足の重さを実感する。肩に力を入れ、一本の棒の上にいると私とはなんて不安定で不完全な、


鉄棒




 今日も私はくるくる。
 地区大会で足を捻挫し、なんとかかんとかギブスは取れたけれど、走ったり飛んだりするにはまだ痛く、本調子には戻れない。だから私は他の部員がせっせと練習に励む間、一人鉄棒にぶら下がる。足が動かせない代わり腕を鍛える為にと、一人鉄棒にぶら下がる。
 みんな、楽しそうにラケットを持ちコートに入って、それはそれは満足そうにテニスをしていた。それなのに私は鉄棒にぶら下がって、できない逆上がりの練習である。しかも痛い足をなんとかかばうようにしてとなれば、ちょっとつらい。体はしんどい、周囲との差に落ち込む。かといって足が突然よくなることもなく、私は目の前の棒を自分の両手でしっかり掴み、足を浮かせ、両手と両肩で体を支え、なんとか、棒の上へと上半身を持ち上げている。普段よりも少し高い位置から見る青空とグランドは、とてもきれいだ、これは最近気付いたことで、楽しみというのはこういうものしかない。けれどそれは、確かにきれいで心地いい。降りる時に注意しないと足が痛いし手の平が鉄のにおいになってしまうが、文句は言えまい。

 今日も私はくるくるくる。
 上達した前回り。過去自己最高記録の連続3回を更新し、たった今4回目の回転を終え、一人笑ってしまう。わあい、と叫びだしたいのを堪え、青空を見上げる。足の重さ、体の重さ。それらを支えられるたくましい私の腕、肩。わあい、叫びだしたいし、なんて誇らしいのだろう。
 「今日もご苦労やなあ、鉄棒部」
 鉄棒の前を岳人と通り過ぎざま、半笑いの忍足がこちらに呟いた。
 「うるさい私は女子テニス部じゃあああ」
 笑って走り出したふたりの背中に、めいっぱい叫ぶ。

 今日も私はくるくるくるくる。
 しばらく前回りの練習をしていると、目を擦りながらジローちゃんがとぼとぼとやってきた。高い位置から見るコートの中ではもううじゃうじゃと、男子テニス部が練習を続けているというのに。
 「またさぼり?」
 こうやって私が鉄棒をはじめてからほぼ毎日、ジローちゃんはテニスコートを抜け出してきては私を見てへら、と笑うのだ。いたずらっぽいというのでもなく、照れ隠しというのでもなく、ただ、私のさぼり?というその言葉を聞いて、笑う。
 「うん、だって暇だしー」
 「部活しなよ」
 「俺上手いからさ、あんま練習しなくていいんだー」
 「うそだ」
 それで私も笑ってしまう、これが毎日だ。ジローちゃんはへらっとした笑顔を崩さず、ゆったりと私の前に座り込んだ。
 「なんかして、
 「前回りしかできないよ」
 「それでいいー」
 そう言われれば。私は息を整え何度か回って見せるしかない。ジローちゃんは「うわーすげー」なんてとんでもなく呑気な感想を漏らした。

 今日も私はくるくるくるくるくる。
 やりはじめた頃は毎日が筋肉痛だったのに、これまでと同じかそれ以上の時間鉄棒と戯れていてもそれが、私の体に現れなくなっていた。今では前回りなんてあっさりと連続10回以上こなせるようになったし、片足からでも難なく逆上がりができるようになった。足掛け回りも覚え、今は大きい鉄棒で大車輪の練習である。問題は一向によくならない捻挫だった。もしかして私はこのままずっと、鉄棒部なのかしら、なんて、筋肉痛が治まるのだから捻挫だって、いつかは治るはずなのにそんなことを考えている。
 わあ、と回って元の位置に戻ってきて見た空はやはり青い、それできれい。やや高い、しかし建物の二階ほどは決してない、人の旋毛が見えるこの位置は私にとってもうベストプレイスのようになっており、もしかして私がこのままずっと鉄棒部でもいいかななんてことも、私は考えている。足を後ろに投げ出す、そのまま一気に前に倒れると、私は腕の力だけでまた、元の場所に戻れる。ぎし、と鉄棒がしなった気がして嬉しい。輪廻転生ってこんな感じなのかな、なんていうのは、私の浅はかな経験による予想であった。
 「達者やなあ鉄棒部」
 ジローちゃんがまだ来ていないというのに今日、忍足が私の前に現れた。私はもう言われなれた「鉄棒部」を否定せずに
 「さぼり?」
 と同じように訊いてみる。私を見上げる忍足、彼より上にいる私。あふれでるのは優越感。
 「人聞きの悪いこと言うなや、ただの休憩時間」
 「ふうん」
 私は返事をしながら両足を交互にバタバタと動かした。そうすると夏の熱い風を切って気持ちがいい。細い足やなあ、忍足が言ったような気がして恥かしくなり、即座にそれを取りやめた。
 「俺な逆上がりできなくて」
 「えー、うそ」
 「ホンマホンマ。小さい頃はできたんやけどなー」
 「なにそれかわいいね」
 「うるさいわ」
 忍足が俯いて笑っている。なんだか。スポーツ万能だと思ってた男子が逆上がりもできないと思うと私は、やはり笑ってしまうのだった。
 「でも私も逆上がりできなかったよ」
 「そうなん?」
 「うん。でも鉄棒部になってからできるようになって」
 「大したもんやなあ足怪我してんのに」
 忍足が私の捻挫をしている足になんの前触れもなく触れてきた。くすぐったく、それでどうしてやらしいのだ。彼は一体なにをしているのだろう、そして私は。ハーフパンツなんて履くんじゃなかった、とぼんやり考えている。
 「触んないでー」
 足を動かすと。忍足が「ごめんごめん」と笑って、指先を離した。綺麗な顔してるなあ、とそれを上から見て、初めて思う。
 「忍足ー!練習再開ー」
 誰だか大声がコートの方から聞こえる。またな、そう言って忍足が走って行ってしまい私は。ドキドキとしていた。

 今日も私はくるくるくるくるくるくる。
 両手の力だけで一番背の高い鉄の棒にぶら下がり、足を地面から20センチ以上離している。足は今日も重い。体だって重い。それでも落ちるもんか、といつの間にか物凄い力を発揮するようになった腕で自分を持ち上げ、ゆらゆら、自分の体をブランコみたいに揺する。このままもっともっと反動がついたらきっと、一回転ができる。そしたらジローちゃんに見せられる技も増える。今日も空は青い、とても快晴。暑い。細いと褒められた足も、鉄と繋がっている手も、汗をかいている。ゆらゆら、私はブランコみたいに揺れる。このままもっと反動が付いたら、きっと。
 ずるっと音がした、耳の中で。私は宙に、浮いていた。暑くて暑くて暑くて、汗をかいていた、だから手が滑ったのだろう。空中に放り出されながら冷静にも私はそんなことを考えていた。さっきまで繋がっていた手と鉄棒が、離れていく。
 浮いていられるのも束の間で、結局私は地面へ向かって落ちはじめた。人間は頭が重いから、落ちる時って頭から落ちるのだとか聞いたことがある、本当なのだろうかそれにしても、ずいぶんと降下していくのがゆっくりに見えた。もし落ちたら私、また怪我するのかな、それじゃあ次の大会どうしようなんて、呑気に考え目をつむる。
 「うっわ、危ないなあお前、また怪我でもしたらどうすんねん」
 地面に打ち付けられる、って思ったのに目を開けたら忍足の顔があって。マジックだ、これは多分マジックだ。彼の腕に支えられる自分の肩を腰を痛烈に意識しながらそう思っていた。
 「ちょっと頑張りすぎたんとちゃう、鉄棒部」
 どうやら私がゆっくり落ちている時、忍足が私を受け止めてくれたらしい。
 「うそだー、ちょっと忍足、かっこよすぎ」
 はあ?、笑った忍足に抱いたこの感情は、一体。









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2014.7.6加筆修正
2006.10.9最終更新のもの