理をして、なにかを作って食べさせた。けれど出来あがりの味も、見た目も、そして相手の感想も私の想像通りよくないもので、私は将来主婦にはなれないから絶対働きまくって主夫と暮らすのだと腹を括るしかなかった。結局こうして今付き合っている仁は私の作る自信のないものに無関心で、おいしいものにだけ反応を示す、それでも私は腹を括ったまま、そして主夫になる気なんかさらさらない仁も、鬼のように働き続けている。
 「キツネくんって今なにしてんの?」
 「普通に働いてるって言ってた」
 「奥さんは?」
 「まだ結婚してる」
 まだ結婚してる。仁のその言葉に私達は笑い合い、炊き立ての白いご飯とスーパーのお惣菜の魚のフライと、私が作ったお味噌汁とほうれん草の和え物を食べていた。キツネくんが誰かと結婚している。彼が結婚して三年目の周知の事実であるのにそれは、未だに私達を笑わせる効力を持っていた。私も仁も別れている間、人のことを言えないくらい異性で遊んだけれどキツネくんといったら、もう私達の遊びの領域を超えて、常に女の子と遊んでいた。彼女が何人もいた時期やら、人妻にべったりだった時期やら、女の子のキツネくん争奪戦が始まって大変な目に遭った時期やら、人に聞いただけでも本当に多くの逸話がある。キツネくんの結婚式に行った仁は少し酒を飲んで帰って来て、私を抱き締めて、キツネが別れるかどうかみんな賭けてた、と笑っていたくらいだ。そんなキツネくんがまだ、同じ人と結婚生活を続けている。それは、ただそれだけなのに中学、高校とキツネくんを見てきた私達にとっては笑い話だ。
 「返事した?」
 「ううん、長くて。返せてない」
 返してやれよあいつ多分また病んでんだろ、と仁はきっぱり言い切り私に返信を促した。私はこの時の仁のなんでもないキツネくんに対する優しさと気遣いが、こんな風に私とキツネくんを変化させるとは思いもしなかった。仁は単純にキツネくんが友人として好きで、気がかりだったのだろう。自分は彼に長いメールなんて打てもしないくせに私に、キツネくんの相手をしてやるよう命じた。


 仁は音楽を聴かない。彼の車の中で流れているのは大体の場合クラブミュージックで、私はそれを音楽と呼ばないしどうせそれを流している仁の方も殆どそれを聴いていない。だから私が今度休みをとってエモバンドのライブに行かないと死んでしまう、と訴えた時も気の抜けた返事しか戻ってこなかった。文字に関してと全く同じで、仁は音楽にも興味がない、ロックとかパンクとかエモといったって不愉快な顔をするだけだろう。私が仕事に、人間に、疲れて疲れてライブに行って大騒ぎしないと死にそうになるこの感覚が、当然仁には分からない。私には信じられないことだが仁は、ライブやコンサートに行ったことがない、クラブミュージックを聴くくせにクラブにだって行かない。だから一年に最低三回はライブかコンサートに出向く私を、いつも無感動に眺めるばかりで一緒に行ってみようとか、そういう気さえ起こさない。なんてバンド?と申し訳程度に質問した仁にバンド名を伝えたけれど、それは右から左へ聞き流された筈だ。
 週末ライブに行く。仁が隣で先に眠ってしまったベッドの中で、日々の鬱憤や生活やらの話の最後に私はそうメールを書いた。私はその頃、キツネくんと長いメールの応酬をしていた。仁が返事をしてやれと言った日の翌日、私は私なりに努力し、しかしリラックスして、キツネくんの長いメールに半分以下の量のメールを返すことに成功した。半分以下といっても彼の一発目がかなりの長文であったからそれら全てを読み解き無視したり答えたりこちらの近況を交えたりすると私のそれも結構な長さになり、送信完了のアナウンスを見たのは仕事が終わって、家まで歩いて帰る途中の頃だった。一仕事終えた。私はそんな気分で自分の送った文章を何度か読み返した。久し振りに打つ長い文章であったけれどキツネくんからきたそれに比べれば、情緒も彩りも語彙も少なく、つまらない空っぽに思えたのが恥ずかしかったのを覚えている。
 キツネくん二発目のメールはその日の翌朝早くにきて、私達はまだ眠っていた。起きて携帯のランプが光っているのを見て私は不思議な気持ちになった。社会人になり馬車馬の如く働きだしてからというもの、私はあれほどいた友人達と大体疎遠になり、残った数少ない友人というのは私と同じような、労働が全てかのような生き方をする子だけだった。労働者はメールをする暇がない。そして労働者は、往々にして早く寝るものだった、私や仁のように。だから私達が眠っている間にメールをくれるような人間がまだ私の周りにいたのかと、唖然としてしまった。起き抜けに携帯を触る私を仁も不思議そうに見ていた。誰?と普段そういうことに全く干渉してこない仁が、思わず尋ねてきたほどそれは日常的ではなかった。開いたメールのキツネくんの文字に、思わず私はキツネくん、と呆れた声を出してしまった。
 「やっぱり病んでんじゃね」
 明け方三時となっている受信時刻を告げると、仁は眠そうな声で感想を漏らした。私の文字に対する返信と、前回より細かく示された近況、最近私に無性に会いたいのだという、それなのに色気のない言葉が書かれたメールを全て読み終え携帯を投げ出すと、仁は私を抱き締めてとても冷淡に、私の腹部を触った。仁と明るい内に服を脱がせあった経験が私にはない。だから仁が、これから飽くなき労働へ向かう仁が私を、抱かないことは分かっている。それが嬉しい。朝っぱらからセックスなんてしたら私は自分の不健全さに嫌気が差すだろうし、仁が好きであると再確認するが故に仕事に行きたくなくなるだろうし、そんな自分をだらしないと責めるだろうし、結局は仕事へ向かう自分の畜生具合に死にたくなるだろう。なんか食うものある?しばらくして私から離れた仁はベッドを抜け出し、大きく伸びをして私に訊いた。裸の仁の背中の、骨という骨、肉という肉に見慣れた今でも惚れ惚れしながら、ごはん解凍しようか、と私は答えた。
 キツネくんとのメールはそんな風に、互いの時間の合間を縫って長い言葉を紡ぎだし、ぽろりと送り合うという形で今現在までずっと続いている。仁に言わせりゃ時間の無駄というやつなのだろうが意味不明なフランス映画をキツネくんと和気あいあいと観に行けた私にとってそれは、わりとなにか意味が見出だせそうな行為に思えた。しかしエモバンドのライブに行くという私のメールに、二日後に返ってきたメールの、俺も行きたい、という電子の文字に私は戸惑った。キツネくんがエモバンドに興味があるとは思えなかった。私は昔から、音楽を聴かない仁が信じられないのと同じくらい、日本の流行歌だけを聴いていたキツネくんも信じられなかったのを思い出したからだ。流行歌だけを聴き携帯の着信音をチャートが更新される度に変え、カラオケでそれを歌う人種というのは私の中で、音楽を聴かない人間よりもタチが悪い。私の知っているキツネくんというのは完璧にそっち側の人間で、彼に至ってはそれを女の子と遊ぶ為の道具として利用したもう極めつけの生き物だった筈だ。エモとか全く知らないんだろうな、そう思いながら私は、急かない心地いいキツネくんとのメールに気を許し週末の予定を書いたのだった。思わぬ反応とキツネくんから感じられるただならぬ変貌に私は僻易し、仁にこれを今夜の話題として提供できるかどうか判断に困った。行ってこい、と仁は簡単に言うだろう、自分はライブなんかと生涯関わらないと決めつけている男だ。それはいい。私が参っているのは仁のいないところで、変わってしまったように思えるキツネくんと私が会うことだった。仁に対する罪悪感なんてものはない、だって私はキツネくんと自分の間になにかが起きるとはまるで思っていないしキツネくんを男として見られない。それ以前に私は、キツネくんと、絶対にもう私が知っているキツネくんではないキツネくんと会うことを恐れている。
 「明日の夜いないからね」
 ライブ前夜、久し振りに私を求めてきた仁に目一杯応えた後、煙草を吸いながら私は仁に言った。仁は煙を吐き出しながら一瞬訳がわからないという顔をしてその後すぐ、もしかしてライブ?と私に訊いた。やはり仁はライブなんかに興味がない、私がいつそれに行こうとも関係なくて、全く日にちのことなんか頭から抜け落ちていたのだろう。思い出しただけでも奇跡といえるかもしれない。
 「忘れてたでしょ」
 「忘れてた。キツネと行くって言った?」
 「そう。ご飯なにか作っておこうか?」
 仁はああと唸った後、同僚の誰かと外で食べるからいいと答えた。決して口に出さないけれど仁が、私が料理にストレスを抱くことを気にかけているのをひしひしと感じる時がある。だるい、と言いながらご飯支度をしている時は黙って見守ってくれているし、なにもかも嫌になって外食を提案してもさらりとそれに付き合ってくれるし、冷凍食品を連日出そうと文句一つ言わない。私は途端にキツネくんと二人でライブに行くことを、自然な優しさを持ち合わせた仁に対して申し訳なくなったりするのだけど、結局洗いざらいメールの内容を話した私にキツネくんの心身を心配して一緒に行ってやれば?と言ったのは仁本人なので、謝ったりしたらやましいことがあるみたいに思われるような気がしてなにも言えず、黙って仁の鎖骨に頬をこすりつけた。私はいつだって仁の体が愛しい。同じ男は三年で飽きるとほざく世間の女共に言ってやりたい、お前達は選択を間違っただけなのだって。間違いなく自分に合った男に出会えさえしたらその時は、いつまでだって同じ男が愛しく恋しいのだ。
 「ほんと猫みたいだよな」
 私の気まぐれを、不安定を、そして仕草と甘え方を、いつだって仁はそう表現してきた。私は仁と付き合ってから、妙に猫が好きでたまらない。それは親近感と自己愛の塊なのだろう。神々しい、白い蛇みたいな仁に愛される猫でありたいと、私はいつも思う。



 白蛇 / 赤狐 / 黒猫


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2013.11.25