非行に走る少年少女、不良だとか呼ばれるそういう生き物が現れたのは大人の問題であるとか、大人がちゃんと彼らを叱らなかったり、叱り方を間違ったり、下手に出てしまったりしたからであるとか、または世の中自体が汚くて荒んでいるのだから子どもはそういう風に育って当然であるとか、言われているけれど彼らは、そんな難しいことなんてひとつも考えてないのだろう。
 先生が気に入らないとか同級生が気に食わないとかお前等全員嫌いじゃーとか、家族なんてとか世の中なんてとか一矢報いたいとか目立ちたいとかもてたいとか、絶対考えていない。
 楽しいから、そういう気分だったから、ただただそんな、無垢な子どものような理由で今日も、静まり返った廊下で花火を爆発させたり、窓ガラスを割って歩いたりしている。拾ってきたボロボロの原付対拾ってきたママチャリで三階まで駆け上がるレースをし、土足で校内駆け回っては奇声を上げる。おかしな節のおかしな歌詞の、おかしな歌を大合唱してげらげらと笑い、些細なことで喧嘩をして人を殴って、翌日何事もなかったような顔をしてその相手と、煙草を吸いながらだべっているのだ。
 たまに授業に出席してみても心ここに非ずな雰囲気で音楽を聴いて、携帯をいじって、それで窓の外をぽけっと眺めている。その内、大体発端はいつも清純くんなのだが彼が「暇だ!」って大声出して立ち上がったら亜久津くんも立ち上がって、欠伸をしながら南くんが立ち上がる時には教室の三分の一の男の子が立ち上がってしまっており、「おいどこ行く気だよ」なんてもう真剣に注意する気もない先生の声をまるで無視して教室を出ていってしまう。一分後には一年生の教室のドアを蹴り開けて入って「きみたちの将来は暗い!」なんて宣言して回っている。
 私は。自分に危害さえ加えなければ見ていて飽きないし会話を聞けば面白い彼らを、決して嫌ってはいなかったが格別な思いも抱いていなかった。



喜 劇





 ある朝、亜久津くんが教室の窓辺の隅でひっそりと煙草を吸っていた。この時間に教室で生徒に出くわすのは初めてだった。何故彼がこんな早い時間に登校してきているのかまるでわからなかったが、どうしたのと訊けるほどの間柄でもない私は口を開かず、ただ彼の髪が朝日に照ってきらきらと綺麗であったものだから目を逸らすことができずにただ、彼を見ていた。彼は私を訝しげに見返し
 「なに」
 と一言唸った。ただ見ていただけだというのに。恐いなあもう絶対見たりしねーと思いながら、鞄を机の上に置く。彼の方を見ない様にして。
 「言うなよ」
 という彼の言葉が、なにを意味するのかわからずしばらく考えていたがきっと、喫煙に対する教師への密告を示しているのだと気付き
 「言わないよ」
 と、私は教科書を机の中に押し込みながら答える。7時32分、他の生徒はまだ登校してこない。家でまだ布団の中にいる人だって多いはずだ。
 「だってお前会長じゃん」
 諦めて、私は彼を見る。彼は自分の左手の爪を見ながら、窓の外に煙草を捨てていた。
 「生徒会長だからどうとか、偏見だよ。むかつく」
 別に、好きで会長なんかになったわけではない。不良だらけの山吹で、積極的にそんなものになりたがる人がいなくて月例会が完全に死んだような空気になった時、が「さんが良いと思います」だなんて普段は使わない苗字とさん付けと敬語で私を推薦しやがって、泣く泣く選挙に出たら信任投票バッチリで当選してしまっただけだ。だから私は不良達を更生させようみたいな正義感は持っていないし邪険にもしていない。反面教師陣に忠誠を誓う気も、彼らの為に働きまくる気もない、私はただ、肩書きを持つだけの彼のクラスメートだ。
 「大体山吹の会長なんて、教師方の目の敵だし」
 「ふうん」
 まだ爪を見つめながら(深爪でもしたのかもしれない)亜久津くんが言う。口元が少しだけ先ほどの、警戒を失っていた。彼は本当に綺麗な髪を持つ。窓の外の太陽の光を受けてキラキラと光り、霜のようだった。珍しい真っ白な山吹の制服がこんなに似合うのは、この人以外にいないだろう。
 「なんでこんな時間にいるの?」
 私は。また「なに?」なんて恐いことを言われたら嫌だからと目を逸らしつつ、結局はそれを訊いてしまった。鞄の中の数学の教科書に神経を集中させながら。それはいつだかの給食で出たジャムがべったりついたまま固まって、いまだに甘い匂いを放ってる。35ページから42ページまでがくっついてしまい、開けない。
 「わかんねえ」
 と、彼の返事はこうだった。
 「記憶喪失?」
 「さあ」
 「そっか」
 「は?」
 「え?」
 この人。私のことを名前で呼部のか、と私は戸惑っている。つまり私達はさして親しくもない、教師への告げ口を危惧し、危惧される間柄だ。それなのに私のことを名前で呼ぶ彼を見て私は、この人の人柄を少し知ったような気になる。冷たい、乱暴な口を利く彼に何故清純くんみたいな子や、南くんみたいな子が懐くのかと不思議に思っていたが実は彼は、案外他人との距離感が近い人間なのかもしれない。
 「なんでこんな早く来てんの」
 「あー、えっと。生徒会の仕事」
 「あ、」
 「え」
 「いや、」
 亜久津くんが顔を上げて(深爪直ったのかな)、私を見る。突然感動詞を述べられて驚いた私も彼を見ている。というか正確には、髪を見つめる。パキン、と音がする。
 「爪割れた」
 ああ深爪じゃなくて。爪が割れたのか。ガラリ、とドアの開く乾いた音が朝の静けさを保っていた教室に響いた。亜久津くんがそちらに顔を向け、私も振り返る。清純くんがちょっと驚いた顔して、立っている。
 「お?俺、仁のこと待たせてた?珍しいこともあるんだねー」
 彼はふにゃふにゃの柔らかい笑いを作り、私を見ると
 「お勤めご苦労様です」
 なんて敬礼をしてくる。私が返事をする前に清純くんはペンケースを自分の机の上に乱暴に置いて、亜久津くんを向いた。
 「よし、行きましょ」
 「おー」
 亜久津くんが眠たそうに答え、連れ立ったふたりは教室を出て行った。亜久津くんは最後まで、爪を見ていた。なにかやるんだろうな、と私はぼんやりと思った。彼の髪は相変わらず、キラキラとしていた。

 私の勘は当たった。その日の午後、特別に各クラスで学級会が開かれた。校長室のガラスが割られた挙句、歴代の校長の写真がビリビリに破られて、机と椅子も窓の外へ投げ出されていたらしい。私はその犯人がすぐにわかった。状況を説明した担任も「犯人は既に捕まっている」みたいな口調だったから、多分今教室に居ない清純くんと亜久津くん、それに南くんは、会議室かどこかで生活指導の先生に叱り飛ばされているのだろう。
 今朝の亜久津くんの髪を思い浮かべようと目を閉じたのに、彼の顔ばかりが浮かんだ。口元が緩んだ時のあの、優しさみたいなものがちらつく表情、私を名前で呼ぶ姿勢。カシャン、と尖った澄んだ音が下の階から聞こえた。私はゆっくりと目を開けた。

 「マジうぜー!」
 放課後、教室に戻って来ると清純くんが叫んでいた。彼が叫ぶのは最早呼吸をするのと同じくらいのことなので私はあまり気にせず朝と逆、机の中の教科書を鞄の中に戻していった。学級会で数学は潰れて、ジャムの匂いがする教科書は今日活躍せずに済んだ。
 「あー、俺、今まで怒られてたさー」
 訊いてもいないのに、清純くんは教えてくれる、名前で呼んで。私はそこでやっと顔を上げた。清純くんと南くんとあと亜久津くんが、三人揃って窓辺にいた。
 「なんで?」
 「校長室荒らしたの俺らだからさー」
 「ああ」
 相槌を打ちながら、亜久津くんを盗み見る。煙草を吸っていた。
 「私も怒られたよ」
 先生は3年の男子が荒れているのは生徒会長がしっかりしないせいだと言った。私はとりあえず頷いておいたけど、まるで納得はしていなかった。その後散々どうしてこうなったか、いかに私が悪いのか説明され、私は一様に頷いて、それでやっと戻って来られたのだ。夕日が傾いて眩しいオレンジ色になって辺りを照らしてる。その中で盗み見た亜久津くんの髪の色はやはり銀色で、ちなみに清純くんは濃いオレンジ、南くんのは茶色に見えた。
 「お互い苦労してんのねー」
 へらへらと、ふにゃふにゃとあの笑顔で清純くんが言う。
 「んーでも、あなた達と比べれば全然」
 「そー?」
 「私は頷いてるだけでいいから」
 「あはは」
 南くんと清純くんが笑い声を上げた。私はふたりを真っ直ぐに見た。彼らに挟まれて、亜久津くんは退屈そうに紫煙を吐いていた。
 「聞いた?仁」
 南くんが目頭を押さえながら言う。彼の口元は、朗らかに笑っていた。
 「お前もみたいに賢く頷いてればよかったんだよ」
 「うるせえよ」
 亜久津くんが煩わしそうに突っぱねた。
 「こいつね」
 清純くんも笑いながら、左手の指で亜久津を差している。亜久津くんは難しい顔して、その指先を睨んでいた。
 「説教の最後の最後に切れちゃってさ、会議室の窓ガラスも割ったの」
 「そー、別に切れる場面でもなかったのに」
 南くんが愉快そうに相槌を打ち、続ける。
 「そしたら説教もっと長引いて、清純は逃げようとして捕まるし、俺はメール打ってたら携帯壊されるし」
 「最悪ーでも面白かったー」
 「マジうぜー」と叫んでいた時とは全く別の、純粋で爽やかな表情をして、清純くんが言う。南くんもまだ俯いて肩を震わせて笑ってて、結局、亜久津くんも微かに笑った。そう確かに彼は笑い、笑ったところ見ちゃったよーと私は思っている。
 「ねえなんの不満があってそんなことするの?」
 「え?別になんにもないよ」
 「そうなの?じゃあなんで?」
 「だって面白いんだもん」
 「、破壊魔」
 呟くが、彼らはまるで気にしない。今度生徒会室も荒らしてあげるよ、と清純くんが言い、南くんが何度か頷いた。亜久津くんは。髪をキラキラさせて窓の外を見ていた。
 彼らは学校が嫌いなわけではない、学校にはちゃんと登校している、ただ授業に出ていないだけで。特定の誰かを恨む節もない、人畜無害な私のような生徒に、むやみに手出しすることもなく、むしろ誰とでも気軽に接する。彼らは退屈を嫌い、刺激と過激を好むのだった。大きな子ども達。私はいつもそう思う。
 記念すべき20回目のネズミ花火が授業中に廊下で鳴ったのが聞こえ、先生も遂に諦めて「またかー」の一言で片付けてしまった日。休み時間に廊下で火薬臭い亜久津くんと擦れ違う。込み合った廊下、彼は私をそっと避けてくれた。擦れ違い様、
 「千石が火傷した」
 囁かれ、思わず吹き出す。次第に、会話をする頻度が増えていく。
 「亜久津くんって」
 「ん?」
 「ちょっと音楽の先生好きでしょ」
 「あーだって、若いし」
 「あはは」
 「数学のババアよりマシだろ」
 「そっかあ」
 「はなに、体育?」
 「あー、ううん、私、筋肉質な人嫌い」
 「俺、」
 「あ、今自分の体確認した」
 「俺筋肉質?」
 「うん、亜久津くんはそうだね」
 「嫌われてんの、俺」
 「どうかな」
 「煙草、吸う?」
 「ううん」
 「俺、煙草吸う女嫌い」
 「あ、じゃあ私は嫌われてないんだ?」
 「知らねえ」
 「ねえ亜久津くんの髪って綺麗だね」
 「うん?」
 「染めてるの?」
 「んー」
 「私も染めようかな」
 「この色?」
 「いや、それじゃパクりっぽいからもっと、赤とか」
 「俺が染めてやろーか」
 「ほんと?やってくれるの?」
 「うん」
 「ああ、でもやっぱりいいや私赤とか嫌いだし」
 「なんだそれ」
 亜久津くんが笑い、私は確かにときめいていた。

 私の人生の転機、記念日、それともただこの愉快な男の子達に流されただけか、わからないがとにかくその日、私は生徒会室の窓を自分の手で割った。ふう、と息を吐いた私の後ろで、清純くんが
 「よくやったー!」
 賛辞の言葉を投げかけてくる。責任とか。面倒事とか細かすぎる仕事とか、押し付けられてしかし褒められることも尊重されることもない私の肩書きに、この部屋に、 段々嫌気しか感じなくなってきていた私はその一部を、自分なりに破壊することができ気分爽快テンション最高アドレナリン全開、というところだった。
 「今度はも怒られるの一緒な」
 南くんが煙草に火を付けながら笑う。頷きながらちらりと見た亜久津くんは、携帯をいじってた。綺麗な髪だなあと、私はいつものように思っている。携帯が鳴り、彼は出て、言葉少なになにか喋った。私は俯いて、ガラスで切れた膝を見ていた。たらりと血が伝い、なんだか卑猥だと思いながら。
 「俺、」
 携帯をポケットにしまった亜久津くんが言う。首を傾げるものだから、髪先が揺れた。
 「悪い、行くわ」
 「どこ?」
 清純くんがにやにやとする。私は嫌な感じだなあと思っている。南くんが紫煙をゆっくりと吐いて、やっぱり笑うので、私の勘はまた当たる、そう感じた。
 「彼女の所だろ、どうせ」
 「どうせってなんだよ」
 亜久津くんが言い、微笑んだ。この表情好きだなあと、何度目かのときめきを感じた時、カラン、と体の中で音がする。
 ああこんなものか、と私は自分の初恋に案外あっさりと幕を下ろした。







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2014.6.8
2008.1.3最終更新のもの、加筆修正