ぎゅっと抱き締められると鼓動が高鳴る反面いっそ死にたいと思う。狭いソファの上 腕を回し合い、私がそこからずり落ちそうになるたび力強く私を抱き寄せる彼はなんていうか、恐ろしく優しくありつつ不誠実に感じた。経験の有無が、ちらつかされる頻度の高さが、私を不安にさせる。私を他の誰かと同じように扱っているのだなと。これまで幾度となくこうして誰かを愛し、こうして触り合い、慈悲深く接して、時々黙ったまま相手の瞳を覗き込んで、それで自信しかないその顔を誰かの脳裏や網膜に、焼き付けては気持ちを焦げ付かせてきたのだろう。目が合う度に視線を逸らす私を彼はどうにも作ったように見える不思議そうな表情で眺め、どうにも自分の綺麗な見せ方を知っているかのような動きで、首を傾げていた。
 あのね、私かっこいい人に慣れてなくて
 そんな抽象的な私の説明を、聞いて跡部くんは笑っていた。完璧なやり方でもって。それで私の抽象的な説明と、漠然とした褒め言葉をあっさりと受け流し「あと二週間で留学かー荷造りなにも終わってねえ」と、そんな話題か独り言を提供するのだ。
 あと二週間。わかっていて何故声をかけたのか。抑えきれない衝動?運命の導き?絶対的な直感?以前から抱いていた関心?それよりも、暇潰しですよね?という付加疑問の方が強くなる。どうしてあと二週間で。二週間で海外へスポーツ留学をするのだとずっと前から決まっていた人間が、それを周囲の人間に隠し続けていた人間が、二週間と三日前に二年間半同じ学年として過ごしてきたのに一切親しくしてこなかった私に声をかけ、連絡先の交換を希望し、二週間と二日前にたった一日だけ携帯を用いた接触をしただけの私に遊びたいと告げてきて、二週間と一日前に明日暇?とまるで以前から親交があったかのような顔をして私に廊下で声をかけてきて、それで二週間前に私とデートして、好きだと言って、一緒にいたいと言って、優しくあたたかなキスをして、人を幸せな気持ちにさせておいてそれで初めて、実は二週間後から海外留学するのだとか、開示してくるのだろう苦難の表情も申し訳なさそうな声も持たずあっさりと。そんな風に言われてしまったら私は。高原の花畑から突然谷底に突き落とされたような気分になってしまったくせに私は、ええ?とかなんで?とか寂しいとかじゃあ連絡とるのやめようしんどいだけだしとか、言うことも悲しい顔ひとつすることもできずにただそうだったんだとか、呟くしかないではないか。それでその時にまた、ごめんとか大丈夫とかのフォローもないままきれいに、ただきれいに微笑まれてしまったら、許容されたんだ、ではなく許容以外の選択はありえないでしょうこれは決まりきっていたことですし、みたいに微笑まれてしまったら。
 あのね、だからね、私かっこいい人に慣れてないんだよ。かっこいい人、造形の美しい人、顔のパーツが左右対象な人、雰囲気のある人、笑ってもむっとしてもぼーっとしてても抜けのない人、思わず目で追ってしまうような人、私の好んでしまう顔の人。そういう人に慣れてないんだよ言ったでしょそういう人には、決まって彼女がいたしそういう人に、私はこれまで関心を持たれたことがなかったのだからだから、私はあなたみたいな人に慣れてないんだよ、私はあなたの顔が好きで、校舎内で見かける度に眺めてしまうくらい好きで、けれどこの人が私に声をかけてくることは生涯ないんだろうと割り切ってでもそれでもあなたが美しいから。かっこよくて見とれてしまうくらいで私の好みの男だから、好きとか恋とか考える以前にただ見つめていたんだよ。だからこうして今目の前にあなたがいるのが、この瞬間とりあえずは私があなたを独り占めしているのが、まったく嘘みたいで生きた心地がしないのだ。
 私は自分に自信がない。というよりも自分の女としての価値がどの程度のものであるか、それなりに把握しているつもりだ。だから、このような男が本来自分の手に入らないはずであることを重々承知している。手に入ったつもりでいたら痛い目を見たり、ひどく傷付けられたりしてしまうことを強く察している。
 あのね、私あなたに恋なんかしたくない。あなたを好きだって思いたくない。かっこいい遠い人、見ているだけで充分な美術品みたいな人として捉えていたかった。学園中の憧れとして私の世界の外側に居続けてほしかった。一生関わりたくなんかなかった。だってあなたを好いてしまったら。あなたに関わってあなたと同じ世界を生きてあなたの熱を感じる距離でどんどん惹かれてしまったら。負けるのは私じゃないか。惨めな思いをするのは私じゃないか。完璧過ぎるあなたに引け目を感じ続けるのは私じゃないか。嫌われること否定されること何気ない会話から違和感を覚えること例えば食事の仕方ひとつに生き方の違いを察することなんかの、あなたとの接触の全てに怯えてしまうのはこの、コンプレックスのかたまりの私じゃないか。そんなのは嫌だ。好きなのにつらいのは嫌だ。あなたにいつか興味を失われるのは嫌だ。知らなければ触れなければよかったのに、そう思いながら離れてしまったあなたを思い続ける未来なんて嫌だ。
 ねえ、あのね。もしももしもあなたが、気の迷いや暇つぶしやなにかの作略やどす黒い気持ちじゃなく私に興味があるのなら、それでこの先も、二週間後にここを去って物理的距離が遠くなってからも私に構ってくれるというなら。そういう気であの時声をかけてくれたなら。
 ずっといてずっといてずっとずっとそばにいて飽きるまでここに、私の世界にいて私があなたに飽きるまで嫌気が差すまでもういいやってなるまでそばにいて割り切れるまで諦めがつくまでこの先どうなるかだけ体感させてそして私より先に、この関係に飽きないでいてあと何回と遊べるかななんてそんなこと、明日の天気でも案じるくらいの感覚で言わないでいて。
 



無題







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2015.2.23
無題ってお前、その4