夏はビールがうまいらしい、詳しいことは知らないけれど。




西瓜でも食べましょう






 テレビの中の美人なお姉さんが、いかにもおいしいですよという表情でビールを煽っていた。汗水たらして、炎天下の下で、麦わら帽子なんかかぶって。なんとなしにアタシは烏龍茶を飲む、ビールの色は良からぬ液体を想像させるから、嫌い。
 観覧者の驚きや歓声やため息がひどくいやらしく感じる料理番組がはじまってしまい、うんざりとしてリモコンでテレビの電源をoffにし、氷が完全に溶けてしまって薄まった烏龍茶をもう一口飲みながら、ベランダに目をやる。そこには仁の、手すりにもたれて宙を見上げる後ろ姿があった。その姿は、骨格は、一瞬どきりとするくらいたくましいのだ。まだ中学生なのに。銀色の髪は、漆黒の闇にそれでも溶け込んでいた。
 数十分前、バイトから帰ってきて幾分へとへとであった私は汗をかいてもおり、すぐにシャワーを浴びようという気分でリビングの電気を点けた。明るくなった室内で目に入ったのは人影で、一人暮らしである私はそれに驚き、遂に幽霊を見てしまった、と肝を冷やしたりもした。けれどその、ソファではなくすぐ横のフローリングに座り込んでソファを背もたれにして小さくなっているのは仁で、加えてすやすや寝ていたのを見て、ふっとあたたかい息が漏れた。こんな真夏に青白い顔をし、それでも気持ちよさそうに寝ている彼を起こすのは気が引けた、けれどなんだか我が物顔でこうして自宅で眠られるのも癪で、私は肩を叩き、体を揺らして仁を起こした。寝起きの彼は妙にふわふわとして
 「おはようさん」
 なんて言い、偉そうに私の頭を撫でた後やはり妙にふらふらしながら立ち上がり
 「目、覚ますわ」
 と呟きベランダへ出て行ってしまった。どうして勝手に家に入ってんだとかどうしてここに来たんだとか。色々問い詰めたい気持ちはあったけれど追いかけることをさせないようなふわふわ具合と、彼の寝起きの妙な態度に私は浄化され、まあどうでもいいかいたいだけいれば、という気分になった。よくよく考えればある時唐突に無敵な幸せに包まれていつでも来れるようにと仁にここの合鍵を渡したのは私であったと、すぐに思い出したりもしたし。
 それで、私が帰宅当初の計画通りシャワーを浴び、服を着替え、烏龍茶なんか注いじゃってテレビを付けても、彼はまだベランダから戻ってこない。いくら夏だからってあんなに青白い顔をしていた彼だ、ずっと外にいたら寒いのではなかろうかと心配しつつ、どうせ呼んだって気が済むまでは頑なに動かない男であることを知っている私は、それを放っておく。それにしても暑い。仁のことを寒いかもと心配したりリビングの自分は暑かったりと、私もなかなか忙しいわけだ。烏龍茶はもうずいぶん前からぬるくなっているが、それでもコップは汗をかきテーブルに水溜りを作っている。手持無沙汰でその水に指先で触れ、テーブルの上に水滴を伸ばして遊んでいる。うさぎのような、それともエイリアンのような形が出来上がり、幼子ならこれできゃっきゃと笑うのだろうがそんな無垢な気持ち、私からはずっと昔に抜け落ちてしまっている。指先に付いた水さえもすぐに体温でぬるくなり、不快だった。

 「上の階のベランダで花火やってる、めっちゃけむい」
 濡れた人差し指と親指を擦り合わせてぼおっとしていると、やっと仁が戻って来てそう告げた。花火?訊き返す私に、彼は頷いて見せた。いいなあ、思わず呟くと、ガキかよ、と笑われてしまう。
 「目、覚めた?」
 「うん」
 「そっか、よかった」
 「てか暑くね?」
 「暑いよ」
 すっげー暑い、腹立たしげに仁は言い、テーブルの上の水滴だらけの烏龍茶のコップを手にすると一口飲んだ。そして今度はぬるい、と文句を言うのだ。
 「この部屋暑すぎ、なんでさんそんな平然としてんの」
 「さあ」
 「あー無理、俺やっぱ外にいる」
 ぬるい烏龍茶をそれでももう一口飲み、コップを乱暴に戻すと彼はまたベランダへ向かっていった。花火の煙に少しむせて揺れた、彼の背中を眺めていた。

 キッチンのシンクにぬるい烏龍茶を捨てた。コップを洗いもせずそのまま放置し、まな板と包丁を取り出す、それだけで体が更に熱を持ち、私は暑い。冷蔵庫の野菜室にすいかが一玉入っている、本当に一玉、傷ひとつない、まんまるの一玉。実家が農家だという隣の若奥様がおすそ分けだと昨日、くれたのだけど一人暮らしの私に一玉もくれたって食べきれるわけがない、と腐らせる覚悟だった。今日私には仁がいる。ひとりがふたりに増えたからって、すいか一玉には太刀打ちできないかもしれない。それでも私はそれを切る。真っ二つになるよう包丁を入れる。黒い雷のような模様の西瓜が半分に裂け、毒々しいくらい赤い中身を覗かせた。暑さとすいかのにおいが相まって、息苦しい。
 「すいか食べる?」
 言う通りけむたいたいベランダに遂に私も出て行き、切り分けたばかりのすいかを一切れ、仁に差し出した。ぼおっとしていたらしい仁は一瞬驚いた顔をして私を見、素直にすいかを受け取った。それで素直に、それにかじりつく。まるで私が毒を盛ることなんかないかのように、まるで私を信じきっているかのように。ベランダは涼しかった、目を凝らせば闇夜の中、遠くの街の光がきらきらと見える。
 「すいかとか。ひさしぶりに食った」
 「おいしい?」
 「うん」
 頷かれ、私も自分の分のすいかをかじる。それはすいかの味がした。
 「すいかに塩かけて食べるの、したことある?」
 「ない」
 「おいしいよ」
 「うそだろ信じらんねー」
  少しの塩分が甘みを増して感じさせるんだよ、みたいなことを説明してやろうとしてやめた。そんなことを言ったって仁は話半分でしか聞かないだろうし絶対に、じゃあ塩ちょうだい、とか言ってこないのだ。それでいい、寛大な気持ちになってベランダの柵から身を乗り出し、口の中に含んでいた種を宙に向かって吹き出した。それは弧を描き、ある時急激に落下していく。暗い地面に落ちた時にはもう、私達には見えなくなってしまっている。甘くておいしいすいかだった、けれど妙に種が多い。私はまた一口かじり、種を宙へ吹き出している。その様子を隣で仁はしばらく眺めていて、その内真似して種を吐き出した。そうその仕草は吹き出すというより吐き出すで、彼の種たちは無念にも弱々しく下の階のベランダに着地していった。
 「あーあ」
 「意外に難しかった」
 「へたくそ」
 「うるせえよ」
 ぷ、と私はまた種を飛ばす。上からは花火の匂い。仁はというと遠くに飛ばすのをすっかり諦めたらしく、下の階のベランダへ向けて種を落としはじめていた。
 「ちょっと。怒られるの私なんだけど」
 「そっか忘れてた」
 へらへらと仁は笑う。彼の持つすいかはもう果肉がない。皮と、薄緑の味のしない部分だけ。彼はそれを手でもって、きれいに遠くに投げ飛ばして見せた。どこかに落ち、コンクリートに打ち付けられた音がした。くしゃ、というなんだか不気味な。
 「そういえば、今日なにしにきたの?」
 さっき確かに浄化されたくせに、まあいいかと思ったくせに、私はそんなことを仁に尋ねる。ん?と一度訊き返した後、彼はさらりと風の如く
 「さんに会いにきた」
 と言った。大胆なことに上の階から打ち上げ花火が発射され、唐突に目に痛い光と耳に痛い音が頭上を通過した。驚いて思わず仁にしがみ付くと、彼はやはり偉そうにアタシの頭を撫でるのだ、ガキかよ、と笑って。なんだか癪でかじるそれは、すいかの味がする。












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2006.7.29/2014.10.15加筆修正
なんらかの企画に使ったもの