私達ふたりは恐らく似た者同士で、だから初めてのセックスはかなりぎこちないものとなった。いつも主導権を相手に握らせっぱなしの者同士が営むまぐわいは遠慮しまくり、探り合いまくり、手を伸ばしては引っ込め唇を押し付けてはそこで留まり、のおどおどとした時間だけが長らく過ぎるばかりとなり、恐らく互いに早く次に進んでくれよお前が、と思い続けていただろう。結局一時間以上大した丁寧な触り合いもできぬままもういいっすよね?みたいな妥協と窺いをはらんだまま私達は繋がることになったのだがその時、情けないことに私も彼も体だけは過去の経験から臨戦態勢が整っており行為自体は素早く終わらせることができた。抱いたのは性欲が発散されたという満足感ではなく、相手が望むことをしてやったという達成感だった。きっと彼の方も同じようなことを考えていただろう。泊まりにきたからにはしたいんでしょ?とか同じベッドに寝るんだからそうなんでしょ?とか、そんな義務感と奉公の気持ちで私達はセックスをした。つまり私達は不幸だったのかもしれない。互いに好意は抱いていたにせよ。
 痛い?平気。私達が最中に交わした会話はそれだけだった。体位を変えることも、恐らく角度を変えることすらもないまま反復運動を続け、彼がいき、セックスは終わった。私はいかなかった。これまで誰としてもいったことはない。そのことを彼が気遣わなかったこと。いった?とかいかないの?とかいけないの?とか、そういう類の質問をなにひとつ寄こさなかったことに私は不思議と安心を覚えていた。
 私達の会話は昨夜からずっと薄っぺらい。夜が明けた今もまるでそうするよう意識しているかのように当たり障りなかった。カラスが飛んでる。風が強い。昨日の雨はひどかった。今年の夏は寒いだろう。あの人はギターがうまい。有名人を旅先で見た。肩が痛い。腰が痛い。手が荒れている。犬はかわいい。そうは思わない。毛でアレルギーが出る。カラスが鳴いた。やはり風が強い。そんなことばかりで、普段なにしてるの?誕生日はいつなの?血液型は?家族は?両親は揃ってる?兄弟はいる?いつもどんな遊び方をするの?場所は?誰と?どんな友人が多い?付き合ってる人はいる?なんて、決して訊かない。訊けば彼は答えたかもしれない、私だって訊かれたら答えた。けれど私達は、いつも相手の出方をうかがって生きてきた私達は、そういう核心に迫る質問を相手に投げ出せないものだ。そういうことは相手に訊かれて初めて答えるものだと考えている、というより植え付けられている。そうした質問をするには勇気が要った、そしてそれに返ってくる言葉が、自分の期待にそぐわないものであったなら私達は、少なくとも私はひどく傷付く。私達は傷付きたくない。不確定な、それでもいいから今この瞬間に、相手からもたらされる優しさだけを求めている。体を求められること。返事が返ってくること。携帯でのメッセージのやりとりが滞りなくあること。遠回しに会いたいと示されること。そこに喜びを見出している、その先になにがあるかとか、相手を取り巻く現状だとかを、かなり繊細に気にしつつも無視をして、その場その場で幸せになったような気でいる。私達はずるいだろう、そこはかとなく弱い生き物であろう。けれどそうしたものを得られなければそれこそ生きていけないのだ。だから曖昧でも、不確定でも、相手の腹の底になにがあっても今、こうして互いを認め息をしている。そして相手が、好きだとか付き合ってくれとか愛人でいいならとか今日限りだとか、この先へ導いてくれる言葉を発するのを待っている。
 「じゃあ帰るねちゃん」
 ある時ふいに彼が立ち上がり、なんの名残惜しさも見せないままこちらに背を向けた時、私は痛烈な悲壮感を植え付けられた。それがどこからきたものだったのかは考えなかった。過去の恋愛から覚えた捨てられまいとするしぶとい根性からか、単なるひと肌恋しさなのからか、もうこのまま会えなくなるのではという悲劇の予想からか、それとも単なる習慣からか、彼へ抱いてしまった愛しさからなのか。そこを私は考えない。考えるべきなのだろう、そして自分の恋愛観とかいうものや彼、それとも異性に対する接し方というものを改めるべきなのだろう。けれどずるく、弱い私は考えないし改めない。いつまでも与えられる側として、決別の時には置いていかれる側として、自分をかわいそうな位置にいさせて傷付きながらも自分を守る。行かないでくれ行かないでくれ帰らないでそんなあっさりと行かないでくれそれでそんな風な他人行儀な呼び方を続けないでくれセックスまでしたのに。心底思うが私はそんな言葉口に出せないし、「切原くん」だって今ここを意地でも去る。義務感と奉公の気持ちで、礼儀と常識なんかをわきまえて。セックスを終え一夜を過ごした男女は分かれるものだ。変な気遣いはしない。行為を求め集った私達に今もてなしの配慮は不要だしもてなされる気構えも不要だった。去り、去られるかしかない。えー行かないでとかあーもう少しいたいなとか、そういう甘えを露呈させたりはしない。かくなる上によしやることやっちまったしこういうことだから付き合いましょうとは決して、私達のどちらも言い出さない。そういう言葉はいつも相手から差し出され、それを受け入れてきた側の人間がやはり、ふたりいるだけだからだ。受け入れてきた側の人間はその言葉を聞かない限り相手にわがままを言えないし深入りもしない、セックスの時でさえ、相手の出方を待っている。私は彼の今日の予定を知らない。彼も私のこの先を知らない。日曜の朝、これから部活があるのか誰かとの待ち合わせがあるのか何故今この時間に別れることになったのか私も彼もひとつも存じない。どうして私達は頑なに未来の話をすることができないのだろうそしてどうして互いの今後を、予定の有無にしろ自分達の方向性にしろ、頑なに尋ねたりもしないのだろう。私は彼が、自分自身が、かなり神経質になって恋愛話を持ち出さないようにしている状況を常々読み取っている。けれど今日の夜になる前には昨日までのようにまたメッセージが私の携帯に届くだろう彼からの、日常の報告や疑問が。そしてそれに返事を打つだろう私は、日常の感想や答えを。それは彼が男で、私が女だからだ。そして私達はそこでさえ、僅かな互いへの所有感や束縛欲をあらわにはしないだろう。だって付き合おうとはどちらも言い出せないのだから。割り切った関係にしましょうとも、言い出せないのだから。付き合うなら付き合おう、けれどそれはあなたから伝えてくれ、それができないのであればもっともっと愛しくなる前に、お前の方からうまいことフェードアウトしてください。私達はきっと互いに、そんなことを願っている。つまり私達は不幸なのだ。互いに好意だけは抱いていたにせよ。



無題







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2015.7.7
無題ってお前、その3