「ザクロってあるじゃん」
「え?アロエ?」
「ザクロ!」
「アボガドがなんだって?」
ばか、と先を歩く南の後ろから腰の当たりを叩くと、痛い痛い、とわざわとらしく眉間に皺を寄せられる。
柘榴
「今日OB来ててさ」
「うんうん」
「超うざくて、高校生なんだけど。俺等と面識ないような世代なわけ」
「三個上って。親しめないよね」
「そー、どちらさま?みたいな。みんなぽかーんなんだけど、すっごい偉そうに指図してきて」
「あー、うざいなそれ」
「高校でもテニスしてるらしいんだけど、でもほら違うじゃん、山吹は山吹のやり方があるし」
「うん」
「でさ、直接お世話になったわけでもないOBにさ、すげー怒鳴られて」
「やってらんないね」
「マジやってらんないよ」
しんどかったあ、と南が大きく伸びをする。あたしはそれを見て、それだけで、南が格好いいと思う。筋肉の付いた腕も、汗の乾ききっていない髪も、だらだら進む足も、揺れる重たそうなバッグすらも。それを見る度に、好きだ、と呟きそうになる。ぐっと堪えながらもあたし達は歩く、校舎を出て、バス停まで。小さな屋根の下にあるベンチに二人で座って、バスを待つ為に。あたしはこうして南と一緒にバス停まで向かうこと、乗るバスが一緒であること、ベンチで隣に座ることを、最初の内は当然なのだと思っていた、帰る方向と帰る時間が同じなのだから当たり前なのだと、バス停へと向かう南の姿を見付ける度に、ああ今日も偶然だなあなんて、その程度にしか思っていなかった。でも次第に、思えば体育の授業で南がバスケをしていて、ゴールを華麗に決めたのを目撃してから南を好きになってそれから次第にあたしは、自分の家の方向と南の家の方向に関する偶然にひどく、感謝するようになった。運命的だ、と思うのだ。
あたしは南が好きだ、そのことを南は知らない。けれど偶然によってあたしは、南とバス停まで、そして家の前まで、一緒にことがができる、とても自然に。幸運だ、と思うのだ。南があたしを好きなのか、あたしはそれを知らない。でもきっと、馬鹿みたいな期待を持ってすれば南は、嫌いな女の子と一緒にバス停に向かったりはしないだろう、なんとかして撒いたり、時間をずらしたり、相手をしなかったりするはずだ。多分南はあたしの事を嫌いではない、好きでもないかもしれないけれど。大体こんなに優しい南が人を嫌いになったりするのだろうか、こんなに、嫌な人間だと自覚のあるあたしでさえ、相手にするような南が。
「彼女欲しくてさあ」
どっかりと、ベンチに腰を下ろして南が言う、日の暮れた西の空を眺めながら。あたしは。南の口から飛び出した「彼女」という単語に間抜けなくらいどきどきしながらも、いつものようにその隣に腰を下ろした。ベンチの一番端と、一番端に。
「そうなの?なんで」
「なんか周りみんなできてて。キヨとか亜久津とか」
「でもあの人たちすぐ別れるじゃん」
「そうだけど。俺、超取り残された感じ」
ああ彼女欲しいー、と投げ遣りにもう一度、南は言った。それをあたしに言って、一体どうしたいんだろう。これは遠回しにあたしと付き合いたいだとか、そういう事を言っているんだろうかそんなわけないのに、そういう風な期待を抱いてしまう自分をぶん殴ってドラム缶に詰め込みたい。
いつも南が先に降りる。そういう家の建ち方をしているのだから仕方ない。あたしはいつもここから三つつ先の、自分の家に一番近いバス停に着くまでにいつか南と付き合えたならあたしは、このバス停でバスを降りて南の家に行ったりするんだろうかとそんなことばかりを考える。あたし達は手を繋ぐだろうか、南の家にはどうやって上がるのだろう、どんな両親で、南の部屋はどんな風で、あたし達はそこでなにを話し、なにをするのか、帰りには、このバス停まで南が送ってくれて、あたしは律義に運賃を払って三つ先の、自分の家まで帰るのだろうか、そんな、馬鹿みたいな事だと分かっているのにそんな想像を、やめられない内に自分のバス停に着く。
でもあたしは好かれるような人間ではない。多分自己主張が強過ぎるのだ、大して可愛くもないし、面白いことも言えない。勉強はできないものだと頭っから決め付けて真面目に取り組まないし、入っている部活でもまともな成績を収めたことがない。そしてすぐに人を嫌う。だからあたしは人に好かれるような人間ではない、普通は、あたしと一緒にバス停へ向かう事をみんな嫌がるだろう。なんとしてでも避けたいだろう、それなのに南はあたしを拒まない。それは南があたしを好きだからだ!とは思わない。南がただただ優しいのだ、あたしといること、あたしといて周りにどう見られるかということ、そんなものを、気にかけないほど、優しい人間なのだ。南は優しい、あたしにすら優しい、だからあたしは南を好きになった、そして、あわよくば南があたしを好いてくれていますようにと、祈る。自分を磨きもしないで。
「姪っこが超可愛くて」
南がそんなことを言っている、あたしの前方で。隣には同じクラスの男子がいて、お前おっさんみたいだなーと感想を漏らされていた。朝、あたしは南と会話をしたことがない。登校のバスにはいつも同じバス停から乗ってくる、多分幼馴染みたいな感じの男子がいて、毎朝必ず彼と喋りながらバスに乗って来て、席に座り、バスを降り、学校へ向かうからだ。あたしは、案外だらだら歩いている二人をいつも抜かせない、抜かして、南に自分の存在を知らしめたい、という欲求が溢れる時もあるのだけれどそれをするには、随分不自然だしわりと足早に歩かなければならないし南は優しいけれど、隣の男友達が優しいとは限らず、きっとあたしを悪く思っているからできっと悪口か陰口か嘲笑を浴びるに決まっているからだ。あたしはあたしのどこが悪いのか、これまで本気で向き合ったことがないし考えたことがなかったとその時ふと気付いたけれども気付かない振りをして南と彼の何メートルか後ろを歩いていた。
「や、マジ可愛いんだって」
「俺あんまり子供可愛いとか思わないんだよなー」
「いたら絶対思うって」
「マジかよでも俺長男じゃん?姪か甥ってなかなか出会えそうにないんだけど」
「弟に期待するとか」
「弟小3ですけど」
けらけらと二人が笑っている。南にはお姉ちゃんかお兄ちゃんがいるのだろう、と考えた。だから姪っこがいるのだ、そうに決まっている。幼子を可愛いという健康的な南にくらくらとした、なんだろう、この感じは、良いお父さんになりそうだな?そんな気味の悪い言葉が浮かんで、咄嗟に掻き消す。
「多分姪とかの前に自分の子供ができるんだよな、お前って」
「絶対そうだわ、で、初の姪っこ、とかきてもさ、自分の子供いるし、別に可愛くねーなとか思うんじゃね」
「いや可愛くねーなとは思わないっしょ」
「あーでも俺絶対親ばかになると思うから、ああうちの子のが可愛い、とか思うと思う」
「性格悪いな親族相手に」
「自分の子が一番っしょ」
「まず相手探せよ」
「健太郎に言われたくねーわ」
うるせー、と南が彼の脇腹の当たりを叩き。いってえ、と彼が笑っている。てか彼女作れよ絶対すぐできるって、と彼が言い。そう思いながらこの三年間生きて来たんですけどね、と南が言い。他校とかいけばいいよ超楽だから、と彼が言い。紹介して下さいよ師匠、と南がおどけて。二人の会話をこれ以上聞いていられない、あたしは深く俯いた。
あたしは学校で南と喋ったことがない、南の周りにはいつも友達が何人かいて、あたしは全くそこに入れる雰囲気ではないし、大体あたしには友達がいない。だから南の友達があたしの友達ということは絶対になくて、もし南と。あたしが喋っているのを彼等が見たらどういう風な反応をされるかも分かっている。きっと南は優しいから、あたしが話しかければいつもの様にあの帰り道のようにあたしに応えてくれるだろう、でも。あたしは南に話しかけたりしない、あたしは。自分が一番可愛くて、だから、南に話しかける事で笑われる自分に直面したくないのだ。
溜め息を吐いて窓の外を見たけれどそこにはなにもない。もう嫌だ、本当に嫌だ、とふいに自分や周りや全てにむかついて机に突っ伏し眠ってみようかと思ったけれど、休み時間中ずっと友達と喋っている南の笑い声とか、その会話の内容が、がんがんと頭に入って来て眠れるわけもない、もし南が、あたしのことを話しはじめたらどうしよう。それがもし、すごくいい話題であったならどうしよう、あたしを褒めちぎっていたりしたら。でも彼等の会話は永遠にマイケルジョーダンの神業的偉業についてばかりで、あたしの名前なんか。一向に出てきたりなんかしないのだ。
学校に来たくないと教室に入る度に思う、だけど、学校に来ないとあたしは南との唯一の接点である帰り道を得られない、だから、あたしは苦痛を全身に浴びながらここにいる、なんとしてでもバス停まで、南と一緒に帰りたいと思いながら。
「てか彼女がさあ」
「うわ、お前まで彼女ネタ?落ち込む」
南のそんな声が聞こえる、あたしは、もし南の彼女になった時ああいう風に、南の口からぽろりと出て来てしまうようなそんな、素敵な彼女になれるだろうか、なれないだろうだってあたしは、南達の会話にあたしがこの間聞いた、部活のOBの話が出て来なかったことに優越感を覚えるような、そんな人間だ。
その日えらく落ち込んでいるのは南がいなかったからだ。大体いつも私の部活が終わる時間と南の部活が終わる時間は一緒で、その後なにもなければ帰宅の為に乗るバスというのが18時55分にある。あたしは大体いつもと同じ時刻、18時30分前には学校を出た。大体いつも、この時に生徒玄関とか校門のあたりで、大きなバッグを背負った南と鉢合わせするのだけど、今日はそれがなかった。体育館裏にあるテニスコートの辺りをちらりと見てみたけれどそれは体育館の陰になって見えるはずもなく、毎日20時近くまでグラウンドで練習をしている野球部の掛け声によってそちらからの声も聞こえなかった。テニス部はまだ部活をしているのだろうか、それとも今日は早く終わったとか?朝南は部活のバッグを背負っていたけれど、練習がなくなったとか、あったのかもしれない。
テニス部の様子を探るのを一秒で諦めあたしは校門を横切る。ちらちらと左右を窺ったり、後ろから近付いて来る足音が南のものではないかと思いながら。でも見えたのは校門を出て左右に分かれて下校して行く吹奏楽部の女の子達と、なにに遅れたくないのか急ぎ足であたしを追い抜いていった下級生の男子だけで南はいなかった。溜め息を吐きたくて、それを我慢したのはなんとなく、教室でならともかくこういう一人で学校を後にする自分が溜め息を吐くということがひどくみっともないように感じたからだ。あたしは南がいないと一緒にバス停まで向かう知り合いさえいない、途中まで一緒に帰ろうだとか声を掛けてくれる人だっていない、あたしの後ろ姿はきっと惨めだろう、多分猫背だし。バスが来るまで、大した時間があるわけでもないがなにをして時間を潰そうかと考えていたらバス停に着いてしまった。
「あー間に合った、めっちゃギリ、かと思いきや別にバスきてねえや」
その体の全てを預けるように。ベンチに座り込んだ南の姿を目の端でとらえてあたしは息を飲む。バス停を覆う屋根を支える柱に掛けられた時計は18時53分あたりを示していた。あと二分だけ、あたし達はこうしてベンチの端と端で、一緒に座っているこができる。それにしても突然現れた南に嬉しい反面驚きを隠せずその、上を向いた顔やそこを隠すように覆う大きな手の平や皮膚が伸びて浮き出た喉仏や上下する胸を眺めていると、視線に気付いたのだろうか南は顔から手をどけてあたしの方を見た。目が合う、走ってきたのだろう幾分火照った南の顔にあたしは動揺する。
「大丈夫?死にそう」
「え?」
聞き返して南は笑った、眉間に皺を寄せて。部活?とそれに反応せず更に尋ねたのはもうすぐバスがくるからでそしたら南とはもう喋れないからだ。
「そう部活、またOB来て。話が長いこと」
「暇なんだねその人」
「テスト期間中なんだって。だから高校の部活ないみたいで」
「ばかみたい」
あたしの感想を聞いて南はまた笑う、顔をしかめながらも。
「でも俺思うんだけど。多分俺も卒業したら、部活見に来ちゃうと思う」
「なんか気になるし、顧問とか会っておきたいじゃんいつ死ぬかも分かんないし」
「ああ、そっか」
「熱烈指導はしないけど」
「、なんかさ」
「うん?」
「OBとかOGとか、うちの部活にも来るけど。あたしはああはなりたくないなーっていつも思う」
「あ、ほんと?」
「うん、なんか。偉そうじゃん、下手したら新しく来た顧問とかより偉そうで、はあ?みたいな」
「まあ、先輩だからね一応」
「でも先輩ってだけじゃん、とか思うのね、てか年取りたくないなあとか思うああいう人見てると」
「マジ?俺年取りたいんだけど」
「え?なんで」
「だって俺のじいちゃんとばあちゃんもう年金暮らしなんだけど、超年金貰ってて。旅行し放題」
「なんか話飛躍してない?」
「えーでも働かなくてよくて、金だけ入ってきて、孫とかいてだよ、好きなことできて最高じゃん。早くじじいになりてえとか思う」
「でも孫ができるには南まず結婚しないと」
「あ、なにまたその話題?やめてよもうノイローゼだよ俺」
「相変わらず彼女できないんだ」
「そう、できないんだけど俺、新婚旅行はシンガポール行きたいとか。そんなことばっかり思ってて」
「えー、相手もいないのに」
「なんかOBで一人すっごいいい人がいて、もう社会人とかなんだけど」
「うん」
「でその人旅人なんだよ世界中色々行ってて。シンガポール最強らしいよ」
「ああそうなんだ」
「そう、だからシンガポール行きたくて。新婚旅行で」
「じゃあ彼女作らないと」
「うるさいなあもう」
南があたしをわざとらしく睨み付ける、へらへらと笑ってしまった。あたしは今、南に好きだと言うべきだっただろうか、彼女どうこうの話題が出たのをきっかけに。例えば彼女がいないならあたしでどうとか、あたしは南好きだけどなとか、言うべきだっただろうか今が言うチャンスだったのかもしれないだけど、バスが向こうからこちらに向かって、ハザードを付けてやってきたのが見えてあたし達は口を噤んだから。そんなこと、言えるはずがなかった。
あたしはなにを高望みしているのだろう、南から告白されたら良いのにだなんて思っていることに気付いて、胸がぎゅっと締め付けられた。
それは突然に訪れる。あたしはザクロという果物について南に伝えたいことがあったのだけど南はそれを今日は、ずっとかわし続けていてあたしはずっと、その真意を伝えることができずじまいだった、あたしは。南とこうしてじゃれ合う自分を本当に幸運だと思う。いつもあたしと並ばず先を歩いていってしまう南の背中を眺めながらああ背が高いとか。暑そうだとか。汗の匂いが悪くない具合で漂ってくるとか。そんな事を考えている内にザクロの話はコリアンレストランの話に変わって、そしてバス停のベンチに着いてしまう。一番端と一番端に、今日もあたしと南は腰掛けた、時計は18時45分。そして。南が両手を組んでそれを大きく上に上げぎゅっと伸びをした時にあたしの目にとんでもないものが飛び込んでくる、組まれた左手薬指に光る安っぽい指輪と、学生服のカーラーの陰から覗く赤い鬱血である。
「結婚したの?」
あたしはそんな風に、なるべく確信に触れないような茶化した言い方しかできない。目を閉じて気持ちよさそうに体を伸ばしていた南は目を開けてあたしを見た、やや照れくさそうに。
「彼女できた。やっと」
南がそう言った。がらりと何かが崩れるような音、はしなかった、あたしはただ、心臓が突然冷たくなって冷や汗をかいているような、そんな感覚を覚える。
「うそ?ほんとに?」
「本当に」
「好きな人いたの?」
「いや告白されて」
「他校とか?」
「いや山吹にいるよ」
「へえ、」
「隣のクラスなんだけど」
南があたしにその、彼女とやらのフルネームを告げたけれどそれは耳には入ってこなかった。?とあたしを呼ぶそれだけが脳みその中を、ぐるぐると回っていた。
あたしは。南の全てを知っているつもりでいた。同じクラスだし、同じバス停だし、ほとんど毎日一緒に学校を出て、会話をしていた。南は今日起きたことの全てを私に、帰り道で話してくれているのだと思っていた。それなのにあたしの知らないところで、誰かが南に告白し、きっとそれを応援する取り巻きのような者達も存在し、南がそれを受け、きっとそれを相談されたテニス部やクラスの男子なんかが存在し、そしてその告白を南が、あたしの知らぬ間に承諾して交際に至ったという事実に愕然とした。自分の小さ過ぎる世界と大き過ぎる驕りに滅多刺しにされたようだった。南はあたしをなんとも思っていなかった!そんな、分かっていたはずなのに決して認められなかったただの本当のことにやっと今、背後から迫られきゅっと首を絞められたような気がした。
「なんでそんな事言うの」
「え?なんでって、だって友達じゃん」
「友達だったの?」
「え?友達じゃなかったの?」
「だって南はあたしを好きだと思って」
「え?そうだったの?」
「だって。一緒に帰ったりとか。勘違いするよ」
「ええ?する?普通」
「する、南はあたしを好きなような風を装った」
「あのさあ、一言でも俺、好きとか。そんなこと言った?」
友達としては好きだけど、と南はこんな時まで優しさを露呈する。南の馬鹿、最低、なんで優しくしたのさ、上げたのは悲鳴で、南は思いっきり耳を塞いであたしを睨みつける。そう、その顔だって。あたしは演技だと思っていた、わざとらしい、いやあな顔を作っているんだと。でもそれが。今までの南のこの顔全部が本心で、あたしに嫌悪を現していたのだと思うともう何度だって叫びたい。
「いいよ、ごめん。俺歩いて帰る」
そう言って南が立ち上がり、それが脅しでもなんでもない事は今のあたしには完全に分かっていたけれど、足にすがる事も出来ない、待ってだなんて。死んでも言えない。
あたしは馬鹿だ、とんでもなく馬鹿だ。でもあたしはそんなあたしを、どうしても嫌いにはなれない。それがぎゅっと身に染みて今、痛い。
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2013.1.17
不死鳥の如くシリーズ
こんなんばっかりでいいんでしょうか、なんか
私の極致ってこんなんだと思う