目が覚めると日曜日が終わっていた。確かに私がベッドに入ったのは土曜日の夜だったはずだ。暗闇でぴかりと光る携帯の画面の、01:38[mon]という表示に私は、さして驚かない。ああまたやってしまったな、といったくらいで今は、それよりなによりまだ眠気に襲われている。着信5件の文字を見た。ああ景吾ごめん、そう思うがしかし次に目を閉じた時、私はもう夢の中だ。



眠姫





 ベッドサイドに置いた5個の目覚まし時計と、2台の携帯が一斉に音を立てはじめるのは朝7時。すべて別々のその音を右から順に止めていくが、最後のひとつをoffにした端からまた最初のひとつが鳴りはじめる。三度から四度、そのローテーションを繰り返した頃やっと私の目が覚める。そうするともう7時20分だ。
 朝ご飯を食べ終えシャワーを浴びている時にはすっかり頭が動いていて、今日の一時間目はなんだっただろうとか今日の髪型をどうしようとかまともなことを考えることができる。髪をドライヤーで乾かしながら不器用に歯を磨く時、また少し眠くなるが。制服を着て鞄を持ち家を出てしまえばまた、目が覚めている。
 「お前なあまた寝てたのかよ」
 おはようではなく。そんな文句を第一声にする景吾はいつもの通り、家を出てすぐの角で私を待っていた。へへへ、呆れ顔の景吾が恋愛ドラマの主人公のように見え思わず笑う私を三秒くらい、呆れたまま景吾は見ていたが私が隣に並ぶ頃には、気の抜けたように笑っている。
 「おはよう私すごく体が軽いよ」
 「日曜日丸一日寝てたらそりゃ全回復するだろ」
 「ごめんね電話いっぱいくれてたの見たの、夜中だったから」
 いいよ、と景吾は言わない。決して言葉で私を許したりはしない。けれど怒ったり責めたりもしないので恐らく、彼は私を認めているのだろう。いつでも眠く、いつまでも眠れる私を。
 テニス部のマネージャーをクビになったのは一年生の夏休み前だった。私はあの頃も、今と同じように眠かった。恐らく物心ついた時から眠かったのだろう、母が言うには生まれた時から大変よく眠る子で、死んだかと思って半狂乱になって叩き起こしたり、死ぬのかと思って何度も病院に連れて行ったりと、かなり親に心配をかけさせる赤ん坊だったらしい。眠りにとらわれながらも私は中学生になり、眠い眠いと思いながらも中学生らしい新展開を希望し、入学してすぐテニス部のマネージャーになることを決め入部届けを提出した。新入生の部活初日、私がやったことといえば寝坊で、起きた時には夕方6時、場所は自分の教室だった。つまり私は五時間目か六時間目から自分の机で居眠りをはじめ、授業やHRや清掃の時間をすっ飛ばして眠り続け、放課後がじっくり過ぎた頃にようやく目を覚ましたのだった。誰か起こしてくれなかったのか、という憤りを当時の私はほとんど感じなくなっていた。幼い頃からこの体質に付き合ってきた私は知っているのだ、私は、眠っている間多少のことでは起きない。起きなさい、と声をかけられ肩を叩かれるくらいでは決して起きない。アラームひとつでは私の眠りには太刀打ちできない。例えば同級生達や先生が、私を椅子から蹴落とすくらいのことをしてくれれば、私は起きたかもしれない。けれどそれはなされなかったのだ。クラスに何人かいる小学校が同じだった友人達のことを冴えない頭で考えていた。きっと彼らは起きない私について、クラスメートや教師にしっかり説明してくれたことだろう。あーその子全然起きないっすから、無理ですから、放置しとくしかないんですよ自業自得だってわかってるやつなんで、とか。そう確かに自業自得。私は部活初日に遅刻をしたのだ、しかも天下の氷帝テニス部の。どうしようかしら、そう思ったのは一瞬で私は次の瞬間には立ち上がり、慣れない校舎内を走り回ってテニス部の、練習場を探していた。
 マネージャー主任である三年生と、テニス部部長である三年生と、コーチにとんでもなく怒られ、理由を聞かれて寝てましたと答えてさらに怒られ、そんなどうしようもない自業自得さから私の短いテニス部生活は始まった。「あんためっちゃ寝てたもんな」、同じクラスの。まだひとつも言葉を交わしたことのなかったはずの侑士が親しげに、コートに入った私に話しかけてきてくすくす笑ってくれたことが唯一の救いだった。「うん」「いっつもああなんやろ周りの子めっちゃあんたのことかばってて笑えた」「うんうん、申し訳なくていつも」忍足ナンパすんなよー、新入部員は暇をしていたのだろう。私と侑士の周りにぞろぞろ一年生が集まってきて、この子寝坊して部活遅刻したんやて、と侑士がばらすものだから、私は同級生の部員達にけらけらと笑われてしまったのだ。その中に景吾がいたかは覚えていない、ただ私は自分のクラスにいる友人達のフォローと、侑士の人懐っこさに救われ、同級生達には大した責められることも白い目で見られることもなく、マネージャーとして一年生の四月を始められることができた。同じ一年生の女子マネ達は、ことあるごとに私をかばってくれたし、なんらかのフォローもしてくれた。翌日から放課後になると私の教室にやって来ては、私が眠っていないかを確認し、眠っていればかなり強引に私を起こして、コートまで引っ張って行ってくれた。侑士も、授業後のHRが終わると眠る私の背中をかなり過激に叩いて部活行くよ、と教えてくれたりもした。それで、私は翌日からは遅刻せずに部活へ向かうことができたのだ。起きてさえいれば私はしっかり働いたし、それなりの気遣いもできていたのだろう。だからこそ私の同級生達は、もう意地でも、私を起こしてくれていた。私が怒られないように、私が先輩達にため息を吐かれないように。両親が朝早くから仕事に出かけてしまう私が、どうしても土日の練習に遅刻してくるシステムを理解した時の彼らの行動力といったらなかった、彼らは独自のシフトを組み、私にガンガン電話をするグループと、家まで迎えに来てチャイムを鳴らしまくるグループに分かれてなんとしてでも、眠る私を起こそうとした。だから初夏の頃には、私は放課後の部活にも、休日の部活にも、練習試合の早朝集合にも、遅刻しないようになっていた。景吾はというと、私を起こすことが一種のゲームみたいになった同級生達の中に気付いたらひょっこりといて、ある朝は私に電話をかけてきて、ある休日には私の家までやって来た。
 それでも。同級生の努力もむなしく私は夏休み目前のある日、マネージャー主任からクビを命ぜられた。がんばってくれているのはよくわかる、と彼女も同情はしてくれた。けれど私は。眠い眠い私は起きていれば働くが、ひとたびベンチに腰かけたりすると、すぐにうとうとしはじめるのだった。隣に同級生がいたのなら私の太ももを抓りあげたりして起こしてくれたが、ひとりでベンチに座り部内試合のスコアなんかを記入している時、私はそれはもう見事に眠ってしまう。それを何度か繰り返し、またひどく怒られた日の部活終わり。私は主任にこっそりと呼び出されクビを宣言され、よくがんばってくれたよと励まされ、でもそれは多分治らないのだからマネージャーには不向きで、これは三年生と顧問の総意だから諦めてくれと、優しく諭されてしまった。私は誰にもそのことを言えないままへなへなになって家に帰り、ご飯も食べずお風呂にも入らず、ベッドに入って眠ってしまった。翌朝土曜日。しつこすぎるチャイムの音で私は目を覚まし、いつものくせでへなへなと玄関へ向かってドアを開け、目に飛び込んできた景吾の姿を見てぼろぼろと泣いた。クビになったからもう起こしにこなくていいよ、ごめん。そう言った私の情けなさといったら。同級生達と一丸となって私を起こしにきていた景吾の無念そうな顔といったら。
 よしよし。泣いている人間の頭を撫でてやるという仕組みを考えたのは誰なのだろう、とにかく景吾はその他大勢の人間がそうするように私の頭を撫でてくれ、それでふわりと抱き締めてもくれた。昨日お風呂入ってないからやめてー、と私は泣きながら彼に訴え、それでも景吾は私の頭を撫で続け、ふわりと抱き締め続けた。それで私は景吾を好きになり、景吾はというと、最初から私が好きだったとか、三年生になった今になってぬかすのだった。付き合って二年も経った、今になって。
 「せっかく日曜で部活午前で終わったから。構ってやろうと思ったのに」
 「ごめん、今構ってくれていいよ」
 うるせえよ、景吾は笑い。よしよしと、あの時のように私の頭を撫でている。器用にも歩きながら。私にはそんなことはできない、歩きながら人の頭を撫でるとか、なんの違和感も抱かせず相手の手を握るとか、24時間以上眠りこける彼女を認めるとか、そんな器用なまねは。景吾だいすき、言いながらも欠伸が出て。てめえふざけんな、と景吾がわざとらしいうんざりした声を上げた。

 「よお眠り姫」
 三年生になり、またクラスが一緒になった侑士はそうやって私に朝の挨拶をした。教室前でクラスの違う景吾と別れた私は、途端にどっしりとした眠気に襲われつつ、おはようと、なんとか彼に返事ができる。
 「跡部に謝ったか?」
 「うん?なんで知ってるの」
 「俺、あいつが部活終わりにお前に電話かけて全っ然繋がらんの、ずっと横で見てた」
 「あ、そっか」
 「めっちゃ笑ってやったわ」
 謝ったよ、だいすきとか言ってあげた、そう答えるとまた、欠伸が出て。朝からあっついねんしかもやる気なさすぎやろ、侑士はそう言って私の頭を軽く叩いた。それくらいで、目が覚めるような私ではない。ふにゃふにゃと不明瞭な抵抗の言葉を吐き、私は自分の席へつくと鞄の中身もそのままに、そこに突っ伏した。眠い。どうしたって眠い。昨日あれだけ寝たというのにそれでも眠い。もしかして寝すぎて眠いのだろうか。けれど無理して起き続けることだって私にはできない、以前、女友達の家へ数人が集まって泊りがけで遊びに行き、中学生のお泊り会らしく夜更かしとかをして、くだらない映画を観たり恋愛話をしたりして盛り上がりたいと思い、そして彼女らもそれを望んでおり私は、大量の「目が覚めるドリンク」を飲んだりしたのだけど。それを飲んだ10分後の、午後9時にはすっかり友人の部屋のフローリングの上で眠っていた。だから私は、眠らないことでこの眠さを打ち消す、という手段を取れないのだ。だったらもう眠るしかないだろう。
 「うそやんもう寝んの」
 そんな侑士の声が聞こえたが、返事はできなかった。そうだよ寝るよ、とか。答えてやりたいのはやまやまだったのだが。

 がつん。そんな衝撃を受けたような気がしはっと目が覚めたのは昼休み。またずいぶんと眠ってしまったようだと、教室前方の壁に掲げられた時計を見てそう思った。顔を上げると教科書を三冊束にして持った亮が私を、見下ろしている。けらけらと私を笑う侑士がその隣にいたりして。おはよう、なに?、恐らく教科書の角で頭を打たれたであろう私はそれをまったく気にせずに、彼らにそう尋ねた。
 「推薦組。説明会」
 亮が言ったのはそれだけだ。説明会、繰り返すと欠伸が出て、私は寝起きの猫のように両手を前に伸ばしている。早くしろよ遅れんぞ、中学一年の夏までと同じように亮も、隣のクラスからわざわざ私をこうして起こしに来るのだ。教科書で頭を打ち付けたりして。私はもう、ありがたいとしか思えない。なんていい元部活仲間達だろう。「ありがとう。何時から?」「13時、社会科教室」「亮、先に行ってていいよ今起きる」「まだ寝てんのかよ」。あと5分だからな、そう言い残して侑士のものであったらしい教科書を彼に返し、亮は教室を出て行ってしまった。あと5分。あと5分あるということは、あと4分は眠れるということだ。なんて幸せか。また目を閉じた私の頭を、今度は侑士がひっぱたいた。
 「どあほ、起きろ。宍戸に殺されたいんか」
 いやあ生きていたいっす、答えつつも私の目は開かない。お前なああ、叫び声のようなものを上げ侑士は、両脇に腕を入れ私の体を強引に起こした。そうまでされると、私は立ち上がるしかない。目をこすりながら。
 「うん、起きます起きます、ありがとう、」
 しゃかいかしつね、呟いてまた、欠伸が出た。侑士は?彼が連れていってくれたらどんなに幸いかと思い尋ねるが、俺学業推薦もらえてないもん、と言われてしまいどうやら私はひとりでそこに向かうしかないらしい。ふらふらと、どこかここかに手を突きながら私は教室を出た。半分寝てんじゃん大丈夫?、何人の同級生にそう言われたことだろう。大丈夫ありがとう、私は毎度そう答えながらふらふらと、廊下を歩いている。
 「どこ行くんだよ」
 ああ廊下の床は綺麗なワックスがけがされているんだなあ冷たいんだろうなあ寝そべったら気持ちいいんだろうなあ、そう思いながらそれらを眺め、ゆったりと壁づたいに歩いていた時、大丈夫?以外の声を初めてかけられ私は顔をあげた。景吾だいすき、朝と記憶がごちゃまぜになり私はそう答え、目の前で怪訝な顔をして私を見ていた景吾ははっと、吐き出すように笑った。ちゃんまた寝ぼけて景吾くんに告白してるー、私の言葉が聞こえていたらしい通りすがりの女友達にそう笑われ、景吾は彼女らへ困った様子で肩をすくめて見せていた。
 「景吾、推薦組だった?」
 「ああ?そうだけど」
 「ほんと?私を社会科教室まで連れてって」
 甲子園みたいに言うな、景吾はそう笑ってから、ふと首を傾げた。それで、ああ俺それ違う、とそんな残酷な言葉を吐くのだった。
 「へ?」
 「俺スポーツ推薦」
 「推薦じゃん」
 「お前は学業だろ、今日の説明会は学業のやつらだけ」
 「ええ?じゃあ私ひとりで行くの?」
 社会科教室まで?ひとりで?こんなに眠いのに?13時からなのに?絶望の淵に立たされた私は気違いみたいにそう言い連ね、景吾に困った顔をさせてしまう。そういう顔をされてしまうと段々、頭の中がしゃっきりしてきて、自立しなければ、目覚めなければ、と私は思うのだ。いつもそうだ、相手が私の眠気に困ったり、迷惑をしたりしている様を見る度に一時的には、目が覚める。私が一年生の夏までああしてなんとか部活を続けられたのも、そういう罪の意識がひとつかふたつはあったからだ。大丈夫ひとりで行ける、しっかり宣言し背筋を伸ばして歩き出そうとした私を。景吾はふわりと抱き締めた。あー景吾くんまた我慢しきれなくなってとらぶらぶしてるー、その姿を見つけてしまった通りすがりのさっきとは別の女友達にそうからかわれ、私は彼女らへ軟弱な彼氏ですみませんとでもいうようにふふふと笑い返して見せていた。
 「景吾、遅刻する」
 「うるせえなさっきまでふらふらしてたくせに」
 「でももう目覚めたから。行かないと」
 「ひとりで行けんのかよ」
 「行けるけど。暇ならついてきてくれてもいいし」
 なにそれむかつくな、景吾は乱暴に私の頭を撫で、それで体を離し私の手を取った。そして猛烈な勢いで歩き出す。引っ張られるように私はそれに続いた。
 「ちょっと、早くない?」
 「遅刻するだろ」
 「でもほら私寝起きだし」
 「お前なあ、そんな寝てて学業推薦取れたとか奇跡なんだから意地でも説明会受けてしっかりやってこいよ」
 「そうだけど」
 ほらがんばってこい寝るなよ、社会科教室の前に辿りついたのは13時ぎりぎりで、景吾に背中を乱暴に押され私はその中に飛び込んだ。もう説明担当の先生は来ていたし、私以外の生徒がそこにそろっているように見えた。亮が一番後ろの席の一番端で、やっと来たかという顔で私を見ている。遅刻したら取り消してやろうと思ってた、と辛辣なことを言う先生に頭を下げ、振り返った時景吾は、廊下から私を見て、あとでな、と口だけを動かし私にそう告げた。がんばるがんばる、寝ないから。私はそう心の中で答えるが、眠気はもう頭の先までやってきていた。






眠姫二度寝


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2014.7.1