ちょっと、寒そうだけど。


彗星





 大人は結局私のことを何も知らないし、知ろうとする努力もしないし、否定しかしないんだって、遂に確信を通り越してブチ切れてしまいよく晴れた月の見える、真っ暗、だけど明るいそんな夜に私は家を出た。
 先生も、両親も、近所のおじちゃんもどこだかの偉い人もみんな同じで、私を嫌な目でしか見ないし、なにもしてないのに怒鳴りつけるし若い、ただそれだけで偏見丸出しでそんなの、こちらから願い下げだった、関わりたくもない。
 少し歩いて、コンビニの前にバイクが止めてあるのが目に入った。キーが差したままになっている。アホだなあ、私はバイクの持ち主に対して静かに呟いて恭しくそれに跨り、「バイクの持ち主」に変身した。

 習ってもいないのに中学生の頃から、バイクや車の運転が私はできた。きっと生まれ持った、エンジンに対するなにかの才能がるんだと勘違いして調子にのって去年、当時付き合っていた彼氏のバイクに乗っていてコケて怪我をしてからはあまり乗ってなかったけれど、乗れる、走り出す、あの感覚を忘れるはずもない。
 冬の風を切るとひどく寒くて、もっと厚着をすれば良かったとか、「元持ち主」はどうしてキーを差しっぱなしのくせにヘルメットはバイクと一緒に置いていかなかったのかとか、後悔をしている、でも降りない。ゴロゴロと私の下でバイクが唸ってる、Ducatiのロゴがボディに入っていたのを私は見た。たぶん、いいものなのだろう。元持ち主はどんな思いでこれを買ったのだろうか、どんな思いで、これを買うための努力をしていたのだろう、それが今、私の為に唸っている。悪い事をした気はひとつもしなかった。なにを思ってキーを差したままコンビニに入っていったのかは知らないが、そんな不用心なまねをする人間だ、きっと嫌な奴だったに違いない、私に乗られる方がこいつも幸せだろうと、私は思っている。
 ガソリンスタンドの角をぎゅっと曲がると、体が傾き気持ちがよかった。頭の中では「15の夜」が延々リピートされていて、それでも私はもう15歳なんかではなく、このままどこに行けばいいんだろうとは思いつつ、ただ今はとりあえず走り続け、仔猫を轢きそうになって急ブレーキかけててそれでも、ただ今はとりあえず走り続け、目の端で真ん丸の不気味な月を捉えて、ただ今はとりあえず走り続け、巨大なトラックに煽られた挙句強引に抜かれて畜生って思いながら、ただ今はとりあえず走り続け、歩道をカップルがのろのろと深夜なのに歩いてて睨みつけながらも、ただ今はとりあえず走り続けた。
 行く当てもなく、もし私に彼氏とか友達がいたのならば、一晩くらいは泊めてくれるんだろうかと想像しながら私には彼氏も友達も私には皆無であることを、それをつらいと思わないようにして、ただ今はとりあえず走り続けていた。それで気が付くと、何故家を出て来たのか、あの時に湧き出た熱い怒りみたいなものをすっかり失ってしまっていた。

 途端に気の抜けた私は、最初に見えた公園の入口めがけて減速した。エンジンを切り、バイクを降りて伸びをする。冷えた体はただ震えるだけで、吐き気すらした。
 ふらふら、よたよたと歩いて公園に入ってすぐに、椅子にするにちょうどいい感じの岩がごろんと三つ並んでいるのが目に入り、それの一つに腰を下ろした。どうしてここにいるのだろう、どうしてこうしてここまでやってきたのだろう。首を傾げてみても全ては、大した理由ではなかったような気がした。いつも通りのなにか、凄くムカつくけど下らない、ありがちだけれど腹が立つ、その程度の原因が理由だっただろう。
 ポケットから鏡を取り出して唇を映し青紫になってしまった唇に、グロスをでろっと塗ってごまかした。誰に会うわけでもないというのにそれでも、塗らなければ気がすまない。さて家出だというのに所持品が財布とグロスと鏡だなんて、私はなんて現代っ子の象徴のような生き物なのか。
 顔を上げると、目の前は巨大なマンションだった、私の住まう町にあんな規模のマンションはないように思う。でっけー、と簡単な感想を抱いていたら真ん中の階の真ん中の部屋の電気が、ちんちらちん、と点き(そんな音聞こえなかったけど)その部屋のベランダへ、大柄の男が出てくるのが見えた。私はそれを見つめてる。きっと向こうは私を見ていないだろう、こんな暗がりにいる小さな女が、明るい世界の人間から見えるはずがない。男はベランダの柵に肘を掛けて、恐らく缶ビールだと思われるものをちびちびと飲みはじめた。中年の男なのだろう、それできっと会社とか、上司とか、家族関係とか近所付き合いとか冴えない部下だとかそういうのに、疲れてしまって今日は月が綺麗だからビールをベランダで飲んでいるのだろうなんだか、あんな大人に私はなりたくない。
 「寒くね?」
 え?ベランダの男から目を離し、大して気にもせず声がした横を向く。私の隣、例のごろんとした岩に座ってこちらを見ている男は若く、銀色の髪だった。
 知らない男でどこかのなにか、コスプレみたいに見える真っ白な制服を着ていて、煙草を口にくわえており、ハーフに見えなくもない整った顔だったけれど、目付きの鋭さに驚いている。しかしいずれにしても彼は知らない男で、「寒くね?」なんて気軽に話しかけられるような仲のはずもなく、それでも私は悲鳴を上げたり、立ち上がったり逃げようとしたり、しなかった。
 「こんばんは」
 「ひさしぶり」
 「誰?」
 「さあ」
 こいつ、酔っているのだろうか。私は一瞬疑ったが、それにしては鋭い目がしっかりとしているし、へらへら笑ってもいないし、顔色も正常だ。なんなんだ、ナンパ?ナンパか?私ナンパされてんの?こんな夜中に制服の男に?だなんて、あほっぽいことをぼんやり考えて、また空を見上げたら月は相変わらず恐ろしい色と、形で、私の頭の上に、ぽかりとあった。
 「あれさあ」
 男が、私の(盗んだ)バイクを指差す。長い指だった。これで首でも掴まれて両手で絞めつけられたりしたら、ボキボキに折られてしまいそうだって、こっそりと思う。
 「あんたの?」
 「うん」
 「いいの乗ってんね」
 「ありがとう」
 「自分で買ったの?」
 「ううん、パクった」
 「やっぱり」
 男が白い煙を吐いたのが見える、月明かりは偉大だった、私には、男は綺麗な顔をしているのがはっきりとわかる。
 「欲しいならあげるよ、私持って帰っても置く場所ないし」
 などと言いつつ、私は家に帰る気なんてない。かといって、今から行く場所なんていうものもなかった。
 「要らねえよ、パクったのなんて」
 「ああそう」
 足を組む。少しでも自分の体を小さく重ねた方が、温かくなるんじゃないのかと思ってのことだった。それはほんの少しの効果しか生まない。私が求めるのは絶大的な温かさである、例えばこたつとか、ストーブだとか、亜熱帯植物園であるとか。でも今、そんなものはどこにもなかった。
 「おねえさん寒そう」
 「オネーサン?あんたいくつ」
 「15」
 15歳、2つ下。15の夜という歌はまさにきみみたいな奴のためにあるのだよと言いたかったがこの男が、そんな古い歌を知っているか自信がない、というより15歳って。ありえねー、私は思っている。
 「老けてんね?」
 「そう?」
 「同じくらいか、上だと思ってた」
 「おねえさんいくつ」
 「17」
 「なんだ。老けてんのはそっちじゃん」
 「は?生意気言わないでよ中学生のくせに」
 はあ?訊き返し、男は苛立ったような顔をした。そういえば私も中学生の頃、大した年齢も変わらないはずの高校生に中学生のくせにとか、言われるのが物凄く嫌いで腹が立ったものだと思い出して、くすんと笑ってしまう。笑った後、結局私もあの時の高校生達と同じように現在の中学生を、見下していることに気付きまた、口元が緩む。時代は繰り返すのだ。
 「なに笑ってんの」
 「いや、思い出に浸ってて」
 「おねえさんこの辺の人?」
 「ううんちょっと遠くから家出してきて」
 「家出って」
 久しぶりに聞いたわ、と今度は彼がくすくす笑っている。むかつくが、でもさっき自分の経験をまるで生かさず彼を見下したのは私であったからおあいこということにし、顔には出さなかった。
 「あんたは?近くの子?」
 「まあそんな感じ」
 「夜の散歩とかしてたんだ?」
 「いやどっか行こうと思ってバイク盗んで」
 「あんたも?」
 「うん、向こうに停めてある」
 「なにそれ不良じゃん。学校どこ?」
 「山吹」
 「山吹?」
 それって難関私立の?私は訊き、俺頭良いから、と彼は簡単に答えた。 そういえばあそこ、真っ白な学ランだったっけなんて、岩に座っている彼を眺めながら思い出していた。 きっと小学生であった私なんかは面接も受けさせてくれないような有名中学に、こんな派手で生意気な男が通っているのか。それでその男は夜になるとこうして、なにがあったのかは知らないが制服姿のまま、15の夜さながらバイクを盗んでそれに乗ったりするらしい。時代は変わるのだ。
 「おねえさんのバイクさ」
 「ん?」
 「ちょっと貸してくれない」
 「いいけど、なんで?」
 「俺の、もう動かなくて」
 「なんで」
 「ガス欠」
 それは残念だ、呟く私を見て、男が立ち上がる。さあ不思議な私立中学生おもお別れだ、そう思って冷たい自分の両手を擦り合わせる。そしたらなんか、合掌のようになり、縁起が悪いなと思うがしかし、やめられない。
 男は公園の門をくぐり、バイクに跨った。それで私を見て、不思議そうに首を傾げる。
 「あれ?おねえさんは」
 「ん?」
 「行かないの」
 「え?いいよ、私ここにいる」
 「ここにいてどうすんだよ、男なんか絶対釣れないくせに」
 「は?失礼じゃない?」
 「寂しいおねえさんの相手してやるからおいで」
 男が。中学生とは思えない言葉を吐き、しかしにふわりと笑って見せる。ああこの男は、簡単にいうと格好いいのだ。年齢だとか学歴だとかそういうものを通り越したところにある、生物的な惹きつけ方を既に、身に付けている。すごい奴に出会ってしまった、そう思いながら結局、立ち上がる。
 年下にからかわれているらしいことも、しかし相手にされてるのも、やはり17になった私としてはなんだかムカつくけれどもう今日は、どうにでもなれ!と、家出して来た理由なんて全て、忘れて男の後ろに跨った。男の後ろに乗る時にいつも痛感するのは、私が女であるという事実だった。
 「掴まってないと俺、落とすから」
 「そしたら呪う」
 「はは」
 おねえさんならいいや、怖くないし、と男が言う。私は男の胴にぎゅっと腕を巻きつけた、彼は驚きも、身じろぎもしない。まるで女を後ろに乗せることに、慣れているのだった。そしてキーが回り、盗んだバイクはまた、走り出す。
 冷たい風を切る音がする。男の後ろにいて頬を、彼の背中にこれでもかというくらい押し付けているだけで前に進める私は今、そこまで寒さを感じない。彼はどこに向かっているのだろう。行く先のなかったはずの私に、行く先ができたけれど今度は、行く先がどこなのかを知らないだなんてそんなのは、結局行く先なんてないのと同じだった。
 「ねぇ!」
 「何?」
 「どこに行くの?」
 「どこがいい?」
 私は。そんな風な問いかけをされたのが随分と久し振りなような気がして思わず言葉が出なかった。気が付けばいつも指示されてばかりいた、ああしなさいこうしなさい、あれに沿ってこうしなさいこれに基づいてそうしなさい、それがうざったくて私は大人なんて!と思っていたんじゃなかっただろうか、それで嫌になって家出なんか、したんじゃなかっただろうか。
 つまりというかやはり大人ではないこの中学生はこういう問いを当然のようにするわけで、ただそれだけなのになにをしてもいいと言われたように感じなんだか、嬉しい。
 「なあ、どこがいい?」
 「、どこでもいい」
 結局、こんな相手を困らせる答えしか出せない自分が情けないのだが、それでも彼は怒ったりしなかった。ふうん、と呟いているのが彼の背中から聞こえる。
 「じゃあホテルでも行く?」
 「それはいや!」
 「どこでもいいって言ったじゃねえか」
 ケラケラと中学生が笑う。こういう、くだらない、中身のない、思ったことだけを言い合うような会話はいつ以来だっただろう。ホテル代もないくせに、うるせえよ、言い合いながら、カーブに入り、バイクが横に傾く。コンビニの明るさがひどく目に痛い。ぎゅうっと彼に掴まって安心感と一緒にあふれ出したのは、あたたかな感情だった。
 「そういえばおねえさんって」
 何度目かの信号で止まった時、彼が口を開いた。
 「なんて名前?」
 「
 「そう」
 「そっちは?」
 「仁」
 「彼女は?」
 「いないけど」
 けど?訊き返した時低い唸りを上げて、バイクがまた走り出す。ふと周りを見渡せば少しずつ、空が明るくなりはじめていた。朝が始まりそうな光に包まれる中、知らない町並みが見えていて、遠い所まで来てしまったんだってなんだか取り返しが付かないことをした気分だ、けれど不安はあまりない。
 「付き合いたい人がいて」
 「ああ、学校の子とか」
 「いやって人」
 「へえ」
 「最近会ったんだけどいい年して家出とかしてんだよ」
 「ええ、変な人だね」
 「だろ、でも好きだから」
 「そっか私もさあ、付き合いたい人がいて」
 「うん」
 「年下ですっごい綺麗な顔してて生意気で、不良でさあ」
 「うわ、嫌な奴じゃん」
 「でしょ、でも好きなんだよねー」
 車体は大きく、左へ反れた。

 遂に朝日が顔出して私達を包む世界全てがキラキラして見えた時、バイクを停めてふたりで降りて、お互い、寒さで紅潮した頬を確認しあうと私はぎゃああああなんて、よくわからない雄叫びみたいなものを上げ、仁はというともうへなへなの笑顔を作って見せ、そして私達はばかみたいに強く強く抱き合った。互いの皮膚が冷たいのを感じたのに温かく、疲れているし、眠たいし、それなのに幸せで、心地よかった。調子にのったのかどさくさに紛れて、当然のように仁がキスをしてきて、くそ生意気な奴めと、年上であるはずの私はまるで少女のように目を潤ませていたと、後々になっても仁に笑われる日々が、私を待っていた。








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2014.6.8
2008.1.3最終更新のもの、加筆修正
山吹生賢い説浮上