いい加減、自分特製、クリスマスソング集を作るのにも飽きてしまった。持ってるCDを片っ端からかき集め、その中からクリスマスソングだけを選び出し、MDに落として、様々なアーティストが唄う、クリスマスアルバムらしきものを作る作業だ。11曲目の邦楽を入れもうこれ以上やる意味はない、と見切りを付けたあたしは若くんに電話をする。もしもし。




聖哲





 夏が終われば運動部の三年生は引退する他 道はない。あたしも御多分に漏れず、その他大勢の三年と共にこの夏の大きな大会が終わると、引退をした。さよなら、男子テニス部のマネージャーという肩書き。これからはその肩書きの前に、「元」という文字が付いた肩書きを持つ事になる。元という名前を背負って、受験に専念しろってわけだ。
 夏の大会が終わってすぐ、引退式という名のパーティーみたいな打ち上げみたいなものが行われ、多くの可愛くてまっすぐな後輩達が先輩先輩と感謝の言葉を述べてくる時も彼、若くんは難しい顔をして始終、あたしに寄り付かなかった。
 「なんですか?」
 携帯の向こうから、そんなしっかりした若くんの声が聞こえた。時計を見るとお昼が過ぎたばかりで、まあ、寝惚けた声で応答する時間ではないだろう。彼の声はいつだってしっかりしているんだけど。それにしても、あたしの電話を受けてなんですか?はないだろう。
 「若くん、今なにしてるの?」
 「部活ですよ、休憩中ですけど」
 「そっか、メニューはどんな?」
 「30分間走、とかですけど」
 「ふうん」
 外の部活が冬の間出来る中トレといえば、こんなものだ。走るか、筋トレか、そんなことばかり。たまに使える体育館だって、広さも充分じゃないし、環境だって違うし、なんて楽しくないんだろうと、あたしは毎冬そう思っていた。
 「ねえ、今日部活何時まで?」
 「えっと、14時までです」
 「へえ、その後、暇?」
 「暇、ですけど」
 訝しげな声、携帯故に、耳元で。あたしはなんでだろうこういう時、幸せな気持ちになれるのだ。いつも、あたしに決して接近しようとしてこない若くんの、声が近くで聞けるのはこういう時だけ。ふわりと、幸せな気持ちに。
 「じゃあ、遊びに行こっか、イブだし。ね」
 「えーっと、」
 困惑した若くんの声がまた、耳元で。幸せな気持ちにあたしはなっている。若くんは不思議だ。あたしが誘っても、笑顔で即答する、なんてことを絶対しないのだ。それってすごく不思議なことだ、だって忍足も岳人も、顧問の先生も知らないおじさんでさえも、そう若くん以外の全ての人は、あたしの誘いに躊躇することなんてない。不思議な人、若くん。無愛想で、丁寧で、眉間に皺寄せた、向上心の男、若くん。あたしは常々彼に興味を持っている、わくわくと。
 「いいじゃん終わる頃 学校に迎えに行くからね、自主練なんてしないですぐ出てきてね」
 「いや、ちょっと待って下さい俺、」
 「俺、なに?」
 言葉を呑む若くん。なにか言いたいことがいっぱいあるのだろう。困りますとか嬉しいですとか予定がありますとか。だけどそれをぐっと堪えて
 「俺、制服ですけど」
 なんて全くどうでもいいことを言う。なんて懸命で、賢く、慎ましいんだろう。他人に自分の思ったことを率直に言ったことなんてほとんどないに違いない。従順な犬みたいだ、わんわんと。
 「大丈夫、あたしも制服着て行くよ、そしたら、制服デートだね」
 「、そうですね」
 彼はため息を吐いている。あたしは自分の呼吸のリズムがおかしくなっていることに気付いていた。
 「じゃあ、終わったら、校門ね、絶対だよ」
 「わかりま、」
 始めるぞー、遂にあたしの誘いを受け入れた彼の返事を遮り、電話の向こうで新しい部長のそんな声。「じゃあ、後で」、小さく囁くとあたしの返事なんて聞かず若くんは通話を切る。無音の後、プープープー、そんな音がする。あたしは驚いて思わず通話時間を知らせる携帯の画面を見つめてしまった。がちゃ切りされるのなんて、初めてだった。

 ぴったり2時に若くんは校舎から出てきた。ゆっくりと近付いて来てあたしと目が合うと、軽く会釈をする。元気?、あたしは声をかけるが、返事はなく頷いたただけだった。笑顔すらない。
 約束通りあたしは制服を着てきた、その上にコートを羽織り、マフラーを巻いて。若くんは制服姿に上着、大きいテニスバックを肩から提げている。デートには邪魔かもな、あたしは思って、それがおもしろくてにこにこ笑った。笑うあたしを、隣に並んだ若くんが不安そうに見る、そしてすぐに視線を逸らす。
 「行こうか」
 あたしが歩き出すと、若くんが黙ってついてくる。横に並ぼうとあたしが少し歩調を緩めると、また不安そうな顔をしてあたしが隣を歩くことを許してくれる。若くんが見ているのは靴の先。いつだってそうだ。若くんはあたしがどれだけ近くにいようとあたしを見ていないのだ。それなのにちゃんと話は聞いている。不思議。
 「どこ行こうか?」
 どこでもいいですよ、かっちりした、もはや予想通りともいえる若くんの返事が聞こえた。
 「じゃあ好きにするー」
 あたしは若くんの手を取る、こんなイブの日に、はぐれないように。冷たい指先だった。隣の若くん、ぼんやり、道行く野良猫を見ている。白と黒と茶色の、三毛猫だった。

 「若くんって、あたしといて楽しくない?」
 欲しいな、買ってほしいな、とねだって若くんに買ってもらったテディベアの入った紙袋を提げながら、また街を並んで歩き、あたしは尋ねる。隣の若くんは、首をゆっくりと、そうゆっくりと横に振り
 「そんなことないです」
 と答えた。そう、とあたしは呟く。
 「すみません」
 「なんで謝るの?若くんっておもしろいよね」
 「おもしろくないですよ」
 俯く、若くん。暗いっていうんじゃない、気が小さいのでもない。それなのに若くんにはそういう仕草が、とても似合う。見ていていつもくすぐったいのだった。あたしがなにか言う度に驚いた顔をする若くん、無理難題をぶつける度に苦い顔をする若くん、あたしの言葉にはいとかすみませんとかしか答えられなくて、しゅんとする若くん。なんてなんて、あたたかいのかといつも思っていた。
 「あ。ねえ、次はあたしが若くんになにかプレゼントするね、なにがほしい?」
 「俺、なにもいらないです」
 「いらないの?」
 眉間に皺を寄せ、なにかを振り払うように首を振る若くん。なんて謙虚で、礼儀正しく、無欲なのだろう。彼の姿勢に胸を打たれつつ、うーん、とあたしは唸る。
 「でもせっかくデートしてるのに。若くんにも思い出持ってて欲しいじゃん」
 あたしのくまさんみたいに、と紙袋を掲げて見せる。若くんはピンク色の紙袋をじ、と見つめると、そうですね、と呟いた。それですぐ、でも、とか。言葉を続けるのだ。
 「でも、俺、覚えてますから、大丈夫です」
 「ふうん、あ、そうだ」
 あたしは、コートのポケットを探り、家を出る時右ポケットに入れたMDを取り出した。午前中に作っていた自分特製クリスマスソング集。赤い色したそれを、不思議そうな顔した若くんにはいと差し出す。
 「じゃあこれあげるよ」
 「ありがとうございます」
 「それね、あたしがセレクトしたクリスマスソングだけが入ってるの」
 「へえ」
 「聴いてね」
 若くんは頷く、そしてそれをそっと自分の上着のポケットにしまった。とてもあっさりと。するり、赤いMDは消えてしまった。
 「よし、じゃあ次はプリクラ撮ろっか?」
 「はい?」
 「プリクラだよ、プリクラ。ね、撮ろう、記念撮影。思い出」
 若くんは今までにない苦しげな表情で、首を横に振った。繋いだ手が強く締めつけられる。痛い痛い、と手を指差すと若くんは驚いた顔をして、しばらく手を見つめた後、力をそっと緩めた。困ったようにあたしの顔を見る。それを見てあたしは楽しくなって、笑ってしまう。こんな若くんとプリクラ。なんて、楽しいだろう。
 「いいじゃん、撮りに行こう、あたしがお金払うから、ね」
 「いや、です」
 「どうして」
 「そういうの、好きそうな人と撮ればいいじゃないですか」
 「若くんとがいいの」
 だって絶対楽しいよ、と言うと若くんは思い切り大きなため息を吐いた。あたしにもはっきり聞こえるため息だ。そして、言う、小さく小さく。もう、いいですよ、って、呆れた顔をして。じゃあ行こう、あたしは若くんの手を引く。

 何故だろうイブのくせに空いてるプリクラ機をゲームセンターの中でひとつ見つけ、妙にかわいそうに思えたあたしはそれを選び、のれんみたいなシートを潜って中に入った。若くんは黙って素直についてきた、というより手を繋いでいたから。あたしが引っ張ってきただけなのかもしれないが。
 ぴかぴかに光る画面、コインを入れてねのメッセージ。あたしは財布を出そうする若くんをいいのいいのと制して100円玉を4枚、投入する。音楽が鳴り出して、機械が撮影準備を整えた。
 「ねえ」
 撮影モードヲ選ンデネ、選バナイト勝手二決メチャウヨ。タメ口をきく機械のアナウンスを無視して、あたしはぼんやりしている若くんに話しかける。密室だ、こんな狭い箱の中にふたりで入るというのは、冬といえども暑苦しい。けれどその手は繋いだまま。
 「ねえ、あたしがなんで若くんを誘ったかわかる?」
 「はい?」
 若くんは聞き返す、あたしは。繋いだ手を離し立ち尽くす若くんにぎゅう、と詰め寄る。広くて筋肉質な若くんの胸板に、手の平を押し付け、背伸びして若くんに顔を近付ける。じ、と若くんを見つめる。逸らすな逸らすな逸らすな、目を逸らすなよ、あたしは念じる。
 「部活引退して暇な岳人とか景吾とか、そういうの誘わないで若くんを誘ったか、わかる?」
 「さあ」
 軽く首を傾げ、眉間に皺を寄せてる若くん。どうして。どうして若くんは、いつだってあたしを不可思議なものを発見したような顔で見るんだろう。不思議なのは、若くんの方なのに。そして、不安そうな表情になり、顔を背ける。こっちを見ろ、そう念じたところで、彼には一切通用しない。
 「あのね、若くんのことが好きだからだよ」
 ばしゃっ。大袈裟な音がしてフラッシュが光り、いつの間にか、あたし達ふたりはプリクラ機に撮影されていた。その音や光に驚いたのか、若くんは目を大きく目を見開きあたしを見ている。近くで見る、若くんは綺麗な顔をしている。たまらなくなってあたしはもうちょっと背伸びして、若くんの唇に自分の唇を押し付けた。ばしゃっ。柔らかいもの同士ぶつかった時、また、撮影の音。唇を離し、あたしは口を開く。
 「ねえ、好きだから、あたし、お願いがあるんだけど」
 信じられない、という顔をしてあたしの目より少し、上辺りを見てる若くん。首を、ほんの少しだけ傾げている。
 「ぎゅってして」
 爪先立ちするのに疲れてかかとを地面に下ろしてから、あたしは若くんの腰にぎゅうぎゅう抱きついた。ばしゃっ、また音がする。スッテキーという絶対状況なんて理解してないだろう機械の声が聞こえる。目を閉じる。若くんの匂いがする。清潔で、中学生的で、好きな匂い。
 堪能している時、ゆるりとした動作で若くんはあたしを「ぎゅっ」とした。若くんの匂いが若くんの力により、強まる。ぎゅうぎゅう強く抱き締められながらあたしは目の奥がじんじんしている。ばしゃっ。若くんがそっと、緩やかに紳士的に優しく、あたしへと唇を寄せてきた。
 「ねえ」
 触れる数歩手前、あたしは声を出す。
 「若くんに貰ったリップ、調子よくて、あれからずっと買って使ってるよ、気付いてた?」
 返事はない。あたしの質問に返事をしないのなんて、若くんくらいだ。穏やかで、慎重で、優しく、賢い若くん。好きだから、なんて言ってしまえるくらいあたしはそんな彼を好いてしまっていた、気付いてた?
 返事はない、代わりに若くんはあたしの唇を奪った、そっとそっとそっと。彼の唇は今、乾燥なんてしていなくて。








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2007.12.15/2014.7.1加筆修正
ひとりクリスマス企画に載せたもの、正式タイトルは「少年よいつまでも聖哲であれ」
てかMDって、すごい時代を感じるわ