昨日、うっかり四時間から五時間目の途中まで眠ってしまい、私にはお昼ご飯を食べる時間がなかった。というよりもお昼ご飯を食べる、ということ自体をすっかり忘れていた。帰宅していつもの習慣でお弁当箱をキッチンに置き、帰宅した母がその中身を見分した時のあの、見慣れているのだとしてもやや悲しそうな顔というのは、罪悪感しか生まなかった。せっかく作ってくれたお弁当に箸をひとつも付けていないというのは、多忙な母のこなす家事に対する冒涜であると、私は何度目かの反省をした。



眠姫 三度寝





 そんなわけで私は今日、目が覚めている内にと思い三時間目の休み時間にお弁当を食べた。それを侑士が「はしたな」と思わず非難してくれたが、こちらにも色々事情があるので気にしないことにする。非難したくせに侑士は私のからあげを奪い、だしまきたまごも食べたいだとかごね、それをなんとか断っているうちに私のランチは終わってしまった。一口、まだ冷たい水筒のお茶を飲むと深い息が出た。お腹が満たされ、私はぼんやりとした眠気に襲われている。外はぽかぽかといい天気だ。寝るものか寝るものか。それほど大きくはない眠気が訪れた場合、私はいつもそうして念じて、自分の手の甲をつねるだとかして目を覚まし続ける努力をする。勉強をしなければいけない。
 「なんだ。が起きてるの久しぶりに見たな」
 四時間目、教室にやって来た国語教師は私を見て半笑いでそう言った。ここ数日、毎日のようにある国語の授業を偶然にも私は寝て過ごしていたらしい。思えば、私の方も彼の顔を見るのはずいぶん久しぶりのように感じた。
 「ごめんなさい、今日は起きていますから、どうかご鞭撻のほどを」
 机についたまま丁寧に頭を下げて見せると彼は笑い、周囲からもくすくすとした笑いが漏れた。私は教師達に反抗しない、そんなことをする理由がひとつもないし、自分が彼らにとんでもなく失礼な態度を日々とっていることを理解している。だから起きてさえいれば、しっかり授業を受けるしああだこうだと反論しないし、皮肉のようなことを言われても真摯に受け止める。教科書読みを当てられればきちんと立ち上がり大きな声でそれをやり遂げるし、わかる問題があればすぐに手を挙げて答えるし、実験なんかにも積極的に参加する。私は罪滅ぼし的に行っている自習のおかげでテストの成績はいいが、いつも授業態度の審査で完璧な評価を得たことがない。居眠りをして、ちょっとやそっとじゃ目を覚まさないのだからそれは当然だろう、だから、せめて起きている時だけは真面目に、熱心に、授業を受けている。

 昼休みになり、昼食を既に済ませてしまった私は手持無沙汰になった。周りが次々とお弁当を取り出して友達とグループを作って机を囲んだり、それとも教室を出て行くのをしばらくの間眺めていたが、なんだかひもじい子どものような気分になり、窓の外に目を向けた。相変わらずの、いい天気だった。私達の教室からは中庭が見える、芝生が青々と茂り、少しの傾斜になっていて下っていくと小さな池が中央がある。確か鯉とか、それとも成長しすぎた金魚かなにかがいたはずだった。太陽の光を受け芝生は、きらきらと光って見えた。眠りたい。私は唐突にそんな衝動にかられる。「からあげ返すわ」、侑士が突然やって来て私の口の中に自分のお弁当のからあげを突っこんできて、もぐもぐと礼を言いつつ私は、窓の外の景色について思いをはせていた。
 吸い寄せられるように中庭に来ていた。ここで眠りたい、芝生の上で、お日様なんかに当たりながら。眠気は眼球の裏側にまで来ている。朝からちゃんと授業を受け、お昼休みになり、食事は終わった、残り30分弱、私にはやるべきことがない。だったら少し散歩をし、昼寝の場所へたどり着く権利は確かに私にあるはずだ。そう思うとめきめきと幸せな気持ちがわいてくる、眠りたい、眠りたい、眠りたい。
 「おんなじこと考えてたねー」
 池の近くまで下りようか。ふらふらとさまよっていた時に足元から声が聞こえ、先客を発見した。慈郎だった。
 「もう、芝生見てたら。眠くて眠くて」
 「そう俺もー、二時間目くらいから今日は中庭行こうって決めてた」
 えへへ、芝生に既に寝転んだ彼と彼を見下ろす私は同じタイミングでゆるゆると笑った。やわらかな日差しが私の肌を包んでいる、足元には芝生と、慈郎がいて。私は大変に健やかな気持ちになり、ゆっくり靴を脱ぐと彼の隣に仰向けになった。はあ、と気が抜ける。
 彼と比較されること、それともいっしょくたにされることの多い中学生活だった。彼もまた私と同じように、いつでも、ところかまわず眠ることができる。二年生でクラスが一緒になった時なんかひどかった、先生達は教室に入ってくるとまず慈郎か、私か、それともその両方を起こしにかかり、片方が起きたらもう片方が眠りはじめて最後には諦めて笑い出してしまったりとか、目が覚めたら教室に私と慈郎だけが取り残されていて実はその時体育の授業だったとか、クラス総出でその年の卒業式の最中私達をいかに眠らせまいかと作戦を立てたりとか、とにかく私達は様々な障害となって存在していた。男子は慈郎を起こして、女子は!それが学校祭シーズンのクラス長の口癖だった。芥川は起きてたのに、と私はよく先生達に言われたし、慈郎はというとだって起きてたんだぞ、とよく先生達に言われていた。どちらが一日多くの授業を眠っているのか、暇な男子がある時一週間分の私達の居眠り時間の統計を取り、1時間50分慈郎より眠っていたらしい私は、週明けの月曜日にクラスから手書きの表彰状をもらったりした。
 けれど慈郎は部活をクビになっていない。それは私よりも彼の寝覚めがいいからだし、きっと彼の方がしっかりしているからだろう。あの夏までの間に私は何度も部活中に居眠りをし、慈郎もそうであったけれど、慈郎はとんと肩を叩かれればわりと簡単に起きたし、そして重要な場面では決して眠らなかった。自分の試合の寸前だとか、決起会での先輩達の挨拶の最中だとか、ここ一番というミーティングの時には決して、眠らなかった。私はというと自分の仕事をまるっきり放棄して、眠ってしまっていた。私はたびたび自分と同類扱いされる慈郎がかわいそうになる。彼に業はない、私と違って。
 「慈郎はえらいよね」
 私は半開きの目で青空を眺めながらそう呟き、もう寝てしまっただろうかと思った慈郎はしかし起きていて、
 「んー?なにが?」
 と穏やかな返事を寄こした。
 「ちゃんと、大事な時には起きてるから」
 んー?、首を捻って見た慈郎はとぼけたような、それでも考えるような顔をしてしばらく自分の頬をかりかり掻いていた。ここでこうして横になっていると、芝生が肌という肌をくすぐるのだ。私の頬も、腕も、太もももさっきからずっとかゆい。慈郎と同じようにかりかりしたいが、けれど眠いし、そのくすぐったさというのは、反面心地よくもあった。部活のこと言ってるの?慈郎が言い、そうだよ、と私は答えた。
 「でももそうじゃんボール拾ったり、誰かの手当てしたり、練習試合の時は起きてたでしょ」
 目をごしごしとこすりながら話しはじめた慈郎を見ているのは少しばかりつらかった。眠いだろうに。寝てもいいんだよ、言いたくなり、すぐに自分が話しかけたことを思い出して取りやめた。「あー、まあそうだけど」、私は慈郎に対してそんな返事をしている。あーまあそうだけど、だけど、結局のところ私は眠ったのだ。体を動かさなくてもいい、けれど重要な場面に、それも何度か。歯切れの悪い私の返事をとりなすように、慈郎は言葉を続けた。
 「だからさあ、みんなが起きてられるように協力したんだよ、が真面目にマネージャーやりたいのみんなわかってたもん」
 「そうなの?」
 「そうだよーみんなが大好きだったしがんばってほしかったんだよ」
 そっか、なんか、ごめんね。私は寝っ転がりながらも、ずきずきと胸が痛かった。がんばってほしかった、それは優しい同級生達の純粋な総意だったのだろう。私はそれを、裏切ってしまった。
 「いいよがんばったでしょ?俺らね、三年になったらがマネージャーに復活したらいいなって思ってたんだよ、三年生の権限でそれくらいできそうじゃん?でも春にさ、跡部がそれはだめって言っちゃって」
 ふわり。欠伸をして慈郎はそう言った。そんなことは初耳だった。そうだったの?そう言って起き上がりたい気持ちではあった、けれど体を包むのは眠気と心地よさであり、私はそんなリアクションなんてまるでできず
 「そうなの?なんで」
 だとか。のんびりした疑問を返した。
 「さあ?やきもち妬くんじゃない?」
 「やきもち」
 「やきもち。てかめっちゃかわいいちゅーしたい」
 唐突に慈郎は言い私の頬に手を伸ばした。私は眠く、慈郎もよっぽど眠たそうな顔をしていた。私は慈郎をこわいと思わない、もっと言うと彼のそういうところにドキドキしたりもしない。なんて無垢な子なのだろとは思うが彼の言うちゅーしたいとか、ぎゅっとしたいとか、そういう言葉に緊張を抱いたりはしない。だって、慈郎は眠いのだ。まるで私と同じように。ともすれば眠気が、すべての欲求よりも勝るのを私は知っている。食べるより寝たい、性的な行為に臨むよりもただ寝たい。
 「したいけど、跡部に悪いから我慢しよー」
 こういう風に。眠気は冷静さよりももっと強い、諦めのよさみたいなものを呼び起こす。それで人間にばかなまねをさせるのをやめさせてしまう。しない理由、をいくつでも思い当たらせる。おやすみ、と慈郎は告げて伸ばした手を私の肩に置き、ゆっくり目を閉じていった。

 ぐいっとほっぺたを抓られ目が覚めた時私は景吾の膝の上にいた。私は確かに芝生の上に寝転がっていたはずなのに、やって来た景吾にどうにかこうにか体を起こされ、いつの間にかこんな体勢になっていたのだろう。まるで記憶にはなかった。景吾だ、私は目の前に見える顔に嬉しくなり笑ったが景吾は、珍しくむっとしたままだった。
 「ここにいた」
 「うん」
 「俺以外の男とふたりで?」
 「あーなんか、お昼寝にちょうどよくて」
 慈郎と、とまだ景吾の足元で眠っている首で示して見せたが。景吾は私の頬を両手で包み自分の方を向かせた。へへへ、彼のメンズ雑誌のモデルみたいな顔を見てふいに笑ってしまった私の唇に、景吾はむすっとしたままその美しい唇を押し付けてきた。午後の温かな日差しの中。
 「目、覚めたか」
 「覚めないーもう一回して」
 しっかりしてんじゃねえか、そう言って景吾は私の願いを叶えてはくれなかった。景吾だいすき、起こされて頭の中がふんわりと眠いままの私は幼児のように景吾に甘え、その首の後ろへ腕を回した。日光に当たっていたらしい彼もまたぽかぽかとしており、いいにおいがして、気持がよかった。はあ、大きなため息を吐いた後景吾は、しばらく私の後頭部を撫でていた。
 「戻るぞ、休み時間終わる」
 景吾の腕の中でもう一眠りできたら、そう思っていた時そんな冷たい言葉を振りかざし、半ば私を振り落すようにして景吾は立ち上がった。へなへなに座り込んだ私は彼を見上げ、彼は日の光の中、私を見下ろしていた。早く、そう促されはい、と右手を差し出すと。もう一度ため息をたっぷり私に聞かせた末、彼はその手を取ってくれた。慎重に立ち上がり、靴を履きなおすのを見守られていた。
 「ねえ慈郎は?起こさないの?」
 ほら行くぞ、踵を返し校舎へ向かって歩き出した景吾の背中に尋ねたが、振り返った彼は
 「こいつはアラームで起きれるからいいんだよ」
 と顎で慈郎の腰のあたりを示して見せた。見やったそこには携帯電話がぼろりと落ちている。5分後か10分後か、昼休み終了前にとにかくそれは鳴って、きっと慈郎を起こすのだろう。そして慈郎は、そういう電子音ひとつで目を覚ますことができるのだろう。やはり慈郎はしっかりしている、私とはかけ離れて。
 「ていうか大体なんで起こしてやんなきゃいけないんだよ人の女と昼寝なんかしやがって、反逆罪もいいところじゃねえか」
 景吾はそういつものように過激な悪態をつき、足早な彼に私はなんとか追いついて並んだ。もうすぐポケットに入ってしまうであろうその手を、ぎゅっと握る。
 「ねえそれってもしかしてやきもちなの?」
 尋ねた私を景吾は見、まるで宇宙人にでも遭遇したかのような表情をして見せた。
 「お前は嫉妬とかしないのかよ」
 そしてそんな風な、寝起きの私には難しい質問を投げかけてくる。うーん?と私は首を傾げた。
 「俺が他の女とだらだら一緒にいてもなんとも思わないの?」
 「だって景吾は人気者でしょ、私と付き合う前からずっと」
 私女の子にきゃーきゃー言われてる景吾しか知らないからそれが普通なんだと思ってるよ、欠伸をしながら説明する。景吾は数学のテストで難問にぶち当たった時の侑士みたいな顔をしていた、景吾は頭がいいし、私とずっとクラスが違う。だから彼の勉強わかんねー!という顔を私は知らない。ゆえにその難解な表情が、とりあえず侑士と似ているとか、そういう表現しかできなかった。
 同級生達の輪の中にいつの間にかいた景吾がクビになって泣いた私の頭をよしよしと撫でた、そのずっと前から彼は人気者だった。平たくいうとモテていた。彼の顔は整っていたし、立ち振る舞いは大人っぽく、スポーツができて、勉強もできて、それでちょっと横暴である景吾は、私が彼の存在を認識する以前から、女の子達に騒がれていたはずだ。私が何度目かの部活に行き、何度か女子マネの手助けによって起こされた頃、景吾が同級生でテニス部であるのを知った。初日の部活に遅刻していった私は自己紹介の時間に出席できておらず、日を改めて親切な侑士か亮が景吾を紹介してくれたように思う。その時には、女子マネの何人かが景吾がかっこいいとくすくす笑っていたし、クラスの子が何人か、休み時間に景吾の教室の前を通り過ぎては彼の姿を眺めていた。私が景吾と付き合った時、周囲から受けたのは羨望だった。いいなあいいなあ跡部くんと付き合えるとか、めっちゃ幸せ者だよ、絶対ふられちゃだめだよ、寝ぼけて変なこと言わないようにね。羨望はいつの間にか穏やかな警告に変わり、やはり時々景吾の彼女であることを賞賛されながら、私は私のままだらしがない眠りたがりだったし、景吾は景吾のまま人気者だった。相変わらず景吾は景吾くーん、と体育の授業でなにかの試合があるたびに同級生達から声援を受けていたし、跡部くんって天使の生まれ変わりかなんかなの?と明るい先輩達に休み時間囲まれたりしていたし、バレンタインには恐ろしい数のプレゼントを貰い、誕生日には歩いているだけでおめでとうの声を四方から浴びせられていた。それは、私が彼を知る前から始まっていたことで、衰えることなくむしろ彼が三年生になった今、熱は過去最大にもなっているように思う。人気者で、女の子に好かれ、男の子達と仲良くやっている。それが私の知る変わらない景吾であり、そのことを不愉快に思ったことはない。
 「私が部活に戻るの、反対したって慈郎に聞いたよ」
 ふとそんなことを思い出し見上げた景吾は一瞬、怯えたような顔をした。初めて見る顔だった。それでその後すぐにその色を掻き消し、あの野郎余計なこと言いやがって、とまた、悪態をついていた。
 「ありがとう景吾は間違ってないよ」
 私は器用なまねができない、例えば強がって笑うとか、演技で泣くだとか。だからその時私は、心底笑って彼を見ていた。景吾は拍子抜けた様子で、じっと私を眺めていたが。その内ふっと笑って満ち足りた顔で、私の頬を指の表側でそっと撫でた。慈郎のそれとはやはり違う感触に、私はもう一度欠伸が出た。






二度寝四度寝


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2014.7.10