暑さにも寒さにも負けない。そんなもの関係なしに世の中は回っている。海の音と、カモメの鳴き声と、冬の空、そして眼前の白い煙。ざあざあ、ざあざあ、ざあざあ、アタシは深く息を吐く。



      朝音



 清純は実に上手く波に乗る。晴れているけれど寒いクリスマスの海だ、もう雪だって降るだろう。それでも難なく波に乗る。腕で強く漕いで、波を捉え、乗って、浅瀬まで戻ってくる。単純に楽しそうに。アタシは厚着をして煙草を吸いながら、サーフィンする清純を見ている。それは酷く景色的な事だ。清純という景色。
 十二月の末の、寒空の下の海。勿論遊泳禁止の海岸、海開きだって来年の話。 だけどバカなのかロックなのかよくわからないけれど、サーファーは清純以外にも何人もいて、それぞれ楽しそうに波に乗っている。濃い色したウェットスーツ。あんなゴムみたいなもの一枚来て、冬の海に入って、寒くないんだろうか。見てるアタシの方が、鳥肌。
 清純は。景色的である清純は。長年に渡るテニスによって来たえ抜かれた体や、奇抜なオレンジ色の髪を海水で濡らし、サーファーの例に漏れずにいる。アタシは五本目の煙草を吸い終えると、吸い殻を砂浜に落とした。足元を見る。海に似合わないブーツ、日の光に反射する砂の粒、ほんの少し水分を含んでそうな砂浜に、燃え尽きた煙草の吸い柄が五つ。なんとも言えない気持ちになって、アタシはしゃがんで吸い殻を拾った。拾って、携帯灰皿に押し込む。全く、携帯と名の付くものを携帯しつつ、利用しないで、どうする。というよりも。アタシはこの砂浜がアタシの不始末によって汚れるのをひどく恐ろしく感じたのだ。なんでだろう。景色的清純がとても、綺麗に見えるからだろうか。なんでもいいんだけど。
 六本目の煙草に火を付けるのを迷っていると、サーフボード抱えた清純がアタシの元にやって来る。ゆっくり、ゆっくりと。
 「やあやあ、来たね、
 「変な喋り方」
 「いつから来てたの?」
 「さっき」
 「さっき。なるほど」
 清純が知った顔をして頷く。なにがなるほど、だ。
 「中三の冬休みに、サーフィンだなんて。余裕だね」
 「だって俺もう進路決まったし、部活は引退したし、暇なんだもん」
 「なるほど」
 真似して言ってみる。けれど清純は特に違和感なんて覚えない様子で、アタシに頷き返す。
 「もする?サーフィン」
 アタシは黙って首を横に振った。俺の家行けば板あるし、スーツも女の子のやつ、貸すよ、と清純は続けたけれど。アタシはやっぱり黙って首を横に振る。初めてのサーフィンが真冬の遊泳禁止海岸だなんてバカげてる。絶対やるもんか。
 「突然呼び出してごめんね」
 「うん、別に」
 「なんで呼んだかわかる?」
 「わかんない」
 清純が砂浜に座り込んだから、アタシもその横にしゃがんだ。濡れてる清純を見て、寒くないんだろうかと思って、アタシの腕には鳥肌が立つ。だって清純の格好はほとんど裸みたいなもので、加えて今は真冬で、そして眼前は海だ。
 「前にさ、ずーっと前。海行こうねって約束したじゃん」
 「した、っけ」
 「したよ、覚えてないの?薄情だなあ」
 「覚えてないよ。いつ?」
 「夏だよ、夏、一緒に花火した時に約束したじゃんか」
 「夏」
 な、つ、と声に出してバカみたいな気持ちになる。夏なんてもうずいぶんと前のことだ。蝉が鳴いてて、ひどく薄着をしていて、体育大会があった。花火もしたかもしれない。だけどそんなこと、アタシはあまり覚えていない。清純は覚えている。理不尽な話だ。
 「約束、守ったでしょ、俺」
 「うん、そうだね、アタシ覚えてないけど」
 「、泳ぐ?」
 「いやだ」
 冗談だよ、清純は笑って、スーツのチャック開けて、とアタシに背中を見せる。アタシは清純の男子たる広い背中を見遣りながら、うなじの下にあるチャックをゆっくり下げた。ウェットスーツ一枚、それだけを着ていると思っていたのに中にはしっかり防寒Tシャツを着込んでいる。サーファーだってバカじゃない。
 「来年、夏になったら一緒にサーフィンしよう」
 ずるずるとゴムみたいなスーツを腰まで脱いで、砂浜に置きっぱなしにしてあったタオルで体を拭きながら。清純は言う、アタシは首を傾ける。
 「わかんない、アタシ、できるかな」
 「できるよ、俺でもできたもん」
 「アタシ、こういうの苦手なんだけど」
 「俺が教えるんだもん、大丈夫」
 シャワー浴びたいな、と呟く清純。俺が教えるんだもん、ずいぶん、安心感伴う言葉。清純がそう言うならば、アタシはできるんじゃないかと単純に思ってしまう。なんでだろう。ぼんやりと遠く、波に乗っては崩れたり浅瀬へ戻って来たりするサーファーを眺めていた。
 上半身を拭き終えると清純はまた丁寧にウェットスーツを着る。開けたチャックを閉めて、とは言わない。ぼんやりしたアタシを見る。帰ろっか、そう言う。サーフボードを抱えて。清純の家は歩いてすぐそこだ。
 アタシはポケットの中にしまっておいた携帯に目を落とす。10時31分、まだ朝だ。

 清純の家で一緒にお風呂に入った、清純がシャワーを浴びて、丹念に体中の塩を落としていく。頭の先からつま先まで、そっと手で擦りながら。冷えた体から湯気が立ち上るのを、アタシはバスタブに浸かりながらぼんやり見てる。これもまた、とても景色的。そして芸術的だ。体に付いた塩は一体どれくらい落ちただろうか。人類は海の子だから、洗っても洗っても決して落ちない塩があるのかもしれない、アタシはそんなバカなことを考える。
 向かい合って二人でバスタブに入ると、窮屈感と自分達の存在程度を知れる。お互い膝を立てて、互いがぶつからないようにする。清純はアタシが許容しない限り肉体関係を迫ってことないから、好きだ。例えそれがバスタブの中で、裸で向き合っているのだとしても。許可を求めて、アタシがいいよを言わない限り、なにもしない。なんて心地良いんだろう。
 「なんか、いいね、朝からサーフィン。俺って健康的じゃない?」
 「朝ならラジオ体操でもすればいいのに」
 「俺、あれ、苦手なんだよ、こう、跳躍運動のタイミングとかが」
 「開いて閉じてー開いて閉じてー、ってやつ?」
 「そう、あれを絶対一回多く飛んじゃうんだよね、なんでだろうね」
 「わかんない」
 小学校の時できなくて先生に怒られたんだー、と大きく伸びをして肩の骨を鳴らしながら、清純が笑う。ぱきん、響くその音。
 筋肉のついた腕。手首には恐ろしい数のミサンガ。清純は手の平を頭の上で交互に組むと、腕を下ろして体の前で うんと伸ばした。アタシの目の前には清純の、指が交互に重なる手がある。ぱきぱきぱきぱき、指の骨が鳴っている。アタシはそっと解かれたその指に、触れる。それはひどく冷たい。
 「あーあこんな、冷たい手、して」
 「サーフィンすると、冷えるんだよ。体の節々が」
 「それに、冬だしね」
 「うん、クリスマスだもんね」
 アタシは冷たい手を取って、自分の頬にぴたりとくっつける。あったかい湯船と、清純の冷えた手。のぼせた頭を回復させる。ぼおっとアタシを見ていた清純が、空いた片手でアタシの頬に触れた。それも、ひどくく冷たい。
 「
 「なに?」
 「俺さ、今、スゲエ突然だけど、思ったんだけど」
 「うん、なに?」
 許容、すると清純はするするとアタシに近付いた。いやらしさの欠片もなく。そしてアタシの額に自分の額をくっつける。目を閉じ、濡れた唇を開く。
 「俺、愛してるよ、のこと」
 目を開いて。ぼおっとしながらもはっきりと言う、清純。愛してる、だなんて。私は純愛ドラマ以外でそんな言葉聞いた事もなかった。だけどけれどそれを、清純は容易く真っ直ぐ口にする。愛してる、だなんて。
 「だって今スゲエ幸せなんだ俺」
 そう言ってアタシに唇を寄せる。濡れた唇を。
 「手もあったかくなってるでしょ?」
 ぱきん。午前11時、響くは、清純の音。







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2008.1.3/2014.6.16加筆修正
水曜の続き 正式タイトルは「ある朝のばちり、その音」クリスマス企画で使用