じんわり心が痛いのは何故だろう決して、目の前の彼のことを好きだったわけではないのに。あたしは多分、切実すぎる他人の率直な気持ちに応えてあげられなかった自分に心を痛めている。ごめんなさいと断る度に、浮かぶのはあの人。








          金烏








 朝、教室に入った時。誰にも悟られないようにこっそりと窓側の、一番後ろの席を確認するのが日課になっている。大概そこは空席で、鞄もなにもも置かれていなくて、遅刻か、休みか、もうすぐくるのかとか、思っているうちに誰かに話しかけられて、視線を反らす他なくなる。あたしが。亜久津くんの出欠を気にしていること、更に言うと彼を好きだという事を知る人は誰もいないし知られてはいけない、そんな、おこがましい片思いをしているだなんて。

 あたしが風邪で学校を休んだ日に卒業アルバム用の個人写真の撮影が行われたのはいつだっただろう、夏の終わりか、秋の中頃か、とにかく寒くはなくてまだ夏服を着ていたのも覚えていて。その予備日にあたしは呼び出された、担任の先生に、亜久津くんと一緒に。黙って、放課後の廊下を先生について歩いていたはずだ、亜久津くんと並んで。たどり着いた暗室という得体の知れない場所にあたしと亜久津くんは閉じ込められた、今写真屋さん呼んでくるから待っててね、そんな理由だったように思う。暗室というそこには窓がなかった、四方の壁が黒いカーテンで覆われていて部屋の真ん中に天井から、水色のスクリーンのような素材の布が下げられていた。きっとこれを背景に個人写真を撮るんだろう、見上げた蛍光灯はいやに明るくて、LEDなのかもしれないと考えていた。あたしはあの日風邪を引いて学校を休んだ。亜久津くんは同じ日に学校を休んだのだろう、だからこうして暗室に連れて来られている。風邪だったのだろうか。でもそういえば同じクラスなのに彼をあまり教室で見かけたことがないと気付いて、多分理由がなくても学校を休んでしまうような人種なのだと理解する。
 亜久津くんが煙草を吸いはじめたのがわかったのはかちりというライターの音がしたからだ。そして途端に煙の臭いが漂ってくる。蛍光灯から目を離し振り返ると、亜久津くんが暗室に入ってすぐ横にある壁にもたれて俯き、白い息を吐いていた。灰皿がないのにどうやって火を消すんだろう、大体もうすぐきっと写真屋さんや、先生が戻ってきてしまうのに、なんて言い訳するんだろう、それとも隠ぺいができるんだろうか、窓もない、この狭い部屋で。あたしの髪に、制服に煙草の匂いは付くだろう、だってあと一歩、前に出ればあたしは亜久津くんにぶつかってしまう、そんな距離だ。気付いた親がなにか言うだろうか、この後すれ違う人達はあたしの匂いをどう思うだろう。煙草やめてくれないかな、心の中で呟いて、そして停電があった。
 ばちんという音が天井から降ってきて目の前が真っ暗になった。停電だと咄嗟に気付いたもののそれでも驚く他なく足を一歩、前に進めていたのだろう。あたしは亜久津くんにぶつかった、壁にもたれて煙草を吸っていた亜久津くんに。頭を守ろうという意識だけがあったのかもしれない、顔の前を覆っていた腕が亜久津くんの胸の辺りに当たっていて、あたしの膝は彼の足を完全に蹴り上げていた目を閉じたら真っ暗だ、目を開けても真っ暗で。あたしはそのまま固まってしまう。
 「ごめんなさいあたし」
 「震えてる」
 怖い、と尋ねた亜久津くんに何度も首を縦に振ってみたけれど、この暗闇の中ではきっと見えなかったに違いない。そっとなにかが腰に触れた、広く温かく。ああきっと彼の手の平なのだろうと、思ったけれども嫌ではなくて。ちりちり。そんな音が耳元で聞こえ、ふっとあたし達の顔元が明るくなった。吸うと、火種が広がって煙草を赤く燃やしていく、その明りだった。その心許ないオレンジ色を見ている時に、恋に落ちた。
 結局停電は数分で復旧し,ぱっと明るくなった室内でぱっとあたし達は離れた、あたしは顔を上げられなかった。亜久津くんが床に煙草を投げ捨てて踏み消して、なんてしている間にドアが開いて白いYシャツを着た、三脚とカメラを抱えたおじさんが入ってきて
 「いやいや停電で、先生達忙しいみたいだから。写真撮ったら君達勝手に解散していいよって」
 なんてことを忙しそうに口走って水色の、スクリーンの前に三脚をセットしはじめたのであたしは制服を整え、亜久津くんの喫煙はお咎めなしだった。女の子から、と言われてスクリーンの前に立ち、二枚、写真を三秒くらいで撮られてあたしの撮影は終わった。じゃあ次、と亜久津くんを呼ぶ写真屋のおじさんの声を聞きながら暗室のドアを開けた、あたしには亜久津くんを待っているなんてことができなかった。停電なんてなく、亜久津くんがあたしに触れることもなく、二人は相変わらずただの口すらほとんど利いたことのない、クラスメートである風を装うことしかできなかった。
 それでも恋に落ちた事に間違いはなく、あたしは次の日の朝から、亜久津くんの出欠を気にしている。これまで、告白される度に、付き合って下さいと言われる度に、彼らはあたしと付き合ったとして、一体何がしたいのだろうと理解ができなかった。でも今なんとなく分かるのは、付き合いたいから告白をするのではなく好きだから告白をするのだということで、つまり彼らは想いの丈をぶつけたいのだ、ちょうど今あたしが亜久津くんに抱いているような、火柱が上がるように熱い好きだという気持ちや、暖炉の中でじんわり灰になっていく薪のように温かな好きだという気持ちを、とりあえず本人にぶつけたいのだ。そんな彼らの気持ちを受ける度に今のあたしは心を痛めている。あたしが亜久津くんを好きなように、彼等はあたしを好きになってしまった、そして、その好きだという気持ちの矛先にある、付き合いたいという欲求は叶わないでいる。それは、あたしにも十分に置き換えられるあたしだって、亜久津くんに好きだと気持ちをぶつけたい、そしてあたしだってこうして彼らを断るように、亜久津くんにふられるのだ。あたし達は可哀想だ、きっとすごく可哀想なのだ。

 あたしはあぶれたことがない。体育の授業でペアを作れなかったことがないし、理科の実験のグループを作る時はいつもいろんな人から声がかかったし、休み時間には誰かが必ずなにかに誘ってくれるし、給食の時間もいつも誰かとお喋りをしながら過ごしているし、放課後も毎日誰かと教室に残ったり、一緒に帰ったり、寄り道をしたりして幸い、いじめられたこともない。きっと亜久津くんが好きだと言って、あたしを笑う人はいなかっただろう、きっと誰もが親身になって相談に乗ってくれたはずだ、なんとか距離を縮めようとか、奮闘してくれるような友達であたしの周りは満ちている。でもそれをしなかったのは、あたしは亜久津くんを好きになっている自分自身をおこがましいと、押さえ付けていたからでそんなおこがましい気持ちを抱いたあたしなんかの相談に、友達を巻き込むのは大変申し訳ないと思ったからだ。あたしはいつも周りに助けられている、あたしがああいう風に告白をされるのも、周りがきっといい子達ばかりで、ただそれだけであたしの印象が勝手によくなっているからなのだろう、あたしが。もしいつも一人ぼっちで友達なんかいないような人間であったならあたしはあたしのままなのに、あたしを好いてくれる人はほとんどいなかったように思う。だからそんな友達に、あたしは亜久津くんのことを相談できない。今まで、散々好きだと気持ちを伝えてくれた男の子達を断ってきたあたしが、ただ普通に片思いをして、それがあたしだった、ただそれだけの理由で多くの人から支持を受け応援されるだなんて不平等だし、申し訳なさすぎる。あたしはひとりで亜久津くんを好きになり、そしてひとりでこの気持ちを解決するべきだ。空っぽの机を眺めながらいつも、そんなことを考えている。

 あたし達のクラスが卒業アルバムの集合写真を撮れたのは他のクラスより、大分遅れた冬のはじまり頃だった。この学校の教師陣は、特にあたし達の学年の教師陣は卒業アルバムの集合写真に相当な思い入れがあったようでつまり、撮影日の欠席者が写真の中で、一人だけ右上の、空のあたりに貼り付けられている状況を嫌悪しており、だから最初に決められた撮影日から連日亜久津くんが欠席をしていたあたしのクラスはずっとその屋上での、クラス集合写真を撮れないでいた。あたし達はもう、冬服を着ていた。
 「あー、今日もクラス写真撮れないな、南。お前亜久津と連絡取れないのか」
 朝のHRで空っぽの窓際の一番後ろにある亜久津くんの席を眺め、頭を掻きながら先生が南くんに言った。あたしの前の席に座っている南くんが面倒臭そうに顔を上げ
 「キヨに電話させてみるー」
 と答えていた、黒い髪がふわふわと動くのを見ていた。キヨはきっと隣のクラスの千石くんだろう、南くんの隣の席の男の子がお前が連絡しろよ、と笑っている。俺が電話しても出ねーもん、と南くんが笑い返して、あたしは、亜久津くんのメールアドレスや、電話番号を知っている彼らを羨ましいと思った。あたしは亜久津くんの連絡先を知らない。彼がどうしてこんなに長く、簡単に学校を休むのかその理由を気軽に聞いたり、登校するよう促すような手段がない、あたしには、朝空っぽの机を確認する事しか出来ないのだあたしは、夏服で個人写真を撮ったあの日から、亜久津くんと言葉を交わしていない、ひとつも。
 翌日亜久津くんが朝のHRの途中で教室に現れて、クラス写真の撮影が決まった。一瞬静まり返り、その後何人かの男の子が亜久津来たんだと笑い、先生が嬉しそうによしやっと撮れるなと顔を綻ばせ、それを、亜久津くんが全て無視して自分の机に向かって歩くのをあたしは黙って眺めていた、亜久津くんが、教卓の前を横切り机の列の一番端へと向かって、そこを曲がって教室の後ろまで進んで行くのを、あたしは頬杖を突いて眺めていた。ほのかに煙草の匂いがしたかもしれない、でもそれは亜久津くんを見たという視覚的効果による錯覚かもしれなかった。彼は百獣の王のようだった、それか海を開いて渡る神様かなにかだ、静まり返った教室と、その中を颯爽と歩く亜久津くん。一番後ろの席に着いてしまったであろう彼はあたしにはもう見えない、じゃあ昼休みに屋上で、と先生が言ってHRは終わった。
 背の順を崩して並んでいく。男子と女子に分かれて、カメラから向かって、男子は左、女子は右だった。バックはこの町の景色と冬の寒空で。高さの違う長い鉄製の足場のようなものが二つ用意されていた。一番前の列はそれに座る、二番目は地面に立ち、三番目の列はもう一つの足場に上って並んだ、あたしの場所は一番後ろの真ん中であたしの隣は、左があたしより背の高い女の子で右は、亜久津くんだった。
 寒いね、と隣の女の子が頬を赤くして、手の平を顔の前で擦り合わせながら笑いかけてくる。制服だもんね、とあたしも手に息を吐きかけながら笑った。襟とか袖とか、服装正せよ、と先生がさっきから何度も声をかけていたのだけど位置に付いてカメラを前にしてこのなかなか来る機会のない屋上というシチュエーションの中、寒さすら加わって誰もが、その言葉を真に受けない。あーさむいさむい、そう言って隣の女の子が前列の女の子と抱き合ってじゃれはじめたのをしばらく微笑んで眺めたり、最前列の子が何人か振り返って手を振ってきたりするのに応えたりしてからそっと右隣に目を向けて見る。亜久津くんは首を捻って後ろにある、景色を眺めているようだった、左手がだらりと体の横に投げ出されていて、思わずじっと見てしまう。浮いた骨だとか、締まった手首だとか、荒れた指先だとか、広い手の平だとか。この手の平が、あの時あたしの腰に触れたのだ。
 「なに?」
 亜久津くんがあたしを見下ろしている。あたしはどんな顔をしていただろう、隣の彼を見上げて。はいもっと真ん中に寄ってねー、その声でちらりと前を向けば、カメラを構えているのは個人写真の時の、白シャツのおじさん。
 「手、だなあと思って」
 「手?」
 亜久津くんの声は小さかった、従って、順応して、あたしの声も小さくなる。囁くようなその声をもっと耳元で、そう思うけれど、あたしは彼が不思議そうに太ももの横で、広げた左手から目が離せない。ちゃん真ん中寄りだってー。そんな声と共に左肩をぎゅっと横から押される。真ん中に、という指示に従ってみんな中央に寄ってきているのだろう、お互いの肩や体を押し合って楽しそうに笑っていた、その波は、男子の端からもやってきてあたしと、亜久津くんはまた、ぶつかる。
 「ごめんなさいあたし、」
 「手、変?」
 人の波に動じず亜久津くんは尋ねてあたしの右手首をその左手で、ぎゅっと握った。冷たい手の平だった、心臓が止まるくらい。驚いてその、自分の手首と亜久津くんの左手を目撃してからあたしは顔を上げる、亜久津くんは、つまらなそうな顔をしてあたしを見下ろしていた、首を傾げて。変じゃないよ、そう答えて自分の右手を、ぐー、ぱー、に何度か動かして見せる。撮るよー、正面から呼び掛けられて、顔を前に向けた。あたし達は前列の子の体の陰で手を繋がらせたまま、クラス写真を撮った。

 バレンタインになにも行動を起こさなかったのは、隣のクラスの友達が亜久津くんを好きなのだとあたしに相談してきたからだ。親身になって彼女の悩みを聞きながらあたしは、自分を非難する気持ちでいっぱいになる、あたしは彼女に自分も同じ気持ちなのだとどうしても打ち明けられない、彼女はこんなにもあたしにその全てを打ち明けてくれているというのに、あたしはなんてずるいんだろう、なんて不公平なことをやっているのだろう、その償いとしてあたしは、頭の中に浮かんでいたお菓子のレシピを全部かなぐり捨てて、彼女に亜久津くんバレンタインのプレゼント権を譲ったのだ。あたしはただの片思いする友人を応援する立場に徹して。
 結局、バレンタイン当日に亜久津くんは学校を休んでしまって、それだけでショックを受けている彼女を見ていられずあたしは、学校を早退した。でもいいよどうせ学校来てても渡せなかったよ、と苦笑いする彼女を見ていると泣きたくてしかたがなかった。あたしだってきっとそうだったのだろう、あたしは彼女を通してあたしを見ているような気分でいた、そして、彼女にあたしのその役目をさせてしまったことを後悔していた。あたしも亜久津くんが好きだって、どうして言わなかったのだろう、彼女だけに不憫な思いをさせてあたしはずるい、本当にずるい、まだ明るい冬の光の中家へと向かいながら、一歩踏み出すごとにあたしは自分を責めていた。可哀想に、可哀想に、可哀想に、自分と、彼女を心の中で慰めているとぼろぼろ涙がこぼれたそれは、外気に触れてすぐに冷えて、あたしの頬を伝っていく。
 「え、なに」
 目の前に立っていたのは亜久津くんで、あたしを見て眉根を寄せていた、口元にくわえられた煙草とそこから上る白い煙と、ふっと出てはすぐ消える彼の吐息を見ると胸が痛かった。鼻をすすって指で目をこすっても、亜久津くんが目の前にいるという事実にあたしは涙が止まらない、足だけが、止まった。
 「ごめんなさい、あたし」
 「めっちゃ泣いてる」
 「、これから学校?」
 頷く亜久津くんは怪訝な顔をしてあたしを見ている、それは溢れる涙で次々ぼやけて、瞼からそれがこぼれる度にくっきりと見えて、めまいがした。
 「隣のクラスの」
 「え?」
 「って子が、亜久津くんにプレゼント渡したくて」
 「はあ」
 「学校来ないかと思ってて」
 ぐずぐずと鼻水が出そうになって何度か深呼吸をしていると亜久津がひんやりと笑ったのが見え、頭がかっと熱くなる。亜久津くんが笑ったのだ、あたしの目の前で。よかった、と呟くと彼の笑顔は止まった、目を細めてつまらなそうにあたしを見ている。
 「帰んの」
 「あ、うん」
 「俺、」
 そこで亜久津くんは口の煙草を指に挟み大きく息を吐いた、するとそれは白く大きく宙に広がって。
 「今日、入試の説明があるから絶対来いとか。南から連絡きたんだけど」
 「ああ、そう、あるよ」
 「行かなくていいの」
 「あたし、推薦でもう高校決まったから」
 「マジかよ」
 あたしは笑ったかもしれない、だけど亜久津くんは笑わなくて、ほんの少し驚いた顔をしただけだった。頭いいっけ、と彼が言って、そうでもないよ、とあたしは答えた。涙でぐずぐずの顔で。
 「まあいいや」
 「うん、隣のクラス。。宜しくね」
 彼はそれに返事をしなかった。煙草を地面に投げ捨てただけだ。またね、とかの挨拶はなく、彼は歩き出してあたしの後ろへ消えていった。今煙草の匂いがしたのはきっと、錯覚ではなかっただろう。百獣の王の匂いをあたしはひとり、堪能している。
 好きだと伝えればよかった。彼の足音が聞こえなくなってからそう思ったけれど今日がバレンタインだと思い出し、今日彼にプレゼントを渡したい彼女の事を思い出すと伝えなくてよかったと、あたしは気を取り直す。

 相変わらず朝、彼の机を眺めている。彼はほとんどの場合いなくて、たまにいても机に伏して眠っている。隣のクラスの千石くんがきて、わいわい騒いで髪の毛をくしゃくしゃにしたりしてじゃれついて、それを面倒臭そうに追い払ったり南くんが彼と休み時間に、低い声で静かになにか喋ってたまにおとなしく、ふたりが笑っているのを見るとあたしは気持ちが豊かになる。
 教室の授業でいつも後ろにいる彼の様子を、あたしは見ることができない。グループが大体男女分かれて作られてしまう理科室での実験で、彼と一緒のテーブルに着けることはまずないしこんなに離れた席では英語の読み合いのペアを組まされることもない。あたしは、体育の授業にたまに出席してバスケをする彼だとか、休み時間に廊下を歩いてどこかへ向かう彼だとか、遅刻や早退をして教室の前のドアを出入りする彼だとか、そんなものばかりを見ている。あたしは彼と教室内でお喋りができない。あたしの周りにはいつもあたしの友達がいて、亜久津くんはひとりで眠っているか、亜久津くんの友達と戯れている。あたしは、この爆発しそうな気持や、保温状態でずっとほかほかしているこの気持ちを、いつか亜久津くんに伝えられるのだろうかと不安に思う、誰にも言えないこの気持ちを、亜久津くんにすら伝えられない、そんな結末を迎えてしまうのだろうか。南くんか誰かの口から亜久津くんは地元の、みんなが行く普通の、高校に行くのだと聞いて胸がこんなに痛いのは、あたしはまさか高校まで彼と一緒だったらいいのにだなんて思っていたのだろうか、あたしが通うのは他県の女子高だっていうのに。
 卒業を間近に控えてまた、告白をされた。ありがとうごめんなさいとあたしは繰り返す、あたし達はなんて可哀想なのだろうと思いながら、あたしにはどうしてこういう風に、気持ちを伝える勇気がないのだろうと思いながら。彼氏作っちゃいなよ女子高じゃ出会いないんじゃない、と何度友達に言われただろう、あたしは、その度に亜久津くんと遠距離恋愛をしている自分を想像し、そんな自分にうんざりし、それなのに彼を好きだという、そればかりが募ることに頭が痛い。あの時風邪を引かなかったならあたしは亜久津くんなんて、恋なんて知らないで済んだのに。

 卒業式の前日なのに野球部がどこかでノックをしている音と、それに呼応している声が聞こえる。体育館はこれからあたし達が予行練習で使うからグラウンドでだろうか、でも今日は雪が降っているし、格技場とか、玄関前ホールかもしれない。HRで早めに配られた卒業アルバムをぱらぱらとめくっていたクラスメート達が、「三年生は予行練習を始めるので体育館に集合して下さい」、という校内放送によって教室からぱらぱらと出て行く。あたしは一緒に行こうと誘う友達を何人か先に行かせ、ほどけた靴紐を直していた。右も左も。立ち上がり顔を上げると窓辺にぽつり、亜久津くんがいる。
 「いたの」
 「あ、ごめんなさいあたし」
 「行けよ」
 「好きです」
 口に出したのは咄嗟のことだった。亜久津くんとふたりきりになれたのはあの夏服を着ていた頃から数えて三回目であたしは多分、明日に卒業を控え、これ以降彼とどこかで二人きりになることはないだろうと考えていた、だから好きですと、この溢れる想いを彼にぶつけてしまったのだ今、このタイミングで。
 亜久津くんの後ろから光が差している。どんなに照っていたって冬の太陽がか弱く見えるのは、天文学的な理由なのだろうか、それともあたしの、冬に熱い恋をしているあたしの気持ちが理由なのだろうか。ああごめん、と亜久津くんが首を傾げている。
 「俺お前みたいなやつ無理なんだよ、宇宙人みたいで」
 その言葉が。あの大きな野球部の掛け声で掻き消されて、聞こえなければよかったのにと思う。亜久津くんが椅子の背に掛けていた上着に腕を通しながらさっと歩いて教室を出て行くのを見ていた。空っぽになった教室と、見なれた空っぽの彼の席とさっきの彼の立ち振る舞いはやはり神様か百獣の王のようで、好きだ。
 こんなにも悲しいのに、この想いが消えないのはどうしてだろう。あたしはきっと卒業をしても卒業アルバムの個人写真の、頬の赤い自分とつまらなそうな顔の亜久津くんを見る度にこの想いを蘇らせる、どうしようもないくらいに。








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2013.2.4
不死鳥シリーズ、
玉兎の対義語が金烏なんですって