団地の子と遊んではいけませんと言われて育つ人間が少なからずいるらしいと知ったのは、スマホを介してネット上に溢れる大勢の人間の自分史を覗き見できるようになってからだ。それまでそのような文化風習を知らなかったのは私がその、団地の子ども張本人だったからだろう。




    凶日




 「なにも三隣亡の日に引っ越してこなくてもねえ」
 他の家庭の一般的な母親が暦の選日や風水や神仏なんかをどの程度生活の指標にしているかは知らないが、私の母はそういう言い回しをごく日常的にするひとで、私はというとそういう発言の正確な意味を理解する気もないまま育った。ただ母が、その日引っ越しの挨拶にきていた新しいお隣さんが頭を下げて我が家の玄関のドアを閉めた途端にそう言って非難めいた顔をしたので、恐らくお隣さんは母が持つ基準の中では非常識なことをやらかしたのだろうという察しだけはついていた。「さんりんぼう」がなんであろうとあんたもお隣さんも、世間から遊んではいけないと言われるような子どもを作り出すような居住しか選べない程度の生活力なんじゃないかと、もう少し年を重ねて知識を得た私なら思ったのだろうが当時私は小学一年生で、ただただ不機嫌になった母に対しもやもやとした気持ちを募らせることしかできなかった。
 その団地に入居するためには区だか市だかに申請をし、審査され、それらを無事通過する必要があった。もちろんその審査は幸福度上位30%内か否かみたいな浮かれたやつではなく、主に一家全体での収入がいかに低いかを競うものだった。そういう行政の仕組みを全く知らずとも幼い頃から、この団地に住まう人間全員がことごとく経済的に裕福でないことははっきりと察しがついていた。もう仕事もできないような年齢の頑固そうな老人の一人暮らしか、この狭い間取りに一体どうやってというほどに子だくさんの一家、それとも全く働いている様子がなく毎日季節感のない服を着ている独り言ばかり呟いている若者、ペット禁止であるにも関わらず明らかに小型犬を数匹飼っているであろう若いカップル、入居者というのはそんな者ばかりで、私の家はというと過干渉で癇癪持ちの口うるさい母と家や家族に全く無関心の父がいて、ふたりの口癖は「金がない」だったし、小学一年生の三隣亡の日に引っ越してきたお隣さんはシングルマザーだった。
 今思えば。義務教育も終盤を迎えある程度世の中の成り立ちが見えるようになってきた今になって思えば、確かに少なくない数の大人が自分の子どもに対しそのような団地の子と遊ぶのを控えるように言うのもなんとなく理解ができる。つまり貧困家庭の子は簡単に人のものを盗むんじゃなかろうかみたいな偏見はきっと根強く残っているだろうし、満たされない生活ゆえの愛なき家庭に育った子は非行に走りやすいみたいな傾向もあるのだろう。自分に「団地の子」と迫害された経験がなくそれまで自分を一切特別だとか考えたことがなかったがゆえにネット上でその記事を読んだ時は驚いたしやや不愉快だったが、数秒後にそれは「世の中のある種の人間たち中での定説」として心に収まった。そして私と仁が初めてセックスまがいのことをして遊んだのが確か小学生の、と思い出した時には、やっぱり団地の子ってちょっとイカれてんのかも、と再度心がざわついた。
 あの日隣に引っ越してきたシングルマザーにはひとりの息子がいて、それは仁だった。私たちは同い年で、同じ学校で、そして私たちの貧困な保護者は夜遅くまで家に帰ってこなかった。私たちは下校してすぐ、それともそれぞれ別の友人と遊んで解散し、日が暮れてから保護者たちが家に帰ってくるまでの時間、それとも盆も暮れも関係ないような働き方をする彼らが永遠とも感じられる時間家を不在にしている夏休みや冬休みの朝一番から、お互いの家を行き来して遊んだ。団地内に他に同い年の子どもはいなかった。ごく小さい頃私たちは大体の場合どちらかの家でひたすらにテレビを見て過ごした。もう少し年がいくと私の父が気まぐれで買ってほとんど使われていなかったノートパソコンを用いて無断転載された映画なんかを見て過ごした。私たちの保護者には子どもにゲーム機を買い与える経済的余裕や精神的寛大さはなかった。子どもをスポーツクラブに入らせる積極性もなかったし、私たちに家庭的教育を施す豊かさを持たなかった。私と仁はテレビ番組の放送日を覚えることに特化していて、無断転載された動画を検索することが得意で、おやつ代わりのインスタントラーメンを完璧に作り上げ、そのゴミを絶対に分別しない才能を伸ばしていった。決して虐待されていたわけではないので周りの家庭よりかなり遅い時間ではあったが母の作った夕食をほぼ毎晩食べていたし、朝起きればその日着る服がきちんと乾かされてそのへんに置いてあったりもした。ただ家族旅行をした記憶はなかったし、自分の祖父母というものの存在を目にしたこともなかったし、両親が私に対して学校の様子を尋ねてきたりもしなかった。母は過干渉だったが、私そのものには興味がなかった。周囲の人間の非常識さや、噂話にばかり目を光らせ、そういうものを非難し、私にそういう人間がいかに正しくないかを説くばかりで、私本人が今日一日一体どういう風に過ごしてきたかはどうでもいいようだった。母は時々会う仁の母親に関して「くたびれた空元気の女」と形容しことあるごとに食卓で文句を言っていたが、私がその女の息子とほぼ毎日一緒にテレビを見て過ごしていることや彼がこの家に上がっていることには、別段言及しなかった。
 テレビドラマや映画はおおよその場合恋愛要素を含んでいて、好き合った男女が最終的に行きつくところを私と仁はちゃんと知っていて、だから私たちは当然のようにセックスをしようとし、何度も失敗した。自分たちがそういう物事に不適切だとされる年齢であることも知ったうえで、好奇心と、自分たちに限ってはいいんじゃないかという慢心とで、流れるように行為を試み、研究を重ねた。画面を眺める時間よりもお互いを眺める時間が増えていき、そういうことはほとんどの場合仁の部屋で行われた。あんなにもフィクションから知識を得ていたのに、付き合って下さい、だとか告白するシーンをすっ飛ばしていた。中学生になりお互い交友関係が広がり、学校に指導される帰宅時間も伸び、私は女友だちの家に泊まり込みで遊びに行ったりするようになり、仁の方も大体同じようなものだった。保護者たちの労働条件は一向によくならず、私たちはそういうものの隙間を縫うようにして仁の部屋で会い、すっかり上達したセックスをした。

 こんな時期に?というタイミングで仁は部活に入り、それからというもの瞬く間に変わっていった彼の筋肉の硬さや汗の掻き方、呼吸の仕方なんかを、発見するごとに私は小さく喜んだり取り残されたように感じたりしていた。日曜の朝から仁の家に入り浸ることはなくなった、彼は部活に行き、私は寝ているか、友だちと遊ぶかをして過ごした。体を動かすようになって疲れが溜まるのか、交わったあとに必ず一度すっと寝入るようになった仁の頭を撫でながらそれを愛おしく思ったり寂しく思ったりと忙しかった。
 どうやら仁の母親は仁にこの中途半端な時期からでも部活動をさせる余裕や積極性があったらしい、それともかつてはなかったけれど今はそういうものを勝ち得たのかもしれない。仕事がうまくいって収入が上がったのか、子育てにやっと慣れて余裕が出てきたのか、それとも恋人でもできたのか、わからないけれど、もし最近になって経済的余裕が生まれたのなら、それともパートナーができたのなら、近いうち仁の母親はここを出て行くのかもしれない。収入が増えるとここには住めないはずだし、再婚するにしても相手方がこんな団地に越してくるケースはまず考えられない。そうなると保護者として当然彼女は仁を連れてここを出ていくだろう。そういう一連を考えると恐ろしくなって、裸のままやはりすっと寝入った仁から離れ、ベッドを出る。出たところで服を着る気にもスマホを触る気にもならず、小さな窓から日の暮れ始めた空をぼんやりと眺めていた。しばらくすると、仁が部活に入っただけでこんなにも不安に陥る自分にちょっとだけ笑えた。もうずっと顔も見ていない仁の母親は二年前にあっさり私と仁の関係を見抜いたらしかった。ある夏休みの朝この部屋に来ると、テーブルの上にコンドームの箱がいくつも重ねられて置いてあって、なにこれと尋ねた私に仁は、避妊しろって言われた、と嘲笑気味に説明した。私たちはその日ありがたくそれを使い、使い終わるとだらだらテレビを流し見て、スマホをいじり、時間がくると私は、私と仁とのことなんて一切興味のない両親とともに夕食を摂るため自宅に戻った。あの箱の中身は一体どれくらいで使い切ったのだろう、仁はいつの間にかゴムを自分で用意するようになっていて、私はそれを当然だと思って過ごしてきた。仁の母親は、あの時なにを思って仁に大量の避妊具を与えたのだろう。一見私を守るためのようにも、私の家族に迷惑をかけないためのようにも思えるが、私が妊娠して迷惑をこうむるのは彼女も同じなのだし、彼女は自身やその息子のためにあれをしたのかもしれない。そして放任主義なのかしっかり者なのかわからないそんな彼女は、ここを出て行くのかもしれない、守るべき仁を連れて。衣擦れの音がして振り返ると、目を覚ました仁がゆっくり起き上がり、また寝てた、と呟いていた。
 「煙草どこ?」
 「枕元に落ちてたよ」
 仁は目を擦り体をひねると、ベッドを叩くようにして煙草とライターを見つけだした。煙草を口にくわえて体をもとの位置に戻す時、背骨がばきばきと音を立てたのがこちらまで聞こえた。なにしてんの?、煙草に火を点けてひとつ息を吐いてから、窓から差し込む西日に目を細くして仁はそう言った。
 「ねえ仁はさあ小さい頃、団地の子だから遊べないって言われたことある?」
 仁はほんの一瞬息を止め、そのあと煙と一緒に吐き捨てるような短い笑い声を上げた。それから、なにそれなつかしい、とその答えたその言葉は肯定だったので、私は自分の眉根が寄るのを感じた。「言われたの?」「言われなかった?」彼は逆にそう尋ねてきて、言われてないよと答えると、女だからかも、と独り言ちた。仁のそういう、大概のこと、もしかして深く掘り下げて慎重に語り合うべきかもしれないことを、しかし性差で片付けてしまう性質に、私は時々ひどくがっかりするし、反面言い知れない安心感も覚える。それを言ったらおしまいじゃないか、という事柄は、諦めるほかない事実は、つまり自分の力ではどうしようもできない物事というのは、悔しいけれど絶対的な肯定になるのだった、満足はしないにしても。
 「ねえねえそれって悲しかった?」
 仁は首を傾げ、黙って私を手招いた。私はベッドに腰掛けた仁の前に跪き、仁のように首を傾げて見せながら、悲しかった?、なんて、不躾な質問だっただろうかと考えていた。興味本位で、いま私は、「仁なら傷付かないだろう」とたかをくくって茶化したけれど、仁は傷付いたかもしれないし、幼い頃遊べないと言われて悲しかったのかもしれない。煙草を消した仁は黙ったまま、なんとも言えない顔で私の顔を両手で挟むようにして、しばらく頬をこねて遊んでいた。なんとも言えない顔だなんて、きっとそんなことはないのに。私はずっと母親の顔色を窺がって生きてきたくせに、他人の顔色がなにを示唆するかまったく汲み取れない。能無しかよ。そう思うと頬を押されたり引っ張られたりしながら低い声が漏れた。
 「怒った?ごめん」
 「怒るかよ」
 「じゃあ傷付いた?」
 「なんで」
 また吐き捨てるように笑った仁の両手から逃れ、ベッドに上がり仁の頭を両腕で抱き締めた。出てきた言葉は「よしよし」で、仁は「はあ?」とえらく面倒くさそうな声を上げた。後頭部をとんとんと撫でながら、自分の耳を仁の側頭部にこすりつけていると、諦めたように仁は私の腰を抱き、黙って呼吸をしていた。
 「かわいそうな仁」
 「かわいそうじゃねえよ」
 「気付いてなかっただけで私もどこかで疎外されてたのかもしれないね」
 「おまえ鈍いからな」
 「ありがたいね」
 「おめでたいな」
 「かわいそうな仁」
 「俺がかわいそうだったら、お前もかわいそうってことになるだろ」
 そういうのいや。そう続けて、仁はやっと力を抜いて私の肩に重たい頭を載せた。こういう風にすり寄られると、私は仁を大人しい大きな獣のように感じる。初めてセックスの真似事みたいなことをして戯れた時はもっとずっと幼かったのに、いつの間にか成体になってしまった、ずっと隣にいたのに、ある日突然彼が急激に成長したような、そんな気持ちになる。私の中の仁は、小学一年生の三隣亡の日に突然隣の部屋に引っ越してきた同じ背丈の同級生の姿と、セックスの真似事を始めた頃の幼体と成体のはざまくらいの妙に細長かった姿と、育ち切った大きな獣の姿の三段階しかなく、その途中がすっかり抜け落ちてしまっている。前になにかで見た、たまごから孵ったヒヨコが立派な雄鶏になるまでの過程の写真。ヒヨコからニワトリになる中間くらいの姿がえらく気持ちの悪いものだったのを思い出し、ひとつ身震いしたあと私は鳥肌を立てている。仁はその私を抱き締める腕に少し力を入れた。目を閉じると幼い仁が、みんなで遊びに行ったはずの友だちの家に、自分だけが入れて貰えない画がはっきりと浮かんでくる。それとも同級生の誰かが、「亜久津くんとは遊んじゃいけないってお母さんが」と言いにくそうに教室で仁にそう伝える姿が、はたまた「団地の子」、と不特定多数の人間に陰でこそこそと囁かれている様が。全ては妄想だ。私のつまらない想像でしかない。実際の仁がどのようにして迫害を受けてきたのか私は知らない。でもきっとそれらに近いことが起きていたのだろうそして、仁はその時どうしたのだろう。良識ある同級生なのであれば親の目の届かない公園などに行って子どもだけでのびのびと遊ぶことにしてくれたのかもしれない。それとも仁は案外そういう対応を気にしていなくて、有意義にひとりで過ごすことを受け入れたのかもしれない。でももし仁がそういう仕打ちにひどく傷付いて、すごすごとこの団地にひとり帰ってきていたとしたら。そしてその時隣の部屋には、同じく団地の子で、育児放棄気味の父と過干渉でワーキングプアの母を持つ私がいるのなら。
 「隣に住んでたから遊んでくれただけ?」
 突然出てきたその言葉に、仁は私に預けていた頭を上げた。「なに?」、仁は問い、「あ、なんでもない」と私は次々溢れ出る不穏な気持ちをひっこめた。隣に住んでたから遊んでくれてただけ?同じ団地で、同等の身分で、団地の子って言われないから、孤独を埋め合わせるために今日までこうしてきただけ?私が女だったからセックスしただけ?好きとかそういうことを思ってたのは私だけ?部屋が隣だった、理由ってもしかしてそれだけ?状況が同じだったなら誰でもよかった?私が私じゃなくてもよかった?全ては妄想だ。どれもこれも、私のつまらない想像だ。なのにそれは止まる事を知らず、どんどんどんどん大きくなっていく。仁は私の腕からするりと抜けて、じっと私の顔を眺めた。全ては妄想で、想像で、口に出すのもおこがましいのに私は、じっと仁を見つめ返して、読み取ってくれ、汲み取ってくれと願っている。自分は彼の表情を読み取る能もないくせに。
 「そういう悲観的なところ母親似」
 ブスになるぞ、仁は私の髪をくしゃくしゃと撫で、私の唇から首にかけて入念に唇を押し付け、泣き出しそうになった私をゆっくり組み敷いた。こんな短い時間でもう一度抱かれるのはいつ以来だろうとどこか遠いところで考えながら、ねえ言ってよ、と私は思っている。ちゃんと言ってよ、私が好きだとか、私とだからこうしてるとか、そういうことを言ってよ。拒否しない時点で、ということなのかもしれない。言わなくてもわかるだろ、という様式美なのかもしれない。仁は性差で物事を片付けられるひとだから、「男として」、そうなのかもしれない。でも私は「女として」、そういう風には片付けられないのだ。仁にちゃんと言ってもらわないと理解できないのだ。大して能もないくせに、顔色を窺がって、不安を抱きながら、物事を断定的に捉えて過ごしたくないのだ、殊に仁に関しては。私はきっとそういうことを口に出さなければいけないのだ、「悲しかった?」とかじゃなくて、こういうことを。暗澹たる気持ちを抱えながら仁に触られれば、出来上がっていく自分の体に打ちのめされている。ねえ言って、言って、教えて、私もちゃんと言うから。そう思うのに言葉はなかなか表に出て来ず、空の口だけが魚のようにぱくぱくと動いていた。
 「ねえ仁が好きなんだよ」
 避妊具を開封している時に言うセリフではなかったかもしれない。けれどここを逃したら、きっと私はまた不安の渦に巻き込まれ、言葉を飲み込むに決まっていた。仁は正方形のパッケージを無感動に床へ投げ捨て、私を見てゆっくり目を細めた。





----------
2019.10.14
こういう成長背景って永遠に書けそう。