どこからともなくわきでている。この感情は毎日で、そして積もっていくしかない。




裏腹





 「手フェチなの」
 家庭科の時間、跡部くんの手を触りながら呟いた。彼の手は指が長くて関節が太くて、爪は短く切りそろえられており、肌の色は結構白く、指を動かすたびにその筋が甲に姿を現し血管が、ほどよく浮き出ている。
 「は?フェチ多くね?」
 跡部くんが私に触られる自分の手を見ながら言ったその声は、ばかにしているようでも呆れているようでもおもしろがっているようでもあり、心地いい。
 「そう、多いよ、たぶんね、かっこいいと思ったらなんでもいい」
 「それフェチって言わないだろ」
 「いや、言う」
 私のものとは形の違う彼の爪を、指の腹でなぞりながら呟いた。そう、言うのだ、このたまらなく好きな感じを。どうしても目がいってしまう感じを。なんていうか、フェチと。
 「跡部くんはテニスしてるのにあんまり傷とかないんだね」
 「あー、治るの早いから」
 「ジローくんはすごいよ、」
 「なにが」
 「傷とか。マメとかかさかさとか」
 「お前、あいつの手も触ってんのかよ」
 「でも跡部くんのみたいに執拗には触ってない」
 「俺の手以外触るな」
 彼の妙な独占欲に、わかんない、と私はこっそり呟いている。
 例えば。美食家だとかいう人がいて、数多くの食べ物がこの世にあるのだけどそれを全部食べて食べて食べきって食べ比べるからこそ、美食家という肩書きが成り立つわけで、だから私も、手フェチ家として。跡部くんの手ばっかりは触ってられなくてほら、比べないと。引き立てないと。ジローくんよりも忍足くんよりも宍戸くんよりも、跡部くんの手が好きだよって、言えるように、触り比べないといけない。
 家庭科では幼児向け絵本を作るというなんとも気だるい作業をしていた。しかも3時間連続、今はまだ、1時間目だ。真面目に絵本を作ってる人なんてほとんどおらず、私達みたいに話しているか、立ち歩いているか、「資料」という名目で持って来た雑誌を読み耽ってるか、そんなパターンしかなくてそれで、てめえら絵本作れや!とは言えもしない、この状況。
 作らなくていいよ、と私は彼らを認めている。なんか、平仮名ばっかり書いていたりかわいいキャラクターを無理矢理作ってみたり、そんなことをしてたいら、中学三年生として、恥かしいのだ。
 「あ、部屋の掃除してない」
 跡部くんの。長いまつ毛にそっと触れながらひとりごちる。そのまつ毛は。特にケアなんてしていないだろうはずなのに長く、きれいな形にそろっており、女の子みたいにきれいで、うらやましい。しなるそれが指をくすぐり、その感覚が気持いい。私の長い爪が、彼の眼球を刺したらどうしようか。
 「掃除くらいしろよどうせ汚いんだろ」
 「私の部屋きたことないくせに」
 「お前がくるなって言うからだろ」
 「だって恥かしいじゃん」
 はあなにが?と、跡部くんがだらけた声でそう言った。恥かしいって言ってんだろこのぼけかす、とは言わない。私は彼の鎖骨に触れている。生きてる人の、温かみがあった。そりゃああるか、と思ってため息を吐くと、彼が私の頭をくしゃくしゃと撫でた。
 「ちょっと。やめて、髪が乱れる」
 「ああ?人の体触りまくってるくせになに言ってんだよ」
 「だって跡部くん、髪フェチとかそんなんじゃないでしょ」
 「フェチじゃないと人の体に触れないのかよ」
 「うん、知らなかったの?」
 「知らねえよ誰が決めたんだよ」
 「ローマ法王」
 「あ、そ」
 かわいくねー、と跡部くんが言う。そうそう、聞いてよ跡部くん、私は言いたいが言えず、心の中で話しかけている。私ね、このクラスの男子で下の名前呼び捨てにしてる人いないんだよさっき気付いたんだけど。いいでしょ、すごいでしょ、すごい他人行儀でしょ。ねえわたしかわいくなくてもいいよ、別に、ていうか跡部くんにとってのかわいい女の子ってなんなの?どういう子なの?ねえねえ景吾くん今日お弁当作ってきたの食べて、なんて言ってくる女の子?それとも跡部くんに触られてもへらへらしてる女の子?景吾ーって気軽に名前を呼んで景吾ーって気軽にフェチでもねえのに体触ってくる女の子?ねえ私はそんなこと絶対できないから、ねえ知ってる?
 机の上に置いてある画用紙にはなにも描かれていない。絵本の主人公も決めていない。跡部くんの紙を見たけれど、私と同じで白紙だった。楽しくないな、と私は思う。机に突っ伏すと
 「授業中だぞ」
 という彼の声が聞こえた。お前に言われたく、ない。なんつーか、だって、だるいんだからしかたないじゃないか、それで跡部くんあなたも、おんなじようなものなんでしょ?
 目を擦すと。自分でもびっくりするくらい長い、まつ毛が抜けて私の指先にくっついた。跡部くんのより長いかしら、うーん。私は判断に迷っている。
 「跡部くん、見て見て」
 「、」
 「いや、いいから見て」
 机の上に顎を乗せたまましゃべる私を見下ろして、跡部くんが黙る。なんでそんなむっとした顔をするのか。暗い、暗いよ跡部くん。あ、お前今睨んだだろ。なんでだよ。
 「睫毛抜けた、長くない?」
 「おー」
 なんだその気合のない返事は。なんてことだ。私は指先をこすって長いまつ毛をそっと床に落とすと、跡部くんを見上げた。けれどもう、彼は私を見ていなかった。遠くのテーブルで固まって、雑誌を開いて、げたげら笑っている男子の群れを見ていた。私は、彼を見ていた。というより彼の、首を見ていた。その捻られた首のラインを。白さを。浮き出る筋を。みずみずしい肌を。
 「お願いだから、むこうの男子の方になんて行かないでね」
 無意識で言っていた。跡部くんも大して意識なんてしてなさそうに頷いた。私はだるい体を起こして腕を上げ、跡部くんの首に触れ両手で包むように触れると、なんだか嬉しくなっていた。温かい、跡部くんが、生きている。生きている彼はゆっくりと私の方へ顔を戻した。
 ねえ跡部くんって綺麗な首してるよね。筋がいい感じに浮き出て、喉仏も際立ってるし、触るとほら頚動脈が脈打ってる。ほんとにきれいな首してるよね、もう大好きというか愛してるというか絞め殺したくなるというか。
 「なあいい加減苗字で呼ぶのやめろよ」
 跡部くんがそっと言い私は手に力を、少しだけ込めた。
 「なんで?」
 「だって俺ら付き合ってんだろ」
 「付き合ってたら、下の名前で呼ばないといけないの?」
 「そうだよ知らないのかよ」
 「知らない」
 「ローマ法王が決めたんだよ」
 「うそつき」
 お前なあ、と跡部くんが言った。ばかにしているようでも呆れているようでもおもしろがっているようでもあり、私はなんだか嬉しくて、さらに両手に力を込めた。跡部くんはというと少し目を細め、私の手首を掴む。ゆっくりと私の両手を愛しい首から離させて、それでじっと私を見つめた。私の腕の下で、画用紙がガリガリ音を立てた。
 「、」
 呼ばれて、
 「景吾くん。」
 と言いきる前に、そっと唇を奪われた。なにフェチっていうか私はただの跡部景吾フェチなんだと、今さらになって気づく。







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2014.6.29
最終更新が2007.3.6のもの、加筆修正
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