の家でチューハイを飲んだ。一瞬頭がカッと熱くなる。ひとり二缶ずつ、グレープフルーツだとかグリーンアップルだとかの甘い酒を飲み終わると学校へ向かった。ほろ酔いだった。






 深紅






 校門をくぐる前に立ち止まり、二人で煙草に火を付けた。私達は学校に入りさえすれば、わりとまともに授業を受ける。ちゃんと自分の席についているし、教師と言葉を交わすのが面倒なので途中退席もめったにしない。だからこれから教室に入って二時間目が終わるまで残り38分間くらいは女子トイレに行って煙草を吸うことができないのだと思うと自然に、煙を深く吸い込んだ。も珍しくフィルターぎりぎりまで、紙に巻かれた茶色い葉を燃やそうとしていた。
 しばらく黙ってニコチンを摂取しながら冬の寒空の下、私は先週末の出来事に思いを馳せている、県外の、どこか海の綺麗だというところから出張でこの町にやってきた男は隣町のビジネスホテルに泊まっていた。この町ではなんだか難しい、メカみたいなものを売っているらしい、住宅街を歩いて、知らない家々のチャイムを鳴らし、営業活動をするのだった。金曜の夕方に駅前のコンビニでタピオカドリンクを買った私の、後ろに並んでケントナノテックを買っていた男は、外に出て容器にストローを差していた私に声をかけてきた、私は男にのこのこついて行き隣町へ行った、男が同じホテルに私の部屋を取ってくれて私はビジネスホテルに初めて、それなのにすんなりと入ることができたたのだ、もちろん受付で貰ったキーはただの飾りで、私はその晩ずっと男の部屋に居たのだけど。
 男はロビーの自販機から何本かの酒と水を買ってきて私にそれらを勧めながらぽつぽつと喋った。特におもしろくもなく、つまらなくもない話だった、男は私の年齢を聞いて一瞬ぎくりとした顔を見せたけれどそれでも、缶ビールがいくつか空いて二人で交代にシャワーを浴びると当たり前のように、私を抱いてきた。まだ、新卒採用だと言っていたから22、23歳なのだろうけれど15歳である私からすれば男がおっさんである事に変わりはなかった。体を触る手付きだとか、時々発せられるセリフなんかの、場数を踏んだこなれた感じに抱かれている最中ずっと苛々していた。
 土曜の朝男は目を覚まして、午前3時から起きたっきり二度寝ができなかった私が隣に横たわっているのを見て驚き、それでも弱弱しくふっと笑った。
 「帰る?」
 男は訊き、土曜日だから、と私は言った。男は受付に部屋の宿泊延長を伝えておくと言ってシャワーを浴び、小さなキャリーバッグからクリーニング上がりのワイシャツを取り出し腕を通して、それから薄っぺらいクローゼットにかけてある昨日と同じスーツを着ると、私の額に唇を押し付けて仕事に出て行った。私はしばらくぼおっとして、ぬるくなった缶ビールを一本空け飲み干した後、男より一つ上の階にある自分の為の部屋へと向かった。カードキーはピ、という音を立ててドアノブの上の隙間を滑った。シーツに皺一つないベッドと、小さなテーブルを眺めた後服を脱ぎ、シャワーを浴びた。
 私は勢いでやってきたその町に興味がなかった。どこかへ行く時の通り道にある町で、私の町と大差ない大きさ、人口、賑わいであるのは知っていた。だから今更その町の、どこかを散歩してみるだとかそういう気分になれずシャワーを浴びて体から湯気を上らせながら下着姿で、ベッドに寝転んだ。携帯を見る気にもならない。テレビを付ける気にもならない。まだ午前9時を過ぎたばかりで明るい窓の外を見ているとヒモってこういう気分なのかもしれない、と思った。生産性はまるでないけれど、性に合っているようにも思えた。

 「二時間目なんだったっけ?」
 ほんとにフィルターぎりぎりまで煙草を吸いきったが足元に吸い柄を投げ捨てながら尋ねたので我に返る。私の煙草は長い時間吸わなかったからか真っ白な、長い灰がかろうじてくっついた形で指先に収まっている。現国か数学じゃない、と答えてから随分物思いにふけっていたことに恥ずかしくなり煙草を一口無理矢理吸った。 と同じように足元に投げ捨て歩き出しながら、に先週末の一連を話さないことをどう思うべきなのか考えていた。罪悪感を抱くべきか、優位に立ったと思うべきなのか。

 遅刻して入ったA組は数学の授業中で、私達を教える数学教師はとても自由で変わり者だったからいつも通り教室中が騒がしかった。教卓に肘をついて教科書を眺めていた教師は私達を見て台形の面積を求める際の公式を言わないと教室には入れないと言ったけれど が円周率を5桁まで、私が唯一知っている三角形の面積を求める公式を発表するとまあ許してあげようみたいなことを言って通してくれた。私は学校がだるいと思う、だけどこの先生は好きだしクラスメートとか、一緒に遅刻をしてくれるだとかは嫌いじゃない。
 私との席は奇跡的にも隣同士だ。席に着いて鞄の中身を漁っていると近くの席の子達が一斉にくすくす笑い出して、お前ら酒臭いよ、と小声で騒いだ。そりゃあ飲んだからなと思う私の横でばか声大きいよとは、彼等に静かにするよう訴えていた。

 教師は授業の半分以上を生徒だけで問題を解かせ、議論する時間として使う。あと少しで授業が終わるな、という時間になるとおもむろに立ち上がり黒板に正しい答えを書き出し何故そうなるのか、細かく説明するのがいつものスタイルだった。その時間が始まるとただでさえ数学が苦手で、しかも遅刻して入って来た私には彼が何を喋っているのか全く理解できず、窓の外を眺めているといつの間にかまた先週末へと頭が飛んでいた。
 私は午前中いっぱいその部屋でただ眠り、時々起きては煙草を吸い、男の部屋からくすねてきた水を飲む、を繰り返していたのだけれどふと自分が昨日も今日も同じ服を着ていること、そして今日またここに泊まるのだとしたら明日も同じ服を着ていることになると気付くと体中が痒くなって、気分が悪くなり、いてもたってもいられず財布だけを持ってホテルを出た。この町に大した服屋がないのは知っている。だけどまあ、なにもないわけではない電車だってあるし、ここは駅前ホテルだし。とにかく、どこかで服と下着を買わないといけない、あとできれば煙草も。そう思って受付の男に行ってらっしゃいませと見送られながら出た外は寒いのに、晴れていたから顔だけがじんじんと暖かくて吐く息は白く早くどこか屋内に入りたいと、そればかりで足を進めていた。
 男は夕方になると仕事を終えて私の部屋のドアをノックした。ビジネスホテルが初めてだった私は、こういう所のスタッフは中に客がいようと清掃に来たりだとかなにか連絡をしに来たりするのだろうかと緊張しながらそのドアを開けた。緊張していたのは男も同じだったのだろう、不安の入り混じった顔で部屋の中を覗き込み、自分より頭一つ分背の低い私を見とめるとまた、弱弱しく笑った。
 「ヒモみたいだった」
 そう今日一日の感想を述べた私に
 「飯行こうよ」
 と男は言った。私は昼間結局電車に乗って三つ先の駅にあるショッピングモールまで行って買った服を着ていて、それを見せてやった。男は眠たい猫みたいな顔して笑う、出かけたんだ、と。スーツ着てるくせに年上のくせにガキっぽい笑い方をするところとか耳にピアスの穴が開いているところだとか見ると大人になりきれない子供のような、子供が大人ぶってるような印象を受けてやはり私は男に苛々するのだけどずっとなにも食べていなかったことを思い出すと途端に空腹を覚え、男の提案に従った。17時にロビーで。そう言って男は私の部屋を出て行った。私はぽつり残された部屋で時計を確認しながら煙草に火を付けた。パッケージの中には残り二本の煙草しかない、駅の売店やコンビニで煙草を買おうと何度もチャレンジしたのだけどどこもかしこも年齢確認を求めてきて、結局煙草だけは買えなかった。後で男に買わせようと思い、鏡の前で髪を整えた。

 気が付くとうつ伏せになっていて半分眠りかけていた。トイレ行かない?と言うに肩を揺すられた時にはもう休み時間が始まっていた。私は今自分があのホテルにいるのか、それとも山吹にいるのか私は、今の私は一体なにであるのかわからなくなり頭がぼんやりとしていたのでそれを軽く断った。ですっきりした奴で、おっけーとだけ答えて一人で教室を出て行った、スカートのポケットに手を突っ込みながらその右手に赤ラークとライターが握られているのを私は知っているし多分、この教室のほとんどがそれを知っている。が女子トイレの一番奥の個室、換気扇の真下でそれに火を付けるのも。
 私達は多分最初の頃、クラスから疎ましがられていたはずだ、学校祭の準備をさぼったり体育大会に遅刻したり私達のせいで教師達が説教をはじめることがものすごく多かったからだ。でもここ最近、冬が始まり受験だとか卒業だとかをなんとなく身近に感じるようになるとこのクラスと、私達は和解できるようになってきた。みんなぴりぴりしていて、けれど中学校生活が終わる開放感もあり、ぴりぴりした空気をぶち破って私達は事件を起こすし、開放感を更に盛り上げるように私達は事件を起こす。朝から酒を飲んで登校すると最初の頃は、みんな押し黙って私達を睨み付け休み時間の度に遠巻きにぐちぐち非難したものだった。それが今ではクラスの半分くらいが酒の味をどこかしらで知ってきて、飲酒というものに対する許容と興味を抱いている。和解だ。和解と成長だ。私はいつもそう考えて冷静さを失う。
 2、3分そうしてクラスのざわめきに耳を傾けていたら無性に煙草が吸いたくなって自分が苛立っていることに気付く、なにが和解だ、なにが成長だ。こいつらはなにもわかっちゃいない、遅刻する勇気も酒を飲む勇気も知らない男にナンパされてついて行く勇気もないくせにさも友達のように、酒臭いだなんて言ってきやがって。がお喋りで明るくてばかだから、接しやすそうだって近付いてきただけのくせに。ほんの少し前の自分の思考と全く正反対の思考を抱く自分に驚愕しながらも苛々は収まらず、鞄から煙草を取り出しポケットに押し込んだ。はまだ戻ってきていない、トイレにいるのだろう。ライターはに借りればいい、私のジッポは散らかった鞄の中の奥底へと消えてしまって探す気にもなれなかった。
 それでもってトイレに行けば一番奥の個室のドアが開いていてがいないものだから私の怒りは爆発寸前だった。、どこ行った!という怒りと共にがトイレにいない、でも教室にも戻ってきていないことに不安を覚えた、どこ行った?という風に。完全に煙草を吸う気でここまでやって来た私の頭と口と肺の中は煙草のことでいっぱいで煙草があるのに火がないというあと一歩な感じが私を酷く焦らせ、!火!!と口走りたくなる、手洗い場のところでD組のお嬢様グループがたむろしていたので決して言わなかったけれど。彼女達がライターなんて持っているはずがなく、いくら探しても私のポケットにライターはなく、教室まで戻って鞄を漁ってジッポを手にする自分はひどく間抜けに思えそれでもいつまでもトイレのドアの前で立ち止まっているわけにもいかず私は廊下へとまた戻る。

 いい匂いがする。勿論とんかつの匂いとかブルガリの香水の匂いとかお花畑の匂いとは程遠いものでだけど今の私にはそれが一番いい匂い、煙草の煙のあの匂いだった。一度深くそれを吸い込むと自分が喫煙をしたようなそんな気になるがその満足感はすぐに消え去り煙草火煙草!で私の頭はいっぱいになった。目の前を歩いていたのは背の高い男子で私の単純な勘から言うといい匂いはその男子から発せられていた。欠伸をして歩いて行く男子の手を引っ張ったのは咄嗟のことでつまり私はそこまで必死だったのだ、今、すぐ、煙草を吸いたい。
 振り返った男子は亜久津だった。亜久津だった、と簡単に言ってはみたものの去年クラスが一緒だっただけで一度か二度、何かの拍子に体がぶつかって「あ、ごめん」「いや」みたいな会話をしただけの元クラスメートだ、手を引っ張るような間柄ではない。亜久津は私を見降ろして、立ち止まり、それで何故私なのだろう、という顔をした。つまり亜久津だって自分が、私に引き止められるような人間でないことをわかっていて戸惑っているのだ私が今戸惑っているように。それでも私は止まらない、ライター。火、貸して。そんなつまらない言葉を口にする、亜久津を見上げて、さも必死に、見苦しく。手を離すと亜久津は予想だにしない物分かりのよさで自分のポケットに手を突っ込みシルバーのジッポを私の手にぽいと落とした、ただ黙って。
 「ありがと、何組?」
 「E組」
 あとで返しに行く、そう言う私に亜久津は頷いた。そしてそのまま行ってしまう、私もそのままトイレへ引き返し、奥の個室へ死に物狂いで駆け込んだ。

 いかに綺麗に便器の中に灰を落とせるか、という超個人的なゲームに励んでいるとチャイムが鳴ってしまい私は次の授業にまた遅刻することが確定しそして、返しに行く、と言った亜久津にジッポを返せないことが確定した。別に授業中の他人の教室に入り込むことくらいわけないのだけど私は、亜久津とまるで仲がよくないから亜久津目当てでE組に乗り込むのは面倒だったし亜久津だって、私に突然やって来られても迷惑だろうと考えたのだ。
 急ぐことを諦めて壁にもたれて、回る換気扇の音を聞きながらもう一本、煙草に火を付け目を閉じた。私とあの男が行ったのは個人経営の居酒屋で、私は生き物を食べる気が全くせず刺身だとかを食べている男と向かい合いずっと豆腐と枝豆を食べていた。豆腐、それが終われば枝豆、食べ終えたら豆腐、のローテーションで何度も店員を呼ぶものだから男も、呼ばれる店員も最後には笑いだしていた。ここでは年齢確認なんてものはされず私は生ビールを飲めたし男が買ってくれた煙草も平然と吸うことができた。ただ私と1、2歳しか年が変わらないような女子高生アルバイト店員は笑いながらもずっと、わかってるんだからな、という顔で私を見ていた。
 「ベジタリアンなの?」
 三皿目の枝豆を注文した私に男がそう尋ね、全然、と私は答えた。木曜日の放課後に焼き肉食いてえなとと大騒ぎしたばかりだった。私達の財力ではそんなことは決して叶わず、ローソンでからあげを買ってちびちび食べながら家に帰ったのだけど。
 「昨日の夜もさ、ナッツしか食べてなかったから」
 「そうだった?」
 「そうだよ、ハムサンドとか食べなかったじゃん」
 金曜の夜。ホテルに私を連れ込んだ男はコンビニで買ってきたサンドイッチとか、小さな弁当とかを私に食わせようとした。でも私はそれらに決して手をつけず、袋詰めされたミックスナッツだけをつまみにビールを飲んでいた、なんていうか。私は男に返事をする。
 「血とか要らないとか思う時があって」
 「え?」
 「血。生き血っていうの?わかんないけど、血の通ったもの食べたくなくて」
 「鳥とか魚とか?」
 「そう、ローストビーフとか死ねって思う」
 「死んでるけどね」
 そんなつまらないことを男は言って、私はそれでも笑ってやったはずだ。男には絶対に私のこの気持ちがわからないだろう、だって私にだってわからないのだから。焼き肉を食べたいと、体中が切望している私と絶対血の通っていたものの死骸なんか食べたくないと、全力で拒否している私がここに一緒になっているだなんて信じられない、温かい枝豆が運ばれてきて私は、それに手を伸ばした。

 「どこ行ってたの?」
 教室に戻ると何食わぬ顔で席に座っているがそう尋ねてきて私は少し混乱し、混乱したことに苛立った。
 「こそどこ行ってたのトイレにいなかったじゃん」
 私の語気は少し棘っぽかっただろう、それなのには全く気にしない様子であたしめっちゃ最悪でさあ、と眉間に皺を寄せて見せた。トイレ行こうと思って歩いてたら携帯いじってんのエビちゃんに見られて、職員室呼ばれるし頭叩かれるし彼氏とのエロっぽいメール廊下で読み上げられるし超最悪だよ、携帯没収されそうだったからすっごい謝って返してもらったけど、そのせいで休み時間潰れてトイレも行けなかったしまあポケットの中身見せろって言われなくて良かったけど。そう言ってエビちゃんというあだ名を持つ進路指導主任の体育教師を素直に愚痴るを見ているとがいなかったこと、火がなかったこと、たったそれだけに腹を立てた自分がいかに小さい人間なのか痛感して心が冷えていく。私もみたいに大らかなばかになれたらいいのにと、こういう時ばかりはこいつが羨ましい。は?結局トイレ行ったんじゃん、ふっと力が抜けて椅子に座り込む私にはにやにやと笑って見せた。
 「トイレ行ったけどライター忘れて」
 「うん」
 「亜久津に借りた、まだ返してない」
 隣に座ってこちらに身を寄せるに、ポケットからジッポを出して見せると は驚いた顔をして、目を輝かせた。
 「亜久津って。イケメンじゃん」
 そう言うがひどくおばさんっぽくて笑うと、もつられてくすくす笑い、でもイケメンじゃん、と私に言って、あんま考えたことない、と言う私を考えてよ!と怒った。私は次の休み時間にE組に行って亜久津にジッポを返すことを考えるとぐっと気持ちが萎えて昼休みまで待ってもらおうと思うと幾分気が楽になり、ポケットの中の小さな重みと太ももを擽る感覚を無視して化学の教科書を取り出した。

 昼休みにE組へ行くとそこに亜久津はおらず、ドア付近で大笑いしていた男子の群れに亜久津の所在を聞くと当然のようにこの時間は非常階段か帰宅、と言われて少し驚く。きっと亜久津もこのクラスで、私達と同じような扱いを受け、和解に至っているのだろうと考察した。私達は異物で、けれどクラスメートで、話のタネになる愉快な生き物だと思うクラスメート達と放っておいてくれ受け入れてくれ友達面してんじゃねえよと我儘を言う私達。
 私の足は非常階段へと向いていた。化学準備室の前を通り東階段を上っていると、相変わらずポケットの中のジッポが私の太ももを擦り、一体何故あの時、私はあそこまでして煙草が吸いたかったのだろうと情けなくなる。おかげでこんな風に、馴染みのない階段を上る羽目になってしまった、しかもその目的が更に馴染みのない亜久津だなんて。についてきてもらえばよかったかもしれない、私はずっとそう思っていたのだけれど昼休みになる度に高校生の彼氏と電話をする事が日課になっているに、それを取りやめるように言うのは気が引けた。
 東階段を四階まで上るとそこから先はロープが張られて立ち入り禁止という事になっている。でも私はそれを簡単にくぐり、更に足を進めた。上りきってしまうと屋上の入口に辿り着くのだけど非常階段は、その途中の壁にある小さなドアを開けないと到着出来ない。ドアの先は小さな部屋で、すぐ目の前にまたドアがあり、更にそれを開けるとそこはもう校舎外、裏庭から地上四階半までの長い螺旋階段が使われることなくぽつりと存在する。ぐるぐると校舎にくっついて地上まで続く螺旋階段の、一番上から見下ろせば三階と四階の間くらいにさっき見た背中がぽつりと小さくなって、座り込んでいた。
 一歩階段を下りただけで亜久津は振り返った、面倒臭そうに。風が少しあり、私は手すりに捕まりながら一歩ずつゆっくりと階段を下りていた。こんな心許ない螺旋階段が火事だとかの非常の際に果たして何人の生徒を無事に地上まで下ろすことができるのだろう私は、山吹の危機管理の悪さにむしゃくしゃとする。
 「週末ホテル街にいただろ」
 先手を打ったのは亜久津だった。

 男は居酒屋を出てコンビニに寄り、私にもう一箱煙草を買い与えるとホテルに戻った。シャワーを浴びたら部屋に行っていい?と男言い、私は頷いて自分の部屋に戻った。30分と少し、シャワー上がりに買ったばかりの下着を付けて、買ったばかりのTシャツを着てベッドに寝転んでいると男が部屋の扉をノックした。私はエアコンの音ばかり聞いていたので耳が少し変になり、ノックが現実であるのかただの妄想なのかよく分からなくなっていたけれどそれでも試しにドアを開けてみて、そうすると男が立っていた。ホテルの浴衣を着た男が。昨日と同じ、ロビーで買った飲み物を抱えた男が。
 男は私のベッドに座らない、私がそこに寝転んでいたとして決して私には触れてこない。昨日の夜からそうだった、同じベッドに横たわりさえすればいとも簡単に私を抱き寄せ唇を寄せ甘い言葉を吐くくせに紳士ぶってんじゃねえやることやったんじゃねえかと私は内心毒づきながら男の話を聞いている。笑えないけれど眠たくはならない話を。日付が変わる、夜が更ける。遂に欠伸をした私を見ておもむろに男が立ち上がり、
 「今日は一人で寝なよ、明日自分で帰れる?」
 と言い放った時私は、自分の女としての価値がもう、ミジンコのように小さいという事実を目の前に突き付けられ猛烈な吐き気に襲われた。私は若い、若くてその辺の男共には簡単に手の出せない神聖な存在なのだという自負があった。私は男を拒否できる、それは当り前のことで、拒否権はいつだって私にあると思い込んでいた。それなのに男は、向こうから私を拒否したのだ、面と向かって私を否定した。酒を飲んでいたのに。昨日の夜は抱いたのに。
 私は今すぐ部屋を飛び出して終電に乗って地元に帰りたい気持ちでいっぱいだった。大声で叫んで回りたい気持ちでいっぱいだった。だけど男がするりと部屋を出て行ってから二時間くらい、気を取り直しただとか、気の迷いであったとか、逃げ腰になっただけであったとか変なプライドからくる見栄であったとか、そういう言い訳をして男がまた、私の部屋のドアをノックするのではないかと思い眠れず、その場から動けずにいた。けれど男がもう一度私の部屋にやってくることはなく、ノックもなければアドレスなんかきいていないから携帯がなにかを知らせるわけもなく、部屋に備え付けられた電話が鳴ることもなかった。私は日曜の朝早くに駅へ行き、始発に乗ってこの町に帰ってきた。そう男は、その日も私の町で営業があったであろう男はそれなのに、私を地元まで送り届けるだとかそういう気すらなかったのだ。私はその日一日腑抜けだった。
 この二日間の事をどれほど思い返してみても私の落ち度は見当たらず、男が不能であったのだと決め付けてみても気は晴れず、  やはり落ち度は私にあってそれは、私の女としての価値であったのだと、思うと苦しくて仕方ない。好きでもない、好みでもない男に私はもう一度会いたいと思う。なにかの拍子に男にもう一度会って、狂おしいくらい求められることを望んでいる。私を求める男がいることを知って私は、自分の女としての価値をしっかりと確立されたい。
 「見たの?」
 「俺、家あの辺だから」
 ホテル街の近くに住む人間が、同級生がいるとは思わなかった、あんな隣町で私を知っている人間がいるだなんて。諦めと、焦りと、少しの恐怖からふっと漏れた溜め息は白く濁り、風に吹かれてふっと消えた。
 「彼氏?」
 「違う」
 「年上じゃなかった?」
 「まあ」
 「稼いでんの?」
 階段の中程で立ち止まったままの私を、首だけで振り返る亜久津が放った言葉は冷たく、こちらの身を刺すようだった。稼いでんの?その意味が、援交してるの?その意味だと瞬時に理解すると頭が真っ白になった。私は金すら貰ってないのに体を提供し、そして一度で見限られている。援交よりも無様な私を亜久津は、見抜くだろうか。
 「私がおっさん好きだとか思ってんの?」
 「いや、相手がロリコンだなと思ってる」
 攻撃的になった私の言葉を亜久津はするりとかわし、哀れむような顔をした。それは私に向けられたのか亜久津が見たというあの男に向けられたのか、私にはわからない。いずれにしても私は、ロリコンであったかもしれない男にすら、相手にされていない。そして傷付いている。男に見限られたこに、男がロリコンだと思われるということは私がガキであると、亜久津に遠回しに言われたのと同じだということに。
 「ライター返しに来たんだけど」
 「ん?」
 亜久津が眉間に皺を寄せたのでポケットからシルバーのジッポを取り出して見せると彼は納得のいった顔をする。軽く振りかぶった私を見てうっすらと笑い、投げるなよ、とこちらに左手を差し出して見せた。私は吸い寄せられるように亜久津の近くへ近くへと歩き出した自分にうんざりしながらも今、階段を下っている。
 私はあれからあのコンビニに行けていない、もしかしたら夕方あの同じ時間に飲み物かなにかをあそこに買いに行ったらあの男に、会えるのかもしれないと思うとどうしようもなくなって、近寄れない。私はあの男に求められたい、あの男なんかクズの極みだと思っているけどそれでも、再度私を抱きたいのだという姿勢を見てあの男を嘲笑いたい。見返したい、ほら私に触れたいんだろうと見下したい。ただもう一度会った時にまた男が、私をあっさり否定したらと思うとそれだけで、死にたくなってしまう。
 「いくら」
 ジッポを差し出されたままの左手に落とすと、亜久津は私にそう訊いた。私はまた死にたくなりながら、売ってない、と援交疑惑を否定した。にやりと笑う亜久津が私には下品に見えないことが悔しかったどうして、たかが同級生の亜久津はこんなにも現実離れしているのだろう目の前にいるのに、私と亜久津とあの男、私達三人に同じ血が通っているとはとても思えなかった。見上げる亜久津、見下ろす私。亜久津はポケットから煙草を取り出して、今渡したジッポでもってそれに火を付けた。優雅な所作だった、にも私にもそれはできないだろう。眺めているしかない、恐らくまだ話は終わっていなくて亜久津が多分、私がここから立ち去らないことをわかって私に背を向け、煙草を吹かしているのだと思うと蹴倒してやりたくなったが、それを私ができないことすら亜久津はわかっているに違いない。やはり、蹴りたい。私はあの時、手首を切ってでも煙草を我慢するべきだった、それとももっと違う誰かにライターを借りるべきだったのだ。そうしていれば亜久津と私の接点なんてものはまるでないまま、私はただの見られた人、亜久津はただの見た人で人生を終わらせることができた。一つ息を吐いた後。亜久津はまた振り返って私に向かって、煙草のパッケージを差し出した。マルボロソフトの。
 「いらない」
 「座れよ」
 ああどうしてこの男は、この男はこうも有無を言わさない。私は好き勝手やっていたい、たださらりとそこにいたいのに、男を  振り回したり無視したりしていたいのに。それなのに私はそこに、亜久津の一つ上の段差にぺたりと座り込む。
 「誤解を解きたいんだけど」
 「売りやってないって?」
 「あと、あの男はなんでもなくて」
 「なんでもない?」
 「彼氏でも客でもなかった」
 「ああ、」
 亜久津は呟いて。それから、それだけ?と続けた。そう言われてしまったら私にはぐうの音も出ない、心に正拳突きを食らわせたようだった。それだけ。言われてしまえばそれだけの理由で私は、なにを必死になっているのだろう小さなプライドからか、男に振られた悔しさか、自分の価値の小ささか、にすら先週末の話をできないのはきっと私が無様であった事をひた隠しにしていたいからで私は、目撃者である亜久津に怯えている。
 「やる」
 立ち上がった亜久津は私の膝にジッポを落として階段を上って行ってしまった。突然の出来事だった。私は現状が理解できず、目が覚めず、遠くでチャイムが鳴るのをぼんやりしながら聞いていた。また遅刻だ、そう思ったら欠伸が出て、目の前が霞んだ。亜久津に渡されたジッポが冬の風に当たって、きんきんに冷えたのを膝だけが知っている。

 「亜久津と付き合ってるの?」
 翌日三時間目の終わり頃に教室へ行くと、が待ちきれない様子で私に尋ねた。昨夜遅くにから電話があり、携帯を学校に持って来ていたことを自宅に連絡された為両親がカンカンに怒っている、明日は遅刻しないで学校に行かなきゃいけないと説明された。明日の朝もの家で酒を飲んでから学校に行けたらなと思っていた私はそっかあという残念な気持ちと、厳しく、口うるさく、簡単に一人娘であるに平手打ちをしたり、夜中に帰宅すると玄関の鍵をかけて家から締め出したりしまったりする彼女の両親を相変わらずぶっ飛んでる、と敬遠してしまう気持ちのまま自分は遅刻をするだろうから一緒に登校出来ないだろうと謝り、こっちこそごめん早起き頑張ると明るく謝ってきたにおやすみを言って電話を切り、煙草を一本吸うと眠りについた。私は若干赤くなっているの左頬につい見入りながらが、嬉しそうに私に言った言葉を頭の中で反芻させていた。私が亜久津と付き合っている?
 「なにそれ聞いてないんだけど」
 「えっあたしだって聞いてないよ」
 言い合うとおかしくなって、隣同士に座りながら私達は思わず吹き出した。
 「いやは聞いたんでしょが言い出したんじゃん」
 「だって朝からその話ばっかり聞くよ」
 「誰に」
 「女子だよ、ほらB組に亜久津好きなグループいるじゃん大騒ぎしてて」
 でも亜久津が自分で言ってたらしいよ、と私を見るがとても幸せそうで、私に久方ぶりに彼氏ができたと思って喜んでいるのだと思うと途端に申し訳なくなる、私は、にあの事を隠し続けているのだ自分のくそみたいなプライドの為に。付き合った記憶ないんだけど、そう言うとは怪訝な顔をした。
 「そうなの?ライター返しに行ってコクられたとかじゃないの?」
 「まさか。接点ないもん」
 「マジかイケメンなのに」
 冗談を言うに笑いながら、私は身体中が冷えきっていくのを感じた。亜久津が自分で言っていた?そんなことあるのだろうか、彼に虚言癖があるとはとても思えないし、大体私と付き合ったと言い張ることで彼が得られるメリットがない。しょうもない学校のしょうもないガキ共の、しょうもない噂であったとしたって私はこの状況が許せない。勝手なことを言いやがって亜久津にしろB組の女子にしろクラスメートにしろ  それにあの男にしろ!なにが付き合っているだなにが一人で寝ろだ何が座れよだなにがなにがなにが。私を振り回すな私を貶めるな私の知らないところで、私を勝手に見限ったり見定めたり見守ったりしやがって。
 苛々して仕方なく、私は相変わらず煙草が吸いたい。でも教室に入っての隣に座った今、ここを抜け出すのはひどく面倒だし、パニックをやクラスに知られるのは嫌だった私は平然としているべきなのだ。教科書を取り出してペンケースを漁っていると、つか生理来ないんだけどあたし大丈夫かな、とが喋りだした。そのありがちな相談に相槌を打ちながら私は妄想と回想の世界に溺れていく、片隅で亜久津の件をどうするべきか思慮しながら。

 男の私の扱いは丁寧で、嫌だと言うことはしなかったし私が寝付くまで、私を柔らかに抱き締めたまま寝息を立てなかった。反面愛してるも可愛いねもなくってその割り切った感じ、冷静さを保った感じにまたむかついていた。大人ぶりやがって、遊び慣れしてる風を演じやがって。私を抱いた後だというのに自分の出身地の綺麗な海の話だとか、そこに毎朝6時に必ず現れる名物おじさんの話だとかを、面白そうに喋る男にうんざりしながら私はそれでも笑っていた。ビジネスホテルの室内は乾燥していて鼻の中が乾く。廊下で誰かが歩く音が妙に大きく聞こえる。私達の吸っていた煙草の匂いが今そこにあるのかそれとももう換気扇に吸い込まれて消え去ったのか、わからなくなる。この男は私をどうしたいのだろうと、ずっと考えていた。思えば名前さえ知らなかった。

 「勝手なこと言わないでよ」
 教室を出て行く私を見付けたは彼氏との電話を続けたまま私に向かって意味深な笑みを浮かべて軽く手を振った。は深追いしてこない、亜久津と付き合ってんの?と訊いてきたくせに昼休みになって、どこかへ行く私にどこ行くの?と訪ねてきたりはしない。私がどこまでの追及を許しているのかしっかりわかっていて、それなのに笑顔を浮かべてきたりする。私は、がいないと自分がくにゃくにゃになってしまうことを知っている。がいないと山吹でこんなに快適な生活を送れていなかったのを知っている。お気楽でばかなだけが頼りになることを知っている。それなのに私は。
 振り返った亜久津は相変わらず階段の中腹ぐらいでこちらに背を向けて座り込んでいた。細い煙が上っていくのを見ていた、今日は風がなく振り向く亜久津に昨日ほどの  俊敏さはなかった。私が来るのわ分かっていたのかもしれない。悔しくて、亜久津を同じ生き物だとは思えない、血が通った生き物を食べたくない。亜久津に果たして同じ血は、通っているのだろうか。
 「なに?」
 「付き合ってたの?」
 「スーツ着たおっさんよりよくね」
 亜久津は煙草を片手に持ったまま私を見上げて、ふわりと笑った。にやりでもいいかもしれないしきらりでもいいかもしれない、兎に角笑ってドアを出てすぐの高い位置にいる私を完全に見下すように、笑ったのだ。
 「脅してるの?」
 「そう聞こえるか?」
 「あんたがなにしたいかわかんない」
 「別に。あっさり付き合えたら楽だなとか思ってる」
 「なんで意味わかんないよ」
 「あーもう声聞こえねえよ遠くて、お前こっち来い」
 目を細めて亜久津が私を呼んでいる。私に超人的身体能力があったならこの階段を全て飛び越えて、亜久津の憎たらしいその顔に蹴りを食らわせてやるというのにそれはできなくて、ただただ静かに下っていくしかない。帰ってもよかった。うるせーばか死ねと言って教室に戻ったってよかった。それでも私は吸い寄せられるように、目撃者である亜久津に対する恐怖心であるとか全てを黙っていて欲しい狡猾さであるとかそういうのを超えたところにある、ただ近付きたいという生き物の勘でもって吸い寄せられるように、亜久津の元へと向かっている。
 「座れよ」
 また、亜久津は私にそう言った。ふらりと脳みそを揺すられた、だって亜久津は自分の隣をそう言って示したのだから、私はあの時、あの男に付き合って欲しいと言われたかったのだ、そこまでいかなくたって。アドレスの交換や番号の交換やせめて大体の家の場所だとか、兎に角この先も私を求めるのだという意思表明が私は欲しかった。嘘でもいいし一夜限りの関係に酔っての発言でもいいし、いっそ礼儀としてでのそれでも良いから一緒にいたいとか、もっと近くに来てとか触っていたいとか隣に座れ、とか、言われたかった。実際にそれを私が言われた時に、私がなんて返したかは分からない。あっさり受けたかもしれないしきっぱり断ったかもしれない、天狗になって内心大喜びしながらも冷たい目を男に向けたかもしれない、元々男のことなんかナンパさえされなければ、見向きもしないほど興味がなかったのにそれでも。
 ちやほやされたい。お姫様でいたい。私のこのはち切れそうな苛立ちやうず高いプライドやとりとめのない回想と妄想は全てその子供みたいな願いからきている。
 座り込んだ亜久津の隣は温かく、それはこの螺旋階段がひどく幅狭で、亜久津が大きな男だからだろう私達は、階段のせいで、仕方なく、くっつきながら温かい思いをしている、煙草を吸いながら。
 「つまりバラされるか、付き合うかどっちか選べってことじゃん」
 「ああ、まあそうなるか」
 「意味わかんないんだけど」
 「わかるわけねえだろ俺だって意味わかんねえよ」
 「は?」
 「お前が男と歩いてんの見て、付き合いてえって思ったんだよ意味不明だろ」
 「なにそれ」
 「知らねえよ」
 面倒臭そうに亜久津は言うと煙草を放り投げて私に唇を寄せてきた。私には。拒否権なんてないのだとあの男の時とはまるで違った感覚で思わせられる、そういう動きを彼はする。私に彼を拒む権利はない、私がかつて自分のことを、神聖な存在だと思っていたあれはでたらめで亜久津みたいな奴のことを、神聖だと私は崇めるべきなのかもしれない。
 亜久津がどんどん私に体を寄せてきて、ぐいぐい後ろに押されるものだから私は手すりに背中をぶつけている。吸いかけの煙草が私の指の先に挟まったまま亜久津の、私を取り押さえようとしていた手の甲を焼いた。ポケットの中でシルバーのジッポが揺れているのを感じていた。
 「あ」
 そう言って私から顔を離して、自分の手を腹立たしげに眺める亜久津は綺麗だ。私から煙草を摘まんで取り上げ遠くに投げ捨てる仕草だとか、もう一方の手は私の制服の下に入り込んでいる素早さだとか、そういうのに出会うのは初めてで亜久津の目頭の粘膜が、確かに赤いのを私は確認して安心している。同じ赤い血が。
 「亜久津ってチャラそうじゃん?」
 私の肩の辺りに鼻をうずめて何かしていた亜久津の、頭を撫でる気にもなれずそう言った。
 「彼氏でも客でもない男とホテル行く女に言われたくねえよ」
 亜久津はそう言って私の顔を覗き込み、私は体が強張った。面と向かってそう言われれば、いかに自分がくずであったのか確認できる。私は自分を安売りし、私が思っている女の価値というものを、勝手に驕り、勝手に下げ、勝手に落ち込んでいる。その私を求めている亜久津というのは変人なのかもしれない。
 「付き合いたいとか、嘘でしょ?」
 「嘘じゃねえよ」
 「とりあえずヤッてみようとかそんなんじゃん」
 「違えよ明日も抱いてやろうか」
 「なにそれずっと一緒だよとか思っちゃうタチ?」
 「うん」
 「私のこと好きなの?」
 「今のところは」
 いまのところは。私にはその言葉で充分だった。背中に腕を回すと亜久津もそれを同じように返してきた。私達は温まりあう、抱き締め合って、求め合うのだろう今のところは、これからもそうするつもりで。
 教室に戻ったら、亜久津と付き合ったとに言おう。亜久津の今のところと私の充実感が、もうしばらくでも続いて私が、亜久津に手放しで喜びだしたらあの男と、ガキであった私の間に起きた小さな事件を笑って、話すことができるだろう。
 私はその時あの男と、妄想と回想に囚われるのを意図的にやめた。










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2013.11.10
不死鳥シリーズ
私の周りにいた人達をイメージして繋ぎ合わせたらこうなりました