あのおさんね、悪いんだけど、今学期の僕の授業での態度の面でね、ちょっと居眠りが多すぎるかなあっていうのが気になってて、あと何回か居眠りされちゃうと、ご両親を学校にお招きしてお話合いすることになっちゃうんですけど。
 授業開始後すぐなんだかえらく申し訳なさそうに私にそう告げてきたのは定年退職間近の穏やかな数学教師で、私は大変恐縮して自分の席から彼に向かって頭を下げすみませんと謝罪し、クラスメート達はからからと笑っていた。授業態度という評価の方法がポイント減点制となっているのかは知らないが毎年学期末になると私は様々な教師にそろそろ両親を学校に召喚するぞと説明され、そのたびに頭を下げてはきゅっと苦い思いをしている。



眠姫  五度寝





 だから毎度学期末付近の私はいつも以上に緊張し、眠気の訪れを恐れている。一年生の一学期末、私は散々教師たちにあと何回居眠りで両親召喚、と言われたにも関わらず居眠りを繰り返してしまい本当に、母を学校へ呼び出させてしまった。私はある日の放課後職員玄関前で若干整った格好で現れた母を担任教師と共に出迎え、足並みそろえて三人で生徒指導室へ行き、親子並んで担任教師を前にして席につき、説教のような注意のよう指導のようなものを受けた。成績は悪くないんです、ただ本当に、居眠りが多くて、そう説明する担任教師に母は何度も頭を下げていて私は、何度も心を痛めていた。彼女が学校へ呼び出されたのは今のところ、あの一回だけだ。その次の学期から今日にいたるまでの毎学期末、私は教師たちがこぞって両親の召喚を口にしてからというもの、死にもの狂いで目を覚ます。もちろんぐずである私はそれでも時々眠ってしまい、あと何回、というその数字が減っていくことにがたがたと恐怖した。学期末頃私の隣の席になるクラスメートは毎回違う人物だが、ありがたいことに彼らはその席を得たことに妙に使命感を持つようで誰も彼も、私を眠れらせないように手伝ってくれた。英和辞書の角で後頭部を小突くとか、クリアファイルの束を叩きつけるとか、固くまるめた消しゴムのカスをぶつけてくるとか、わあ、という大声を突然上げるとか、私の座る椅子を突然引くとか、そういうことで。普段だったら眠り続けるかもしれないそういう手段も、また母が呼び出されるかもしれないという恐怖心を抱いた私にはよく効いて、私はこれまで二度目の三者面談を行わずに済んでいる。今日も居眠りを注意されたばかりの数学の授業中にうっかりうとうとしはじめ、右隣の席の女の子にふとももをぴちりと叩かれた。私はそれで目を覚ましありがとうと言い、彼女は小さくくすくす笑っていた。ドリフみたいに上からタライとか降ってきたらいいやんな、侑士がぽつりとつぶやいたその言葉に、優しく穏やかな数学教師がむせこむほど笑っていた。
 「なんだ忍足くんいないじゃないっすかー」
 教師たちが遂に三者面談を遂にちらつかせてきたことで私は毅然とした眠らない、という気持ちを抱いたため昼休み以前の起きている時間にお弁当を食べてしまう、という行為を取りやめた。私は起きている、今日から今学期が終わるまで絶対に眠らないのだから、昼休みにきちんとお弁当を食べることができる、そう思い、親切なクラスメートのおかげで確かにそれを実行し昼休みを迎えお弁当を広げた。いつも隣の席の女の子の席に何人かの部活仲間が集まるので、私もその集団に混ざり込んでおしゃべりをしながらお弁当を食べるのが習慣になっていた。「ブレスを愛の囁きと思え」、吹奏楽部部長による熱血すぎる顧問のものまねで笑っていた時教室へ現れた岳人はそう言い、ざんねーん、と吹奏楽部員たちにきゃっきゃと返事をされ、ふわりと笑ってこちらへ向かってきた。侑士体育館でバスケするって宍戸達と出てったよー、部長がそう説明し、マジかよ元気すぎんだろ、と呆れた具合に返事をした岳人はいつの間にか、私達のそばの空いた椅子に腰を下ろしている。とても自然に。「岳人もいけばいいじゃん」「むり、俺もう部活の分の体力しか残ってない」「ええ?なんで」「俺らのクラス三、四時間目柔道だった」「もう柔道入ってんの?」「そう今日から。柔道部の奴に殺されるかと思った」「ははは。あーちょっと勝手に飲まないでよー」、私の隣の席の子のペットボトルのお茶に岳人が勝手に口をつけ、彼女は笑ってそれを非難し、吹奏楽部部長が岳人の頭をぱしりと叩いていた。私は欠伸をし、それを岳人に目撃されている。
 「めっちゃ眠そう」
 「うん」
 えらくて、今日朝からずっと起きてんだよ。誰かがそう説明してくれたと思う。その時にはもう私の頭のてっぺんは白くあたたかい眠気でいっぱいだった。昼休みが終わるまであと15分はある、15分、昼休みに眠ったところで私は誰にも咎められない。五時間目の号令の際にぱっちり目を覚ましてさえいればいいのだ。あー学期末だもんな、去年私とクラスが一緒だった岳人が察しがついたようにへらへらと笑っていて、その返事を友人達に任せ私は、気休めに携帯のアラームを設定している、今から14分後に。きっと14分後に私を起こすのは携帯のけたたましいアラーム音ではなく、使命感通う隣の子か、尊いクラスメート達だろう。それに甘える自分を責めるも一瞬で全てはぶっ飛び、私はくらりと眠りに落ちた。高い崖から飛び降りたらきっとこういう感覚に陥るのだろうというような、強い重力に引っ張られそれに身を任せているような快感があった。うわ、寝た。岳人のそんな声が最後に聞こえた。

 テニス部のマネージャーになって少しすると氷帝に入って初めての試験があり、その一週間前から試験勉強期間が設けられ部活動は全面禁止になった。それまで毎日毎日土日関係なく、部活をしてきた私達一年生は初めて、部活のない一週間を手に入れてしまった。そしてその頃テニス部の一年生は、もうかなり仲がよくなっていたし私は、もう土日の朝は部員達に目覚ましを手伝ってもらっていた。部活もないしどっかで集まって勉強会する?という意見は部員内で聞こえはしたが、少数派であったしそんなに本気で提唱している感じでもなくて大体は、部活もないしちょっとみんなで遊ぼうぜ、という方向に話が動いていた。部活がなく、六時間目が終わればすぐ帰らなければならないのだが一年生最初の試験なので大して難しいテストにはならないことは予想されており本格的に試験対策する必要もなく、普段はへとへとの部活終わりに遊ぶ気なんか起きない自分達にこんな機会はめったにないのだから、暇だし、みんなで遊ぼうと、特に岳人と侑士が強く提案していたように思った。部員たちは乗り気で提案はどんどん具体的になってき、放課後ではなく試験二日前の土曜日に駅前でとか、早めに帰って勉強したい子がいるから午前中集合でとか、そういう詳細が決められていき私は、それを断った。うそやん真面目か!、そう言う侑士に首を横へ振って見せていた。試験勉強期間が始まる二、三日前の部活終わりのことで、コート裏に一年生が集まってわいわい土曜日の計画を練っている時だった。
 「ううんちがくて、ぬけがけして勉強しようとかじゃないんだけど」
 「なんか予定あった?」
 「ないんだけど。えっと」
 「なんやねんもう」
 「あの。休みの日はできるだけ寝てたいなあって」
 その一言でみんなが静まり返り、まずいと思った私は弁解するようにだって丸一日休みとかすごい久しぶりだし、と言葉を続けその瞬間、その場にいた全員にげらげら笑われてしまった。なんだそれふざけんなや、侑士が言い、働きづめのOLみたい、とマネの子が笑い、俺だってそう思ってたけど言わないでおいたのにー、と慈郎に咎められ、ごめんごめんと私は謝った。起こしに行ってやるからくればいいじゃん、みんながわいわいまたおしゃべりをはじめた時隣にいた岳人が小声でそっと告げてきたが私は、首を横に振ってごめん、と繰り返した。
 「行きたいんだけど。でもずっと、テスト前の土日に寝るのを楽しみにしてて」
 「お前さあ、彼氏とかできてデートしようぜってなった時どうすんだよ」
 「わかんないけど」
 「映画観に行こうとか買い物行こうとかなるわけじゃん」
 「うーん」
 「じゃあ例えば俺が日曜一緒に遊園地行こうぜって言ったらどうする?」
 「それより寝てたいよ」
 「じゃあ飯食いに行こうぜ」
 「岳人。眠いよ」
 「わかった。一緒に寝るか」
 ひらめいた、それとも呆れた、そんな感じで告げてきた岳人のその言葉を聞いた時、私は欠伸をしつつふわりと笑っていた。今思えば岳人というのは、あの年齢にしてずいぶん女の子と会話をするのがうまかったのだと思う。ただおもしろいとか、ただ物を知っているとか、そういうのではない女の子のちょっとしたところをかさっとくすぐるような、そういう話し方のできる男の子だった。こいつ俺よかよっぽどちゃらいやんな、と侑士が言い、お前絶対ろくな大人になんねえぞ、と亮がため息を吐くのを、最初はなんのことだろうと思っていたが。たびたび彼が女の子の輪の中に入っていって違和感ひとつなくその場を過ごしていたり、とても親密な風に女の子と一対一でおしゃべりを続けたりしているのを見、それでたびたび、好きですと告白されているらしいというのを聞いていくうちに私は、侑士や亮の言葉を実感していった。姉貴いるから女の扱いは慣れてんぜー、三年生になったある時岳人がふざけてそう言ったのを聞いて、私は神妙に頷いていた。

 「添い寝してやろうか」
 私が目を覚ましたのは11分後で、それはアラームでもクラスメートでもなく、景吾によって執行された。景吾だ、そう言った私の声は声になっていなかった。彼は机に伏して眠っていた私の後ろ首をがっしり掴み、絞めるようにして私の顔を覗き込んでいた為私は、声を出すことができなかったのだ。ちょっと跡部くん乱暴すぎない?、いやこれくらいしないとこの子起きないんだって、ちゃん起こしてもらえてよかったね、周囲の吹奏楽部員たちの声がちらほら聞こえ、くっそあっつ!という岳人の毒づきで完全に頭がはっきりとした。へへへ、彼の熱帯雨林の王者のような鋭く整った顔に声のないままそれでも笑ってしまった私を見て景吾は、やっと首を絞めるのをやめ机から体を離した。
 「おはよう今岳人の夢見てて」
 「はあ?」
 俺のじゃねえのかよ、という景吾の声と俺のかよ、という岳人の声は見事に重なり、寝起きの頭にがんがんと響いた。岳人の夢っていうか昔話っていうか、と私はもにょもにょ説明したがいつかのような、ふざけた言い争いをしはじめたふたりには届かなかっただろう。
 私がクビになろうとならなかろうとテニス部は変わらないし氷帝は在り続けるし私の眠気は治らない。土日も関係なく部活はあり、試験勉強は真面目に取り組まなければまるっきり合格点なんかとれないレベルになってきて、私は暇さえあれば眠いのだ。彼氏とかできたらどうすんだよ、一年生のあの日岳人はそんな示唆をし、彼氏ができた今私は、景吾とろくにデートもしたことがないことをしみじみ考えている。どこかへ出かけようと景吾は言わないし、私もそれに異存はない。私の睡魔を景吾は許すし、景吾が打ち込む部活を私は心底好いている。たまに遊ぶとしたって場所は景吾の家であり、そこで眠ければ私は寝てしまうし景吾は文句を言ったりもしない。デートができない私には、デートを必要としない景吾が寄り添っている。幸せを噛み締めたつもりが欠伸が出て、溢れて頬を伝う涙を景吾が拭い、だいすきだよと、私はぼやいている。





四度寝六度寝


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2014.12.1
えーっと。多分続きます